松林図

2012年8月25日


墓参りに能登半島の方へ行ってきました。私が生まれたのは石川県かほく市の高松というところ。海際の砂浜がつらなるところにある小さな町です。このあたり、ところどころににょきにょきと松の木が伸びてます。正確に測った事はないけど大きなものだと20mから30mくらいはありそうです。昔はもっといっぱいあったのだけど、倒れると家があぶないからだとかで街中のものはばっさばさと切り取られていってしまいました。町の名前が高松なだけに残念な気もしますし、人の都合だけで判断される生のありようはどこか考えさせられるものがあります。

もうちょっと行ったところに七尾(ななお)という町があります。九尾のきつねは有名だけど七尾のきつねもいたのかな?と思ったのですが由来はそれとは違う様で、そこにあった城の山に7つの尾根があったからだとウェキペディアには書いてありました。なーるほど。それはそれとしてこの町、長谷川等伯さんが生まれたところです。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが松林図という立派な屏風絵を書かれたむかしむかしの人です。僕は興味あってこの絵の事を知っていたのですが、数年ほど前に実物を見る機会に恵まれました。

人気の絵だっただけにそこにはものすごく多くの人がいました。自分もその中の一人でした。群衆の一人であって、それでもなお絵の気迫に圧倒されていました。白い余白だらけの屏風の中でゆらめくように書かれた松の木が何本か。周囲にあったのは雑踏だけでしたが、自分の耳にはざざざーっという波の音が聞こえていました。直感的にこれは故郷の海辺の松を描いたものだと思いました。まるで幽霊のようにうごめく松たちは見えない風にあおられて右に左に動いて見えます。余白は広く、そこには雲とか海とか空とかが溶けて見える様でした。筆を止める事によって見る者の想像にまかせた訳です。稀に出会う文学や俳句にあるような深い静がそこにはありました。まわりには多くの人がいたけれど、何度も何度も見るうちに自分の中では一対の屏風絵が完成していました。無限の中にある輝く何かをそこに見つけ出したような気がしたものでした。

今回自分が見た高松の松の木はごつごつと力強くて松林図の様な幽玄のユの字もなかったけど、おそらく東伯さんが見ていたのもこの木だったはず。描いた頃には七尾にいなかったのだし、おそらくは記憶の中のそれを持ちだして描いたものだと思うんです。自分には東伯さんのような才能のかけらの一片もないけど、故郷を思いやって描いたその姿を思うとそ勝手に親しみが湧いたりするものでした。あんな才能はないけれど、どこかに余白を見出して建築を作っていきたいと考えています。

竹中設計事務所アシュ

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