「ほんもの」と「いかもの」‐1425‐
2017年10月28日
「ほんもの」と「いかもの」‐1425‐
今日は昼から、上京区で進めているオフィスビルの現場へ行っていました。
この現場は二条城のすぐ北にあります。
大阪の現場からの移動でしたが、少し早くついたので初めて立ち寄ってきました。
堀川通りに面する東大手門は、いつも観光客であふれているのが車からみえていたのです。
二条城は1603年、徳川家康によって築城された平城です。
本丸には5層の天守閣がありましたが、1750年の落雷で焼失しています。
よって、いわゆる城らしい佇まいは濠を残すのみ。
今年は「イヤダロナ」で覚えた大政奉還から150年。
徳川慶喜が天皇家に行政の権限を戻すと宣言したのが二条城です。
まさにここから近代が始まったのです。
東大手門から入り、西に進みます。
唐門をくぐると、二の丸御殿が正面にみえてきます。
唐門のきらびやかな彫刻は、日光東照宮を彷彿させます。
しかし、他の建築と比べると多少違和感を覚えるのも事実なのです。
二の丸御殿の正面に立ってみます。
手前に見えるのは車寄せ。牛車で入れる大きさになっており、檜皮葺きは神社建築を思わせます。
その奥の高い大屋根は遠侍と呼ばれる棟。
瓦屋根は、日本建築の迫力をもっとも感じさせるもの。
妻面には大きな菊の御紋が施されています。
これは天皇家に敬意を示したものでしょう。
残念ながら内部の撮影は禁止でした。
二の丸御殿は、多くの棟が雁行しながら繋がっています。そのすべてが世界遺産であり、国宝に指定されています。
その中央あたりにある大広間が、大政奉還の実際の舞台となったところです。
棟の前に中庭があり、写真を撮ってみるとそのケラバにも菊の御紋がみえました。
しかし、さらにその上の鬼瓦には葵の御紋が。みてとれるでしょうか。
当然ながら、葵の御紋は徳川家の家紋。
このあたりに、歴史、建前、プライドが見え隠れして、とても面白いのです。
建築家・磯崎新の『建築における「日本的なもの」』という著書に、以下のようなことを書いています。
ブルーノ・タウトという建築家が、伊勢神宮、桂離宮を天皇的で「ほんもの」とし、日光東照宮を将軍的で「いかもの」と表現した。
磯崎はこれらを、ハイアート、キッチュと区別しています。
270年の平和を築いた徳川家を、馬鹿にしたい訳ではありません。しかし、こと建築においてはブルーノ・タウトの説を支持したいのです。
今日、プロ野球のドラフト会議が開かれました。
高校生スラッガー、早稲田の清宮幸太郎選手は7球団からの指名があり日本ハムが交渉権を引き当てたとニュースにありました。
過去のドラフトでは8球団からの指名が最高で、その1人が野茂英雄です。
彼が本物であることは説明の必要はありません。
多くの球団が指名したとしても、大成していない選手もいます。
「やっとスタートラインに立てた」というコメントが載っていましたが、868本以上のホームランを打ち、是非、本物中の本物になって欲しいものです。
もちろん、人のことを心配する前に、自分の精進、自社の精進です。ハイアートを目指すしかありません。
「ほんもの」と「いかもの」が混在する場所。二条城はとても面白いところだったのです。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...