人は違う。でもそんなに変わらない。‐1517‐
2018年9月14日
人は違う。でもそんなに変わらない。‐1517‐
大阪近辺での打合せなら、阪神高速を使う確立が高くなります。
首都高速程ではないにしても、通勤時刻は結構混むもの。
会社近くを通るのが14号松原線ですが、駒川入口あたりも渋滞ポイントです。
それで、早めの出発を心掛けていますが、1号環状線ををぐるっと回るだけでも、名物建築が色々見れます。
松原線に乗るとすぐに見えてくるのが、あべのハルカス。
高さ300mは現在日本一。
そのまま、なにわのエッフェル塔・通天閣のすぐ東を通り抜けます。
高さは103m。
環状線は、時計回りの一方通行。JRの環状線の更に内側にあります。
その1号環状線と14号松原線が合流するあたりにあるのが湊町リバープレイスです。
八角形の建物内には、FM大阪もはいっています。
御堂筋と交差する位置からは、ナンバ・ヒップス。
昨年、食事を2度ご一緒させて頂いた高松伸さんの作品です。
環状線は大川を越えるあたりから、右に大きくカーブ。
北に見えているのが梅田エリアです。
高層ビル群の先駆けとなったのが大阪マルビル。高さは約124mで、1976年の完成です。
東に向きを変えた環状線は、中之島の北を走ります。
民の町・大阪のシンボルは中央公会堂。その存在感は、やはり抜きんでているのです。
この日は12号守口線で、北へ向かいました。
ついでにと言えば怒られますが、分岐点あたりにあるのが、私が設計した「seiundo」の入る、北浜一丁目平和ビルです。
扇町には、キッズプラザ大阪の入るこの建物。
大阪市環境局舞洲工場の設計で知られる、フンデルト・ヴァッサーの設計です。
阪神高速、大阪建築ツアーはいかがだったでしょうか。
12号守口線の城北インターで降り、さらに地道を北上すると、阪急電車が見えてきました。
京都線の上新庄駅と相川駅の間で、神崎川の上を通過しています。
中学・高校の間、この橋の上からずっとこの川を眺めていました。
小学校から上がったばかりの頃、「いつか相川駅で降りて、釣りに行ってみたいなあ」などと思っていたのです。
6年間も時間があったのに、それは一度も叶いませんでしたが。
日々というものは、まさに電車に乗っているようなもの。「降りてみたい」と思ったら、すぐに行動しなければ、実現することはありません。
また、角度、方向が違うと全く違う場所に見えるものです。
私が毎日毎日見ていたあの場所だと、初めは全く気付かなかったのです。
見る人の視点によって、全く違う景色があることを、今ならようやく理解できます。
反対に、自分だけが特別な訳はないので、相手、他者も同じような、期待や不安を持っていることも、何とか想像できます。
この相反する単純な真実が、未来をイメージする上で、とても重要だと考えています。
こんなことを、学生に熱を入れて話していると、多くの学生は目が泳ぎ出します。それで「ああ、言い過ぎたんだな」と分かるのですが。
人は違います。でもそんなに変わらない。
これは私の人生哲学ですが、それぞれをフォーカスすると、それは間違っているという言い方もできるのです。
なので、目的の「ある」「なし」が大切です。
それがあれば、哲学はそこへ向かう道具となります。それが無ければ、間違い探し、出来ない探しを始めるネタでしかなくなると思うのです。
■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...