「使い勝手がいい家」、つくります
2012年6月26日
主婦という視点から、とか、民間を経験した立場から、などというキャッチフレーズで選挙に出る方がいます。
ただ、そういった視点や経験を、実際に、政治に活かすことが出来るものなのかは、私には、よくわかりません。
同じように、建築を設計する人でも、雑誌等をみていると、よく、主婦の立場なので、使い勝手がよくわかる、とか、スムーズな家事動線が提案出来る、とかいったようなことを、キャッチフレーズにしている方がいます…。
人様の売り文句にケチをつけるつもりは全くありませんので、小さい声で言いますが、そういった立場や経験は、あんまり関係ないのではないかなあ、と個人的には思っています…。
ちょっとキツい喩えで、どうかとは思うのですが、人を殺したことがなければ、推理小説は書けないものなのだろうか、という具合に思ったりしますが、どんなものでしょうか…。
経験が、大事な素材になる、ということを否定するわけではありませんが、推理小説を書くにあたって、より大事なのは、何らかの罪を犯した、といったような経験よりも、そういったことをした人、あるいは、その周辺の人の、心境などを想像する「想像力」と、その想像を作品というかたちにする「表現力」、といったものなのではないか、と思います。
仮に、実際に、罪を犯した経験がある人が、その経験を元に作品を書いたとしても、それは、どこまでいっても、その人だけの経験であって、別の同様の経験をした人にとっては、共感出来ないものかもしれません。
また、そもそも、それを読む人の多くは、そのような経験を持たない人ばかりであり、そういった人たちにとっては、それが共感出来るか、理解出来るか、ということが、もっとも重要なことであって、実際のところがどうか、というのとは、本質的には、無関係ではないか、という気がします。
そういう意味で、経験の有無ということよりも、共感や理解を得られるものを提案出来る「想像力」の方が、より重要なのではないか、というように思っています。
そしてまた、いくらそのような経験があったり、「想像力」を持っていたりしたとしても、「表現力」がなければ、それをかたちにすることも出来ないだろうと思います。
そういった意味で、その二つの力の方が、よい作品を生む上で、はるかに重要なのではないか、と思っています。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10685286.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...