フィンランドの旅② -アアルトと近代・現代建築編 -‐1300‐
2016年8月21日
フィンランドの旅② -アアルトと近代・現代建築編 -‐1300‐
前回は8月12日(木)の夜、フィンランド第2の街、タンペレに着いたところまで書きました。
8月13日(金)の朝、タンペレを発ったのですが、駅前通りには前衛的な建築物がありました。
用途は分かりませんが、フィンランドにはこのような自由な空気があります。
髪の毛を、ピンク、グリーン、オレンジに染めている女性を沢山みました。
良いか悪いかは別にして、タトゥーや全身にピアスを付けている若者が、とても多いのです。
1時間半ほど電車に乗り、9時半頃ポリという街に到着しました。目的はアアルトの代表作、「マイレア邸」に行くため。
この日は残念ながらかなりの雨でした。
前日、セイナッツァロのタウンホールで会った、26歳の青年とも電車で再会しました。
また、大分から来たという女性2人も同じ電車で、タクシーをシェアすることにしたのです。
「夏の家」は名作に多い、「小さいな」という印象でした。「マイレア邸」は全く逆。豪邸でした。
1939年の完成なのでアアルト初期の代表作と言えます。
ガイドツアーを予約していたので、1時間程時間がありました。
本降りになってきたので、この有機的なフォルムをしたポーチで、旅や建築の話をしていたのです。
玄関の小窓は繊細なデザインです。
いよいよガイドツアー開始で、ドアが開きました。
玄関すぐにあったトップライトを撮りましたが、内部の撮影は不可とのこと。
マイレア邸は、現在も実際に暮らしており、人が居ない時だけ公開されているようです。
正直、とても残念でしたが、絵画も、カンディンスキー、ブラック、ミロと本物が飾られ、見せて貰えるだけで有り難いと思わなければなりません。
しかしやっぱり残念。
この日は、ヘルシンキまで3時間半掛けて電車で戻ったのです。
8月14日(土)も朝から雨で、昼からヘルシンキ市内を回りました。
市内西部にある、テンペリアウオキ教会は、岩をくりぬいて建てられて教会で「ロックチャーチ」と呼ばれます。
スオマライネン兄弟の設計によって、1969年に完成しました。
内部は圧巻です。
特別なしつらえなど無くても、岩の壁に囲まれ、全周から光が差し込めば、荘厳意外の言葉が見当たりません。
お椀のような屋根の周りが、360度トップライトになっているのです。
それを支えるのは、よく見ると薄い鉄筋コンクリートでした。
あまりの薄さに目を疑いましたが、近代建築の粋を集めた空間と言えるでしょう。
市内中心部にも、現代建築の教会があります。
カンピ礼拝堂は、設計事務所K2Sの設計で2012年に完成しました。
内壁、外壁とも木でできており、ロック・チャーチとは対極の素材です。
しかし、コンセプトは非常に似ています。
何かを付け加える訳でなく、徹底的に削ぎ落としたデザインです。
例えば、ミラノのドゥーモの装飾をみて、凄いと言わない人は居ません。反対にシンプライズされた建築には、様々な解釈が可能です。
日本でも国立競技場の騒動があったように、多くの批判も起り得ます。
2つの教会も、おそらく賛否両論があったでしょう。
その中で、こうして実現に至っていることに、この国のデザインに対するキャパシテーを感じるのです。
現在でも誕生100年という若い国で、北欧デザインの先駆者として活躍したのが、アルヴァ・アアルトに他ならないのです。
そのアアルトを巡る旅もいよいよ最終日になりました。
残すはアトリエと自邸だけ。郊外の高級住宅街まで、トラムで20分程でした。
1956年完成のアトリエが見えてきました。
私の心をもてあそぶように、曇ったり、晴れたりの一日でしたが、何とか日が差してくれました。
私にとっては一生に一回かもしれないアアルト巡礼なのです。
現在でも、アアルト基金の人達がこの製図室で働いていました。
当時はT定規。私にとっても懐かしい製図道具です。
そして、庭に対して湾曲した壁をもつアトリエは、羨みたくなるような空間でした。
「ここで働いたら、いい仕事ができるだろうな」と。
誇らしげにアアルトデザインの照明が。
木製の模型もありましたが、この大きなプロジェクトになると、アトリエ一杯の模型が作られたようです。
ペンキ補修をしているお姉さんはご愛敬として、円形の庭へ目線が誘われます。
所員と家庭的な付き合いを望んだアアルトは、この中庭を屋外劇場として様々な用途に使ったそうです。
そして最後は、1935年完成の自邸です。アトリエから歩いて15分程。
レンガの質感がすけるような白のペンキ仕上げは、アアルトの好んだ表現です。
アトリエが出来るまでは、ここが仕事場も兼ねていました。
アアルトが実際に、家族4人で暮らしたリビングです。
どう表現すれば良いのか、アアルトの優しさが溢れています。
建築、家具、照明等、彼の手に掛かれば、優しく、可愛げに、形を変えていきます。
しかし決して過剰ではないのです。
長く、暗い北欧の冬を楽しく過ごすため、家具はカラフルにデザインされました。
アルネ・ヤコブセンのアンツチェアやセブンチェアに代表されます。
また光源が目に入らず、食べ物が美味しく見え、かつ部屋が明るくなるようにデザインされがのがPHランプ。
ポールヘニングセンの作品です。共にデンマーク出身。
フィンランドはヨーロッパの北東端にあり、現在でも、国民は500万人程です。
様々な国に支配された歴史もあり、誤解を恐れず書けば、弱小国家と言えます。
その小国から、ヨーロッパ、アメリカと世界に影響を与えた、国民的デザイナーは皆の希望の星だったはずなのです。
アアルトは、建築においては世界最高レベルにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で教員を務めたことがあります。
しかし、最終的にはヘルシンキに戻ってきます。勝手な想像ですが、アメリカの空気、もっと言えばコマーシャリズムに合わなかったのではと思っています。
優しさ、フィンランド、キャンティを愛したのがアアルト。とにかく空間が暖かいのです。
この旅で一番感じたのは、目だった産業がある訳ではない、フィンランドのデザインは、日本の本気度をはるかに上回るものだと言う事です。
もし、日本経済の裏付けがなかったとしたら、日本人建築家がここまで活躍できたのだろうかとも思うのです。
そして、私がアアルトの空間が本当に好きなのだと確認できました。好きすぎて、最長の日記になってしまいましたが。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...