その後の100年が決まる...。
2013年7月13日
まるで寺院か何かのような、
立派な屋根のある銭湯は、
関東大震災復興期に、
東京で突如現れたもので、
関西等、他の地域にはない、
東京独自のものである、
という話を、
最近、本で読みました…。
震災で、多くの銭湯が倒壊した時、
宮大工が、その技術を活かして、
このようなつくりで、
銭湯を再建したのがきっかけとなり、
こうした「宮造り」と呼ばれる銭湯が、
東京で、
競うようにして建てられ、広まったのだそうです…。
その後、
徐々に減っていき、
今では、
すっかり少なくなった、こうした銭湯ですが、
そのトドメを刺したのが、
バブルの頃だったのだそうです…。
銭湯を一軒壊すと、
その地域の、
風呂無し木賃アパート等の地上げがやりやすくなる、
という理由で、
狙い撃ちにされてしまったのだそうです…。
そんな話を聴いてみると、
震災復興期に出来た銭湯のような建築が、
実は、それ以来、ずっと、
その街の要のようなものになっていた、
ということであり、
言ってみれば、
その後の、およそ50年の街のあり方を、
決定付けていた、
ということにもなりそうで、
とても興味深く感じられました…。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/11247776.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...