意味がうるさい
2012年7月6日
先日、新聞の書評欄を読んでいたら、
豊川斎赫『群像としての丹下研究室 戦後日本建築・都市史のメインストリーム』の、書評が出ていました。
建築家、丹下健三さんについての本で、私も、面白そうな本だと思い、買ってあるのですが、いまだに部屋の隅に積んであります…。
ということで、本の内容についてふれることは出来ないのですが、書評に書かれていた内容で、ちょっと気になったことがあったので、そちらの方について…。
そこには、
「特にポストモダン以降、建築デザインの一部は空疎で無意味な形態のお遊びに堕している。だが丹下研は形態のすべてに意味と裏付けを持たせようとした。それが彼の構想力の力強さを生んでいる」、という部分がありました...。
別にそれに反対というわけではないのですが、「ポストモダン」建築というのは、私が学生の頃に、ずいぶんと流行していたため、大変印象深く、当時を思い出すと、個人的には、ちょっと違った感触を持っています…。
評者は、「空疎で無意味」ということを、当然、批判的に書いていると思うのですが、当時の「ポストモダン」建築は、そういうことを、意図的に、つまり、わざとやっていたように思います…。
要するに、「ポストモダン」建築には、わざと「空疎で無意味」なものをつくろうとするような、一種の露悪趣味のようなところがあったように記憶しています…。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10825860.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...