無限の円環
2012年7月20日
夏目漱石は、実は、建築家になりたかったのだそうです…。
こんなことを書いています。
15、6歳の頃のこと、
「…何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。
建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。
趣味があると共に必要なものである。
で、私はいよいよそれにしようと決めた」…。
しかし、ご存知のように、そうはなりません...。
そのいきさつというのが…。
「ところが丁度その時分(高等学校)の同級生に、米山保三郎という友人が居た。
それこそ真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る。
ある日此男が訪たずねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句の果に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却けてしまった。
其時かれは日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下後世に残すことは出来ないじゃないかとか何とか言って、盛んなる大議論を吐いた。
そしてそれよりもまだ文学の方が生命があると言った。
元来自分の考は此男の説よりも、ずっと実際的である。
食べるということを基点として出立した考である。
所が米山の説を聞いて見ると、何だか空々漠々とはしているが、大きい事は大きいに違ない。
衣食問題などは丸で眼中に置いていない。
自分はこれに敬服した。
そう言われて見ると成程又そうでもあると、其晩即席に自説を撤回して、又文学者になる事に一決した。
随分呑気なものである」…。
この米山保三郎という友人のせいもあってか、建築家夏目漱石は、実現しませんでした…。
うーん、残念…。
ただ、まあ、建築にとっては、残念なことではありますが、その後の業績を見てみると、これでよかったような気もしますね…。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10674802.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...