ポップな建築

2014年8月27日

雑然とした繁華街に建つ商業ビルの内部空間に、
建築としての意味が、何かあるのでしょうか…。







20世紀に出現し、今も続く、近代建築は、
元々、
それ以前の建築を、
こんな風に批判しました...。


内部空間がどうあろうと関係なしで、
ただ外観だけを飾り立てている...。




そして、新しい建築は、
内部空間と外観とを一致させるべきである、
と主張しました...。




つまり、
こんな感じ...。


内部空間をこのようにする必要があるから、
その結果として、外観はこうなっている、
とか、
外観をこうする必要があるから、
その結果として、内部空間はこのようになっている...、
といった具合に、
内部空間と外観とは、
関連した、一体のものになっているべきである...。




このような考え方は、
建築をつくる時、
今でも、結構当たり前のようになっています...。




ただ、最初の問い...。


雑然とした繁華街に建つ商業ビルのような場合は、
どうでしょうか...。


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一体、なぜ、
こんなところに住んでいるのだろう…?


そんな風に思ってしまうような、
家や街を観に行くのが好きです…。


普通では考えられないような、
住み方、暮らし方をしていて、面白いから…。


これも、その一つ…。
スペインの歴史的な都市、クエンカです…。





川の浸食や、風化によって、出来上がった、
断崖絶壁の上に、
家が建ち並んでいます…。


中には、
迫り出すようにして、建っている家も…。


現代の私たちのように、
いろいろな条件を並べ、比較検討して、
どこに住もうかと、考えていくと、
真っ先に、
その候補地からは、はずれてしまいそう…。


何も、こんなところに住まなくても、という具合に…。


ただ、きっと、
今でも、世界中の多くの人は、そうでしょうし、
昔の人は、尚更でしょうが、
どこに住むか、ということは、
そんな風に、選ぶことが出来るようなことではなかったのでしょうね…。


個人の都合で、あれこれと選ぶことが出来るようなものではなくて、
いわば、宿命的に、
決定付けられていたのではないか、と思います…。


そして、こうした、
人と自然が織りなす、面白い景観というものは、きっと、
その場所に住まなければならない宿命を背負った人たちが、
その中で、何とかして住みこなそうとする、
格闘の中から生まれたのではないだろうか、
と思いました…。


ということになると...。


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崖の上に、宙吊りになった箱…。





SH-60…。


その名の通り、
1960年(昭和35年)に出来た、
スチール・ハウス…。
鉄の家です…。


と言いますか、
そもそも、これ、家です…。


崖の上に宙吊りになっている、
窓一つない、単なる鉄の箱…。


あまりにも暴力的…、
という感じの、その姿を観ていると、
そもそも、これは何か、
という説明から必要になってくるような気がします…。


もう、スゴイとしか言いようがないのですが、
これは家です…。


鉄という材料を使って、
「ギリギリ機能性を追い求めるリミット・デザイン」を追求した、
建築家、広瀬鎌二…。


「建築は論理的であるべきだ」…。
「必要な機能だけを残して余分なものはすべて排し」、
「分析し、ギリギリまで無駄を削ったパーツを組み合せた」…。


そのようにして生まれた、この鉄の箱…。


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川越「蔵造りの町並み」からすぐの路地に並ぶ、
「岡田洋品店 並び四軒」の「洋風長屋」…。





雑誌、
『小江戸ものがたり 第四号 川越の洋風建築特集』によると…。


これらが出来た、昭和7年(1932年)頃、
ここには、
道路計画があった、とのこと…。


そのため、
このすぐそばにある、
川越初の高級百貨店である「山吉デパート」が、
貸店舗用にと建てたのが、
これらの可愛らしい「洋風長屋」だったのだそうです…。


しかし結局、
その道路計画は、実現することなく終わり、
この、ちょっと不思議な街並は、
現在あるように、
狭い路地に封印されることになってしまいました…。




それにしても、
これらの不思議なデザイン…。


「洋風」と言っていいのかどうかもよくわからない、
ちょっと奇妙なものになっています…。


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最期の煌めき

2014年7月19日

明治生命館…。





皇居お濠端に建つ、
ルネッサンス様式の、この大作…。


「我が国における様式建築の最高傑作」で、
「本場ヨーロッパの建築家も顔色なし」と評されています…。


設計したのは、
「様式建築の鬼才」、建築家、岡田信一郎…。


あらゆる様式に精通し、
それらを自由に使いこなした、という彼の、
渾身の大作、ということになるわけですが…。


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インタビュー

2014年7月17日

Tumblr に、
インタビュー記事を掲載していただきました...。

私の取り留めのない話を、
実にきれいにまとめてくださいました...。

よかったら、是非、読んでみてください...。

http://nihongo.tumblr.com/post/91890881320/tumblr (続きを読む)

一番高い...。

2014年7月12日

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。


これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。





設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。


「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。


そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。


また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。


さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。


そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。


そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。


お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。


時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。


そして...。

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http://knakama.seesaa.net/article/401606219.html (続きを読む)

30年後に完成

2014年7月7日

現在の東京国立博物館本館、
かつての、東京帝室博物館…。


それは、
「建築家・前川國男のデビュー作であり、
 出発点を飾ると同時に、
 前川國男の生涯を象徴するものともなった」ものでした…。
(宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』)


と言っても、
現在建っている、東京国立博物館本館の建築が、
前川國男によるもの、というわけではありません…。


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http://knakama.seesaa.net/article/401233518.html


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大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへと飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


資生堂パーラーのボーイにでもなろう、と友人に相談した、
なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が...。


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http://knakama.seesaa.net/article/400699308.html


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三原橋センター

2014年6月27日

三原橋センターの解体工事が始まった、
というニュースを聞きました…。





巨匠、フランク・ロイド・ライトのもとで学び、
その後、
よりシンプルな建築を求めて、
ライト流の表現から離れ、
ヨーロッパの近代建築へと接近することにより、
日本の近代建築の先駆者の1人となった、
建築家、土浦亀城…。


三原橋センターは、
その土浦亀城がのこした建築だそうです…。


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https://www.facebook.com/NakamaKunihiko/posts/726624034063474 (続きを読む)

仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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