震災復興公園

2013年8月31日

1923年(大正12年)9月1日の、
関東大震災は、
東京に、とてつもない被害を齎したのですが、
特に深刻だったのは、
地震が原因で引き起こされた、
火災による被害であったのだそうです…。

そうした状況を受けて、
東京を復興させるにあたり、
もしもまた、同じような災害が起こった時に、
いかにして、火災による延焼を防ぐか、というのが、
とても重要な課題となっていたのだそうです…。

そこで、

帝都復興事業の一つとして、

耐震化・不燃化した、鉄筋コンクリート造の小学校と、

延焼を防ぎ、避難場所の役割も持たせた、小公園を、

セットでつくり、

それ自体を、防災都市のシンボルにする、という、

計画が立てられました…。

焼失地域の全てに、
このような、小学校と小公園のセットを建設しよう、
という壮大な計画は、
それ自体、
大変画期的な構想だと思うのですが、

さらにすごいのは、
実際に、その壮大な計画を、

東京市内、52箇所で実現させた、ということで、
その実行力が、また、
大変なことではないか、と思います...。

担当となった、東京市公園課は、
課長の井下清の元、
短期間で、多くの公園用地の買収を進めるとともに、
近代的で、合理的な、
新しい公園像を示すことも、その理念の一つとして、
ヨーロッパを視察し、
その成果を、
これらの「学校公園」の設計に注ぎ込みます…。

こうした志の高さが、
今、眩しい感じがしてしまいます…。

しかし、
このように、
画期的な計画によって実現した『学校公園」...、

その後、
ほとんどすべてが、

取り壊されたり、改修されたり…。

とうとう、今では、
原型をのこしているのは、

わずかに、この一つ、

元町公園だけとなってしまったのだそうです...。











話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/11294487.html

仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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