説明なしに、感動...。

2012年10月30日

学生の頃の話なのですが、
当時教わったある先生が、
こんな風なことを言っていました...。

「なんの変哲もない、
四角い箱のような建築でも、
非常に深い思想が込められている、
素晴らしい建築がありうる」…。

どのような文脈で、
このような言葉が出て来たかと言うと...。

設計の課題で、
建物全体を歪めてしまって、
無理矢理のように、面白いかたちをつくり出そうとしていた、
ある学生に対するアドバイスとして、その先生は、
そのような無理な設計では、
いい建築を生み出すことは出来ない、
という話をされ、
そして、
冒頭の言葉につながっていきました…。

私は、横で聞いていて、
へー、そういうものかな、とも思いましたが、
一方で、
何となく、違和感も持ってしまいました…。

その場では、うまく考えがまとまらなかったのですが、
後々、よく考えてみると、
その違和感の原因は、
だいたい、こんな感じのことだったのではないか、
と思いました…。

つまり、そもそも、
その「なんの変哲もない」建築は、
「素晴らしい建築」と言えるのだろうか、
ということです…。

その「なんの変哲もない」建築は、
それを観たり、実際に使ったりするだけでは、
それが「素晴らしい建築」であるかどうかは判断出来ず、
その「非常に深い思想」を聞いてみて、はじめて、
それが「素晴らしい建築」だということを理解出来る、
ということになるのではないかと思いました...。

しかし、
そのようなあり方というのは、
果たして、どうなのだろうか、という違和感です…。

これは、
絵画や音楽などに置き換えてみると、
わかりやすいのではないか、と思います。

例えば、
ある絵を観たり、曲を聴いたりしただけでは、
その絵なり、曲なりの素晴らしさは、
イマイチ理解できないけれども、
解説を聞き、
その見方、感じ方についての説明を受けて、はじめて、
「素晴らしい」ということになるような作品は、
果たして、
名画、名曲、名演、ということになるのか、
という疑問です…。

そのように、
説明を介してはじめて理解出来る作品というのは、
純粋に、絵画や音楽として、
素晴らしい作品ということになるのでしょうか…。

本当に素晴らしい作品というのは、
そうした予備知識が無くても、
観たり、聴いたりしただけで、
感動出来るようなものではないでしょうか…。

まあ、
そんなような疑問を感じてしまったわけです…。

話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/10967306.html

仲摩邦彦建築設計事務所

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仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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