「普通」は、それほど、「普通」ではない...。
2012年9月12日
先日、新聞で、
脚本家の岡田利規さんのエッセイを読みました。
大変面白かったので、
少し紹介させていただこうと思います。
このエッセイは、
1ヶ月ごとに、書く人が交代しているみたいで、
4回で完結ということになっているようです。
今月は、今のところ、
3回目まで、話が進んでいます。
私は、演劇については、全くの無知で、
この岡田利規さんという方も、
失礼ながら、知らなかったのですが、
ここまでの話を、乱暴に要約すると、
こんな感じの話です…。
この岡田さんは、
いわゆる「現代演劇」とか、
「実験的な演劇」というのをやっているそうなのですが、
これを、ご本人は、「ヘンテコな演劇」と呼んでいます。
そして、
なぜ自分が「ヘンテコな演劇」をするようになったのか、
ということを、振り返り、分析をしています。
そもそも、最初から、
そういった「ヘンテコ」なものを目指していたわけではなく、
むしろ、
「普通」ということに関心を持っていた、と言っています…。
つまり、
「普通」とは何だろう、と考え続けていくなかで、
気付くと、いつのまにか、
「ヘンテコな演劇」をつくっていた、
とのことです…。
例えば、
「普通の話し方に限りなく近いセリフをかきたいものだ」と考えた末に、
こんなセリフに辿り着いたのだそうです…。
「…大通りに一応、面しているところにあるライブハウスがあってなんかカナダから来たかなーりマイナーなバンドのその日はあれがあって、なんででもそんなのを見に行ってたのかって言うとっていうのはすっごい、でもそのライブよかったんですよすごい、よかったなーっていう、すごいいいライブで…」
岡田さんは、このセリフを、
「普通」だと考えた、といいます…。
「だって私たちは普段、
こんなふうに要領を得ない、冗長な話し方をしていますから」...。
また、
セリフだけではなく、
俳優の演技も「ヘンテコ」なのだそうです…。
それは、
「手足を意味もなくブラブラ、ダラダラさせている。
一種のダンスみたいに見える」ようなものなのだそうです。
「しかし、これも、
『普通』ということを捉えようとしたことの予期せぬ結果であって、
なにも私たちは、
ヘンテコな動きをすることを目指してそうした身ぶりをやるようになったわけではないのです」。
つまり、
「ちょっと観察してみると、日常において人は、案外と意味のない動きをしているものです」。
そして、
そのような「普通」のものが、
舞台上に乗せられると、
ただそれだけのことなのに、
なぜか「ヘンテコ」なものに見えてくる、
それが、とても面白い…。
そんなようなお話でした…。
私は、演劇に関して、何の知識もないのですが、
自分の知っている方面に引きつけるようなかたちで理解し、
大変共感しました…。
というのも、
よく思っていたことがあって、
それは、
考えれば考えるほど、
「普通」のものは、「普通」ではなくなってきて、
むしろ「ヘンテコ」なものになってくる、
ということです…。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10631588.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...