林芙美子邸

2013年7月20日

作家、林芙美子の家...。





二棟に分かれたようなかたちは、
戦時中、建築出来る大きさに制限があったので、
苦肉の策として、
二棟に分けて許可をとり、
後で繋いだためなのだそうです...。

でも、
かえって、それがよかったみたい...。
生活の場と、仕事の場が、
合理的に分離出来ているし、
なによりも、
建物が大きくなり過ぎず、
庭の緑にもよく馴染んでいるように思いました...。





設計した山口文象は、
最先端の近代建築で知られた人で、
こうした和風のイメージは、なかったのではないか、
と思います...。

当時、この家も、
彼の建築作品として発表されることはなかったようですが、
今では、
代表作のひとつになってしまっているみたいです...。

ただ、
元々、大工の棟梁の家に生まれ、
家業を継ごうとしていた時期もあるみたいなので、
今となっては、代表作の一つと言われても、
彼のもう一つの面として、
別に違和感もありませんが...。





解説によると、
林芙美子は、こんなことを書いています...。

「まづ、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、
およその見当をつけるやうになり」、
「一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った」...。
「家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、
かなり、あぶない橋を渡るやうなものだったが、
生涯を住む家となれば、
何よりも、
愛らしい美しい家を造りたいと思った。
まづ、参考書によって得た智識で、
私はいい大工を探しあてたいと思ひ、
紹介される大工の作品を何ヶ月か私はみてまわった」...。

大変なこだわりだったみたいで、
それだけに、
大変なお気に入りだったみたいです...。

林芙美子の夫、緑敏氏は、
生前、こんなことを、家族に強く話し、
芙美子亡き後、およそ40年間、
この家を守り続けたのだそうです...。

「この家は私の生きている間だけは決して手を加えたり、
変えたりしてはいけない。
私の亡くなった後はどうしようとかまわないが」...。

こういう家は、たとえ実用的な役割を終えたとしても、
やはり、
生き残っていくよなあ、と思ってしまいました...。

https://www.facebook.com/NakamaKunihiko

仲摩邦彦建築設計事務所

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ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

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