世界一安全で、美しき国‐1370‐
2017年4月18日
世界一安全で、美しき国‐1370‐
↑公式ブログへリンクしています。
連休明け、京都で新しいオフィス計画の工事が始まります。
空間の中央に緑があり、吹抜けで2階、3階がつながる開放的なオフィスになる予定。
金額調整が終わり、工事請負契約に立ち会うために京都へ向かいました。
4月上旬が寒かったからか、未だに大川の桜も満開です。
伏見区の施工会社にて、無事契約が交わされました。そこで、地鎮祭は近くにある城南宮にお願いしようとなりました。
城南宮のwebサイトにはこうあります。
平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。
契約日にこれ以上の神社はないだろうと、クライアントと参ってきました。
方除大祭のためか、甘酒が振る舞われています。
御所の表鬼門を守っているのが比叡山延暦寺なら、裏鬼門を守っているのがこの城南宮なのでしょう。
平安後期、白河上皇や鳥羽上皇の離宮でもあったことから、庭園がとても美しい神社です。
しだれ梅で知られるようですが、さすがにこの陽気では終わっています。
現在はしだれ桜が満開でした。
利休の師、武野紹鴎は「桜は塀の外に植えよ」と教えました。
太い幹を見せないほうが、より美しいからです。
枯山水に、淡い桜がかかる景色は見事なものでした。
これは「みつばつつじ」という樹。赤紫の細やかな花が咲き乱れています。
来春は、是非しだれ梅を見にきたいものです。
城南宮から少し西へ行くと、鴨川にかかる小枝橋があります。
その近くに、鳥羽・伏見の戦いの碑が立っています。
その石碑をみていると、上品な感じの女性がでてきて、声をかけてくれました。
「鉄砲の玉の跡があるのだけれど、見ていきますか?」
右の石段を降りると、門柱に食い込んだままの鉛の玉が残っていました。
1867年の大政奉還後、新政府を樹立した薩摩、長州、土佐藩と旧幕府軍が争ったのが戊辰戦争。
1868年、その口火を切ったのが鳥羽・伏見の戦いです。
緒戦から敗北となった旧幕府軍は、日本列島を北東に押し込まれながらも抵抗を続けます。
会津若松における白虎隊の悲劇などを経てさらに後退。1869年に降伏し、終戦を迎えたのが函館の地です。昨夏、長男と訪れました。
激戦の地、五稜郭は日本の初の西洋型城塞でした。
「城塞都市に象徴されるように、ヨーロッパの都市は、血を流し皆で守ってきたもの。街に対する愛情が違う」と言った建築家がいました。
それを聞いたとき、そうかもしれないと納得したことを覚えています。
しかし、この小さな日本。都市のほぼ全てが戦争跡とも言えます。同じく多くの血が流され、その土地の上で私たちは生き、暮らしているのです。
今の時代、安心して旅行に出掛けられる国が、世界中を探しても日本しかないというこの現実。
小枝橋のたもとで咲く桜も満開。
この国に、桜に、もっと誇りを持ってもよいのではと思うのです。
先の上品な女性が別れ際に「どこからみえたの?」と聞かれました。
「大阪です」「京都です」と答えました。
少しだけバツが悪かったのですが、この誇らしき国はいつも身近にあるのです。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...