白川郷でみた「結」の本質‐
2017年3月27日
白川郷でみた「結」の本質‐
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先日、岐阜の荘川高原スキー場に行っていました。
東海北陸道の高鷲インターを過ぎ、ひるがの高原サービスエリアの次のインターチェンジが荘川。
かなりローカルな感じのスキー場ですが、ここにしたのには理由があります。
ひとつは、久し振りにスノーボードをするためです。
長男に水をあけられたボードですが、私の練習のため、広く、すいているところがよかったのです。
まだ時々こけますが、娘のボーゲンにはついていけるようになりました。
ようやく長男と同じくらいまできたでしょうか。
なんとも昭和の匂いがするレストハウス。
このほうが落ち着くのは昭和45年生まれなので当り前か。
席の確保に苦心する必要もなしで、気楽に午後2時まで滑りました。
ただ「シニア券(50歳以上)」の表記にたじろいでしまいました。
もう数年で、ついにシニアなるというのが現実なのです。
荘川まで北上してきたもうひとつの理由は、白川郷に寄るためです。
前回白川郷に来たのは2008年の秋。娘が生まれて半年くらいでした。
家族で47都道府県制覇を掲げていますが、いずれも4人で回るのが前提です。
今年の夏休みには達成できそうですが、その次は日本の世界遺産制覇にしようと思っています。
私は満足しているけれど、子供には記憶がない。
これでは目的を果たしていないので、記憶にないところは、再訪しなければと思っているのです。
夕方3時半に着きましたが、この時間でも続々と観光客が訪れます。
私達もそのひとりですが。
2008年にも訪れた、明善寺の庫裡に入ってきました。
1階には囲炉裏があります。
電気やガスなど無い時代、寒い冬は炉を中心とした暮らしがありました。
内部は5層構造になっており、中央はすのこ状の床になっています。
囲炉裏の暖気が登ってきて、茅葺屋根の内部を燻します。
それらは、虫を駆除する役目もはたしているのです。
また、茅葺屋根なので、窓は妻面(屋根のかかっていない側面)にしかありません。
光はより貴重なものだったでしょう。
2~4階はカイコを養殖する空間です。
長い冬、大きな屋根裏を養蚕工場として活用されていたのです。
1階にあるこの囲炉裏は暖をとるだけのものではなく、全ての中心でした。
茅の葺き替えは、片面だけで1千万円以上かかるそうです。
また、100人から200人の人手も必要になってきます。
その膨大な人出は、「結(ゆい)」という労働交換によってまかなわれます。
豪雪地帯である白川村は、長く他の地域と隔離されるため、それぞれの家庭だけで生きていくことは不可能でした。
互いが助けあうことが、どうしても必要だったのです。
「結」は日本各地にありました。沖縄では「ゆいま~る」です。
「結」という思想は、農業国であった日本の原風景といえるのです。
彼岸をむかえ、茅葺きの屋根からは雪解け水が茅の1本1本からしみ出し、滴となってしたたり落ちます。
村内に張り巡らされた水路の流れは、春の訪れをしめすよう。
本格的な春を迎える彼岸は、現代とは比べられない程、待ち遠しいものだったのではと思います。
現代社会が失ったものを、簡単に断ずることはできません。
しかし、若者の「まずは自分の権利があってこそ」という姿をみて、果たしてそれでよいのだろうかと思います。
その時間そこにいれば、今度の葺き替えの時に手伝って貰える訳ではありません。
役にたってこそ、屋根を葺いてこそなのです。
もし手伝って貰えなければ、その先にあるものはたったひとつなのですから。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...