日本最古の「道」‐1530‐
2018年10月31日
日本最古の「道」‐1530‐
日曜日は、気温が20℃前後で快晴。いわゆる絶好の行楽日和でした。
「色んなところに行き過ぎて飽きた」と、娘は近頃あまり外出したがりません。
「遊園地、かつ丼、本を買ってあげる」で誘えば来てくれるのですが、いつもそれでは芸がない。
この日はにゅう麺+参拝で誘ってみたのですが不発でした。
よって、最高の行楽日和にひとりで大神神社(おおみわじんじゃ)へ。
奈良の桜井にある大鳥居は知っていましたが、おそらく初めての参拝です。
「古事記」「日本書紀」にも記され、日本最古の神社とも言われます。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、三輪山に鎮まることを望まれたため、左に見える三輪山自体がご神体となっているのです。
その読み名の通り、三輪素麺で知られる三輪にあります。
素麺発祥の地とも言われるだけあり、二の鳥居のすぐ横に店がありました。
鳥居をくぐり参道を進みます。
神殿はないので、こちらが拝殿。
檜皮葺きの屋根の下に、光る菊の御紋。
陰と陽、自然と建築の見事なコントラストを見せてくれます。
神社も最古なら、最古の道と言われるのが「山の辺の道」。
三輪から奈良へ至るものでしたが、現在は天理あたりまでが遊歩道として整理されているようです。
途中に多くの神社や古墳があり、飽きることがありません。
10年以上前、あるクライアントが「春先にこの道を歩くのが一番好きなんです」と言っていました。
大阪や京都にない、古都・奈良らしい風情を感じます。
古の人々の息遣いが聞こえてくるような気さえしてくるのです。
オレンジのコスモスが道に張り出していました。
花は自らの花粉を運んで貰うため、これほどまでに美しく咲き誇るのです。
今度は家族で天理まで走破したいのですが、娘は歩くのを一番嫌がり……
何かプラスアルファの魅力を探さなければなりません。
三輪素麺の老舗、「池利」が直営する千寿亭がすぐそばにあります。
ここのにゅう麺で誘ってみたのです。
社長の息子2人がスキーの古い仲間で、ずっと前に一度内装だったかの相談に乗ったことがあります。
おそらくそれ以来なので、久し振りに食べてみたかったのですが、またの楽しみです。
大阪へ戻るために桜井から169号線を北に走ります。
何とものどかな夕景ですが、この山裾に日本最古の道は生まれました。
20世紀初頭、仙台に留学してきた魯迅は、中国に戻り「阿Q正伝」などを発表します。
短編小説「故郷」にはこのような言葉があります。
もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。
道は先人が作ってくれたものです。
その道を有り難く利用させて貰うのですが、実業の世界では、優秀な人がその道を最も上手く使います。
舗装された道を、高性能の車で走るイメージですが、こういった人達がエリートと呼ばれる人々です。
自分がエリートでないなら、道なき道なのか、獣道なのか、人が通りたがらない道を行くしかありません。
舗装道路を行くのでは、高性能の車には敵わないからです。
格好をつけるつもりはありませんが、自分がエリートであるかないかは、分かっているつもりです。
一休和尚の言葉ではありませんが、踏み出せばその一足が道となります。勇気をもって踏み出すしかないのです。
帰路の際、屋根が印象的な天理市役所を通りすぎました。
この近くに、昔「彩華ラーメン」の屋台があったよなあ、と思いながら走っていると、西名阪の天理IC近くにその屋台が見えました。
懐かしいなあと思いながら、渋滞の車窓から見ていたのです。
出掛けるということは、道を行くことです。そうすれば色んなことが起ることを、何とか娘に伝えたいのですが。
『道』一休和尚
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となる
迷わずゆけよ、ゆけばわかる
■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...