脚本はどこまでの解釈を許容するのか
2012年9月26日
よく、映画の、
撮影現場の雰囲気を語るインタビューなどで、
ベテランの俳優さんが、
多くのアドリブで、現場を盛り上げた、
なんていう話を聞きます。
そういった話を聞くと、
なぜか、勝手に、
監督や脚本家に感情移入してしまい、
嫌だなあ、と思ってしまいます…。
単なる個人的な好みなのですが、
作品世界から、変に浮き上がってしまっているような、
オーバーで、不自然に見える「怪演」をする、
いわゆる個性派俳優さんが苦手だというせいかもしれません...。
でも、多分、
そのように思う、一番大きな理由は、
自分の仕事に引きつけて考えてしまうからではないか、
と思います…。
折角いろいろと考えて描いた図面を、
現場のノリで、
自由に変えてしまわれたら、
たまらないなあ、と思ってしまうからです…。
映画などでは、
監督のイメージや、元々の脚本は、
どこまでの自由な解釈を許容するのでしょうかね…。
ただ、
建築の現場でも、
このようにしたらどうだろう、というような提案が、
現場から出てくることは大歓迎です。
そして、
それを受けて、話し合いながら、
よりよいものにしていく、
というのがあるべき姿のような気がします。
そういったことから、想像して、
映画などの場合でも、
話し合った末に、
その結果として、
自由なアドリブの応酬をしてみたり、
ああした「怪演」をしてみたりしているのでしょうね、
きっと…。
もっとも、
映画や建築の現場は、まだ、
最初に構想した人と、
現場で実際に行う人とが、
話し合う場が存在するので、
問題は少ないのかもしれません...。
そのような場が存在しない場合が、
問題になるのでしょうね…。
ネットの記事で、
指揮者の西本智実さんのインタビューを読んでいたら、
こんな話にぶつかりました。
話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10927395.html
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仲摩邦彦建築設計事務所
ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。
建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...