いつもそこにあることができる‐1373‐
いつもそこにあることができる‐1373‐
↑公式ブログへリンクしています。
年始だったか、「長田の家」のクライアントに、「長い間、作品が更新されてないですね」と言われてしまいました。
昨年、今年と多くの仕事をさせて貰っているのですが、発表がかなり滞っています。
4月の初めにようやく「長田の家」を、昨日には「羽曳野の家」をwebサイトにUPしました。

この計画は、築41年の木造住宅をフルリノベーションし、向かいの家から引っ越すというものでした。

ご主人の生家で、ご両親と住んでおられたものでした。
南に庭があり、日当たりは良好。

玄関も南に開いています。

しかし縁側を介していたため、南面した和室でも結構暗かったのです。

またLDKが北東角にあり、一番よい空間がうまく使われていませんでした。
一番よいところに、応接間や客間があてられるというのは、旧来の住宅にはよくあるプランです。

それで、玄関を東へ移し、一番条件のよい長辺にLDKを配置しました。

このあたりは、プランのビフォーアフターをみてもらえると分かりよいと思います。

適切な軒とデッキが、外部とのつながりをより親密なものにしてくれるはずです。

1階の子供部屋の扉をあければ、40畳近い大空間に。

キッチンの横にはスタディーカウンターがあり、回遊できるプランとしました。
これらは奥さんからの要望です。

屋根裏収納を吹抜けでつなぎ、上部から光をおとしています。

屋根の一部にガラス瓦を入れました。

これがグレーチングを介し、1階まで光を届けるのです。

1枚目の撮影の際、昼寝中だった三男君は吹抜けからのカットで登場してもらいました。

引っ越す前の向かいの家は、ご両親が晩年を過ごそうと物置を、リノベーションしたものでした。
それを、ご夫妻が新婚時から大切に使ってきたのですが、お子さんが4人になり、向かいの一回り大きな母屋に引っ越そうとなったのです。
人生という物語のある章を、いっしょに紡がせて貰うのが私が生かされている意味だ思うようになりました。
それが私でなければならない訳でもないし、必ず建築家が居なければならない訳でもありません。
だからこそ、期待し、オファーしてくれた人の人生の物語を、空間に織り込み、紡ぎたいと思うのです。
ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんが、東日本大震災の際「音楽が誰かを助けられるとは思っていない。ただ、思っているほど、人は弱くない。ただ、音楽はそこにあることはできる」と言っていました。
建築はいつもそこにあることができます。
それが全てと言ってもよいかもしれません。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
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年始だったか、「長田の家」のクライアントに、「長い間、作品が更新されてないですね」と言われてしまいました。
昨年、今年と多くの仕事をさせて貰っているのですが、発表がかなり滞っています。
4月の初めにようやく「長田の家」を、昨日には「羽曳野の家」をwebサイトにUPしました。

この計画は、築41年の木造住宅をフルリノベーションし、向かいの家から引っ越すというものでした。

ご主人の生家で、ご両親と住んでおられたものでした。
南に庭があり、日当たりは良好。

玄関も南に開いています。

しかし縁側を介していたため、南面した和室でも結構暗かったのです。

またLDKが北東角にあり、一番よい空間がうまく使われていませんでした。
一番よいところに、応接間や客間があてられるというのは、旧来の住宅にはよくあるプランです。

それで、玄関を東へ移し、一番条件のよい長辺にLDKを配置しました。

このあたりは、プランのビフォーアフターをみてもらえると分かりよいと思います。

適切な軒とデッキが、外部とのつながりをより親密なものにしてくれるはずです。

1階の子供部屋の扉をあければ、40畳近い大空間に。

キッチンの横にはスタディーカウンターがあり、回遊できるプランとしました。
これらは奥さんからの要望です。

屋根裏収納を吹抜けでつなぎ、上部から光をおとしています。

屋根の一部にガラス瓦を入れました。

これがグレーチングを介し、1階まで光を届けるのです。

1枚目の撮影の際、昼寝中だった三男君は吹抜けからのカットで登場してもらいました。

引っ越す前の向かいの家は、ご両親が晩年を過ごそうと物置を、リノベーションしたものでした。
それを、ご夫妻が新婚時から大切に使ってきたのですが、お子さんが4人になり、向かいの一回り大きな母屋に引っ越そうとなったのです。
人生という物語のある章を、いっしょに紡がせて貰うのが私が生かされている意味だ思うようになりました。
それが私でなければならない訳でもないし、必ず建築家が居なければならない訳でもありません。
だからこそ、期待し、オファーしてくれた人の人生の物語を、空間に織り込み、紡ぎたいと思うのです。
ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんが、東日本大震災の際「音楽が誰かを助けられるとは思っていない。ただ、思っているほど、人は弱くない。ただ、音楽はそこにあることはできる」と言っていました。
建築はいつもそこにあることができます。
それが全てと言ってもよいかもしれません。
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