夢のかけら
2014年5月12日
1886年(明治19年)、
時の外務大臣、井上馨は、
欧米列強と肩を並べ、
不平等条約を改正するために、
鹿鳴館をつくり、連日夜会を催し、
西洋式の生活様式を奨励するなどの、
いわゆる欧化政策をとっていました…。
そして、
その総仕上げとでも言うべき、
国会議事堂、裁判所などを含む、
諸官庁建設計画にとりかかります…。
内閣直属の臨時建築局を発足させ、
井上馨自らが、初代総裁に就任します…。
そして、その建築家として、
ドイツで共同の建築事務所を開いていた、
ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンの、
エンデ&ベックマンを招聘し、
計画の作成を依頼します…。
この時に出来た計画案は、
パリやウィーンなど、
先進諸国の実例を踏まえた上での、
当時の最先端をいく計画だったと言われています…。
ベックマンの日記には、
「おそらく完成までに100年を要するであろう。
しかしそれが重要なのだ」、とあります…。
そして、この計画は、
鹿鳴館で、政府高官に披露され、
ベックマンの日記によると、
「計画は承認され」、
天皇の御前での説明もなされたと言います…。
その後、
様々な変更が加えられながらも、
計画は、実際に、進んでいきます…。
しかし、
1887年(明治20年)、
不平等条約の改正交渉が不調となると、
事態は急変します…。
話は、以下に続きます...。
https://www.facebook.com/NakamaKunihiko/posts/703129586412919
仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...