天才の勤勉と孤独‐1244‐
2016年2月5日
天才の勤勉と孤独‐1244‐
現在、グランフロントで「ダ・ヴィンチ展」が開催中です。
芸術家、科学者、技術者としてもすぐれた、言わずと知れたルネサンスの天才。
彼の手稿(メモ書きのようなもの)が精巧に復元され、多数展示されています。
自画像のデッサンを見ると、異次元なのだと理解できます。
展覧会のwebサイトに、彼の言葉が載っています。
「簡単でいいのでメモを取る。その為に、小さなメモ帳をいつも持ち歩く」
同じレベルでは描けないまでも、これはすぐに真似出来ます。早速、小さなメモを買いました。
彼の考えたヘリコプター等、多くの模型が展示されていますが、メインはやはりアンドロイド。
目の動きなど、今まで見たなかで、最も精巧でした。
現実に働く、人型ロボットが生まれる日が、確実に近づいていることを実感します。
それが人類の幸せに貢献するものであることを祈るのみです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村のレオナルド。
言わば「村の天才」という意味です。生家の写真がありましたが、なかなかに恰好のいい建物でした。
彼はここで庶子として生まれ、祖父の元で育てられました。
ヴィンチ村はフィレンツェ近郊の村です。
15世紀中頃、フィレンツェは隆盛を極めていました。
この街でヴェロッキオに師事し、芸術家としてのスタートを切ります。
しかし、横暴な政治を行っていたメディチ家を、ダ・ヴィンチは嫌っていたようで、活動の拠点をミラノに移します。
花の都には劣るもの、繊維産業や兵器産業が盛んなミラノで、画家として、技術者として、徐々に仕事を得て行ったのです。
2012年に訪れた際、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィェで「最後の晩餐」を観ました。
完成まで3年の時間を要しています。
彼は完璧主義の為、作品として残したのは十数点にすぎません。その意味でもこの大作は貴重だと言えます。
1995年、24歳の時にルーブルで「モナ・リザ」をみました。
感激で心震えた、と言えれば良いのですが、第一印象は「意外に小さいんだな」というもの。
しかし、当時も天才の本物を観たいと思っていたのです。
ダ・ヴィンチは、溢れる才能と、繊細な神経ゆえ、人に心を悟られるのを嫌い、鏡文字を書いたそうです。
こんな言葉を残しています。
「独りでいる時、人は完全に自分自身になれる。ところが、たった一人でも連れがいれば、自分の半分になる。連れの言動が思慮に欠けるものであれば、それにより、さらに自分は減るかもしれない」
この展示会では触れられていませんが、後年、彼の回りには、常に若い男が居たことや、男色の容疑を掛けられたことがあることから、ホモセクシャルだったのではと言われています。
独りを愛し、鏡文字を書く天才。孤高という言葉がしっくり来ます。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」
太宰治が引用したフランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの一節ですが、少し分かると言えば、失礼でしょうか。
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...