彼女は17年前の私‐1555‐

2019年1月24日


彼女は17年前の私‐1555‐



 先週まで、大学4回生の男の子が手伝いに来てくれていました。



 夜は飲食店のアルバイトをしながらで、大変そうな時もありましたがよく頑張ってくれました。

 また、2月からもオープンデスク生を1人受け入れます。

 1日で辞めた学生も含めて、70名程を受け入れてきました。その卒業生の1人から手紙が届きました。

 彼女は働き始めて6、7年目になったと思います。設計の仕事に就いており、時々手紙をくれるのです。



 年末年始にカンボジアを訪れ、アンコールワットなどを見て回ってきたとありました。

 彼女の手紙は、いつも丁寧な文字でしっかりと書かれています。

 設計者として建築の考察、またスケッチが描かれていることもあります。

 写真も同封されており、「懐かしいなあ」と思いながら手紙を読ませて貰ったのです。



 私がカンボジを訪れたのは31歳の時でした。

 当時、酷い鬱に苦しんでおり、どんな経緯で海外へでたのかは、この日記の1000回目に書きました。

 宿を取らずに海外へでたのは初めてで、タイ、カンボジア、ベトナムをあてもなく放浪しました。



 まずはバックパッカーの聖地、バンコクのカオサンロードで安宿を探し、ビザなどを取得していきました。



 アユタヤなども回りながら旅の試運転を終え、カンボジアへ向かったのです。



 アンコール・ワット観光の拠点となるのは、シェムリ・アップという街です。

 観光で潤っていることもあり、治安がよく温暖でリゾート地の雰囲気もあります。

 「微笑みの国」タイと言いますが、カンボジア人はさらに優しく穏やか。

 仕事に疲弊し、ボロボロの状態で海外へ出た私にとって、まさに救いのオアシスでした。

 この街で少しゆっくりすることにしたのです。



 アンコール・ワット、アンコール・トム、タ・プローム等、遺跡群は全て回りましたが、時間だけはあるのがバックパッカーです。

 また観光地とはいえ、遺跡以外は何もありません。

 仕事が欲しいカンボジアの若者は、「日の出が世界一美しいから見にいこう」と売り込んできます。



 で、世界各国の観光客が、遠くにトレンサップ湖だけを望む、何もない平原で日の出だけを見るという構図です。

 卒業旅行に来ていた女子大生が、「40kmくらい先に、ベンメリアという秘境の遺跡があるらしいんですけど、皆でいきませんか」と声を掛けてくれました。

 トラックを1台チャーターしてきて、皆で割り勘。海外で会う日本人女性は行動力の塊です。

 砂埃を巻き上げながら走るトラックの荷台で、1時間ほど揺られたでしょうか。



 ベンメリアは外国人へ開放されたばかりで、内戦時の地雷も残っているので、不用意に道から外れてはいけないと言われました。

 また、少し街を離れると悪名高いポル・ポト派の残党がでるとの話しもありました。

 旅の危険自慢ほど下品なものはありませんが、正直、好奇心に勝てませんでした。



 熱帯の木々の強い生命力と、建築の最期を見せつけられたのです。



 当時は写真に重きをおいておらず、持って行ったカメラは「写ルンです」を3つだけ。

 残っている写真は僅か数枚で、勿体ないことをしたなと思います。

 しかし旅は体感が全て。その方が良かったのかもしれません。



 その後ベトナムへ向かいました。

 経済発展が著しいと聞きますが、当時は社会主義国独特の雰囲気がありました。



 ホー・チミンのゲストハウスの屋上から、市街地で上がる旧正月を祝う花火を見ました。

 そして「結局自分には建築設計しかないんだ」と日本に戻ることを決めたのです。



 私が訪れた時から17年が経ちました。

 変わったところも沢山あると思いますが、トレンサップ湖の水上生活者や、バイヨンビールの味はそんなに変わらないのだと思います。



 この旅の中で、自分が写っている写真が2枚だけありました。

 ベンメリアか、その近くの街で子供と撮った写真だったと思います。

 彼女の手紙には、エネルギーのある20代のうちに行っておこうと思ったとありました。

 当時の私と2つ歳の差はありますが、仕事の壁にぶつかり、社会の軋轢に悩み、今後の人生のことを考える年齢だと思います。

 年長者として、同職の先輩として達観してみている訳ではありません。

 誤解を恐れず言えば、彼女は当時の私です。

 彼女のことを十分理解しているとか、凄く分かっているという意味ではありません。

 人はそんなに変わらないし、自分だけが特別なことなど殆どないと思っているのです。

 ゲーテがモチーフとしたように、若いということは悩みが多いということです。

 多くの選択肢がある、可能性があるから悩むのです。

 反対に、決めるということは他の選択肢を捨てるということです。

 捨てるということは決してネガティブなことではありません。これが31歳の私と今の私の違いだと思います。

 人生は一本道です。折角みつけた目の前の道を、一歩一歩進んでいくしかありません。

 だから一休和尚は「迷わず行けよ」と励ましているのだと思うのです。

 この世にタイムマシンはありませんが、彼女の手紙が、ひと時、私を17年前のベンメリアに連れていってくれたのです。



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「回遊できる家」放映

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇

建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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株式会社一級建築士事務所アトリエm

プロフィール

株式会社一級建築士事務所アトリエm

夢は必ず実現する、してみせる。

一級建築士  守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...

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