嫌われ者
2013年12月20日
現在の国会議事堂は、
様々な紆余曲折を経て、
計画が始まってから、およそ50年の歳月をかけて、
ようやく、
現在あるかたちへとおさまりました…。
最終的には、
公募によって選ばれた案に手が加えられて、
現在のものになったわけですが、
この公募の当選案を見て、
それが、依然として、
ただ西洋を模倣しただけのものであったことに憤り、
洋風建築一辺倒の、当時の建築界の風潮を激しく批判して、
自らの案を、議会に提出した人がいました…。
それが、
建築家、下田菊太郎という人です…。
下田は、
帝国議会に対して、
当選案の意匠変更請願書を再三にわたって提出し、
その情熱が、ついに議会を動かし、
その請願を議決させるに至ったといいます…。
その時、彼が提唱したのが、
「帝冠併合式」というもので、
いわば、
洋風の建物の上に、
日本風の屋根がのったような感じの建築です…。
ということは、
その請願が採択されたのであれば、
現在の国会議事堂には、
日本風の屋根がのっていなければいけないはずなのですが...。
結局、
彼の案がすべて採用されたわけではなく、
元々、中央部が円形ドーム状だった当選案を、
現在の、
謎の段々ピラミッド型へと変更させるにすぎなかったようです…。
まあ、それでも、
彼の提案が、
現在の国会議事堂に、
いくらかの影響を与えていたわけですから、
それだけでも、すごいことなのですが、
彼が提唱した「帝冠併合式」は、
その意図を超えて、一人歩きをはじめ、
後の建築に、
別の影響を与えていくことになります…。
「帝冠併合式」は、
その後、
戦前の日本の、
ナショナリズムの高揚を目指した、
いわゆる「帝冠様式」というものへと、
引き継がれていくことになります…。
そしてこの「帝冠様式」は、
さらに後には、
「ナショナリズムの時代背景に迎合するファシズム建築」、
などという非難を受けることにもなっていきます…。
ところで、
このような「ファシズム建築」を最初に提唱した、
下田菊太郎という人は、
一体、どんな人なのでしょうか…。
時代背景や、そうした経緯を考えると、
なんとなく、愛国心に満ちた、バリバリの日本主義者、
という印象を持ってしまいそうなのですが、
実は、
その人物像は、結構意外なものです…。
話は、以下に続きます...。
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...