話が単純すぎる...。

2012年10月5日

近頃、
「決められる政治を」、
なんていう話をよく聞きます…。

その方法として、有力なのが、
物事の決定の仕組みをシンプルにして、
トップリーダーに強い権限を与え、
ある種の「独裁」に近づけることで、
素早く状況に対応して、決断していこう、
ということみたいですね…。

確かに、
素早く決定して、手を打っていくことは、
大事なことなのでしょうから、
いいのですが、
一方で、
国のような大きくて、複雑なものの、決定の仕組みを、
そのように、あまりにも単純にしていくということは、
どんなものなのだろう、と思ったりもします…。

建築などでも、
小さなものであれば、
明確なイメージを持った人間が、
一人で決めていく方がいい場合もあるかもしれないのですが、
規模がどんどんと大きくなっていった場合、
一人の人間にそのようなことが可能なのかどうか、
ちょっと難しいところもあるように思います。

まして、
もっと大きな、
都市計画のようなことになってくると、
一人の人が「独裁」的に決めることには、
かえって弊害のようなことの方が多いのではないか、
などと思ったりします…。

また、
建築の場合には、
つくっていく過程で、
最終的な完成形のようなものを、
割とハッキリと思い描くことになるので、
規模の大小にかかわらず、
多くの人で、
そのイメージを明確に共有しやすいように思います。
そのため、
かなりシンプルな決定の仕組みでも、
不可能ではないのかもしれないのですが、
都市や国家などは、
ハッキリとした完成形、などというものがあるのかどうか、
なんとなくモヤモヤとしていて、
多くの人で、そのイメージを共有するのも難しく、
そんな中で、
少数の人が「独裁」的に決めていく、というのは、
あまりにも乱暴な気もしてしまいます…。

先日、
『ウェブ人間論』という本を読んでいたら、
作家の平野啓一郎さんが、
こんな指摘をしていました…。

「九十年代後半以降のネット検索時代を経ると」、
「情報なんてものは」、
「一部の「専門家」だけじゃなくて、誰でもがアクセスできるし、
そもそもがひとりの手に負えないほど膨大で、
結局は、
選択的に自分の関心のある世界のものだけに手を伸ばすか、
大雑把な全体の把握に努めるくらいのことしかできない
という認識が一般化したと思います」...。

確かにそうだよなあ、と思ったのですが、
この話をあてはめてみると、
国のトップリーダーに大きな権限を与えて、
「独裁」的に、多くのことを決定する、というのは、
確かに、効率はいいのでしょうが、
そもそも、その「独裁」者は、
「自分の関心のある世界のものだけ」しか知らない人か、
あるいは、
「大雑把に全体の把握」をしているだけの人か、
ということですよね...。

そのような人が、
「効率よく」決定したことって、一体何なのでしょうね…。

本来複雑なものを、
あまりにもシンプルな仕組みで、
効率よくつくってしまうことに、
本当にいいのかなあ、と疑問を感じてしまったりもします…。

まあ、
政治の話は、全然詳しくありませんので、
それでは、どうやって決めればいいのか、代案を出せ、
などと詰め寄られても困りますので、
ちょっと外野からヤジを飛ばすだけにして、
早々に話題を変えることにします…。

こういった議論を聞いていて、
何となく思い出したのが、
建築家クリストファー・アレグザンダーが、
1965年に発表した、
大変有名かつ重要な論文(だと思う)、
『都市はツリーではない』
です…。

話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10937901.html

仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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