アール・デコ

2013年8月23日

吉田鋼市『アール・デコの建築』を読んだのですが、
近代の建築で、
クラシックとモダニズムの間の建築は、
ほとんど全て、「アール・デコ」である、
というぐらいに、
「アール・デコ」というものを、
拡大して解釈していたのが、とても面白かった...。

以前に読んだ、別の人が書いた本では、
日本の「アール・デコ」の建築は、
東京都庭園美術館、ただ一つ、
ぐらいに、狭く解釈されていたのですが...。

この本では、
フランク・ロイド・ライトも、
「アール・デコ」に含めていますし、
日本の建築で言えば、
そのライトに影響を受けたような、
「表面に縦溝のあるスクラッチタイルを張った建物は、
みなアール・デコといってもそれほど間違いではない」、
とまで書いていました...。





解釈の仕方というのは、本当に様々ですね...。

確かに、考えてみれば、
「アール・デコ」なんていう名前も、
別に厳密な定義があるようなものではないので、
捉え方によって、どうとでもなる、
というわけなのですね...。

「こんなものは、芸術じゃない」とか、
「こんなのは、ロックじゃない」とか、
そういった議論に近いみたい...。

まあ、言ってみれば、
どうでもいいような議論なのですが、
でも、
こういう、どうでもいいようなことが、
一番楽しいんですよね...。





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コンクリート打放し

2013年8月22日

世田ヶ谷区民会館・区役所です...。





1959年・60年に出来た、
コンクリート打放しの建築なのですが、
実際に観ると、
かなりボロボロな感じに見えてしまいます...。






設計した前川國男は、元々、
コンクリート打放しに、
素材としての美を見て、多用していました...。
ただ、やはり、
こうした亀裂や風化、というものに直面し、
もっと時間に耐えうるものにしなければ、ということを感じ、
コンクリートの上に、もう一枚、何かを着せることが必要と考えます。
そして、
「打込みタイル」というものへと移行していきます...。


これは、
建築の耐久性というものを、真面目に考えた結果であり、
非常に良心的な態度だと思います...。

ただ、
今、無責任に、観に行くだけでの感想で言うと、
意見は反対になってしまいます...。

どんなに古くなっていても、
どんなに傷んでいても、
なぜか、
コンクリート打放しの建築の方が、
タイルをまとったものよりも、
圧倒的な、量感のようなものを感じて、
魅力的に見えてしまいます...。

この世田ヶ谷区民会館・区役所もそうで、
確かにボロボロなんですが、
それでも、というのか、
それだからこそ、なのか、
とにかく、
かなりの迫力があります...。





コンクリート打放しは、
仕上げとして、何かと問題も多いような気もするのですが、
それにもかかわらず、今でも、多用されるのは、
こうした、独特の魔力のようなものがあるからなのでしょうね...。

そういった意味では、
今後は、ともかくとしても、
過去の、コンクリート打放しの名作建築は、
何かと大変なこともあるでしょうが、
安易に上から何かを纏ってしまわずに、
このまま、裸で立ち続けて、
何とか、その魔力を維持し続けてほしいものだ、
と思ってしまいました...。

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野方配水塔

2013年8月21日

街並から、頭一つ飛び出すようにして、
ドーム屋根が見えます...。





野方配水塔です...。

中野区のホームページの解説によると、
高さ34メートル、径18メートルの円筒形の中に、
約2000トンの水を貯めることが出来、
そこからの自然降下による水圧を利用して、
周囲の家々に、配水していたのだそうです...。





そのような、
いわば産業施設のてっぺんが、
なぜ、ドーム屋根となる必要があるのだろうか...と、
現代の私たちは、考えてしまいがちですが、
完成した、1929年(昭和4年)の当時から、
この塔が、配水の役割以外にも、
街並から頭一つ飛び出して、
街を特徴付ける、ランドマークになるということを、
設計者は予想していたのです...、
きっと...。

その予想は見事に的中...。

配水の役割を終えた今でも、
もう一つの役割は、依然として継続中で、
ついには、
国の有形文化財にも登録されたのだそうです...。

まさに先見の明、
といったところではないでしょうか...。

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オリンピックの施設

2013年8月20日

駒沢オリンピック公園は、
1964年の東京オリンピックで、
第二会場として利用された施設だそうです...。


こうした、大勢の人が集まる施設は、
何かの大会がある時はいいと思うのですが、
何もない時に、
普通の公園として歩いてみると、
ひどく間延びしてしまっていて、
とても退屈な感じがしてしまいます...。





一つ一つの施設は、
なかなか面白い建築だとは思いますが、
何もない、だだっ広い中に、
ポツンポツンとあるだけなので、
歩いても歩いても、景色が変わらず、
とにかく、退屈で、しんどい...。

暑すぎるせいかもしれませんが...。






いくらなんでも、
そういつもいつも大会を開催しているわけではないでしょうから、
所々に、
普段使いのための、
もう少し繊細な仕掛けがあってもいいのではないのかなあ、
と思ってしまいます...。


大会のための施設と、
普段の公園として楽しい施設、
という二つの面は、
いろいろと工夫をすれば、
割と容易に共存出来るものなのではないか、と思うのですが、
どうなのでしょうか...。


今度東京でオリンピックをする時にも、
また、いくつか、
大きな施設ができるのだろうと思うのですが、
大会が終わった後でも、
楽しいような施設になるといいですね...。

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回転レストラン

2013年8月19日

東京交通会館ビル...。





最上階の丸い部分は、
展望レストランになっていて、
およそ1時間で、
360度、一回転するのだそうです...。





1965年にできたものらしいのですが、
今でも回転しているのかな...。
暑くて、ずっと観ていられないので、
確認出来ませんでしたが...。


どうやら、
学生時代に、大変お世話になった先生の、スジの方が、
設計したものらしいので、
こんなことを言うのも何なのですが、
随分と大掛かりな、
ちょっとバカバカしいようなアイデアだと思います...。

でも、
こういうバカバカしさというのは、
やはり楽しいですよね...。

廻り続けている間に、
一度中で食事をしてみよう、と思ってしまいました...。

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佐伯祐三のアトリエ

2013年8月16日

画家、佐伯祐三のアトリエを観てきました...。





北側に大きな窓をとった、
三角屋根の、なかなか可愛らしい建築でした...。





ところで、かつては、
この、洋風の小屋のようなアトリエの横には、
佐伯祐三と、その家族が暮らした、
和風の母屋が建てられていたのだそうです...。

そして、
保存・整備にあたって、
その和風の母屋は取り壊され、
洋風のアトリエ部分だけが残されたのだそうです...。





で、
母屋があった場所は、
現在、デッキ・テラスとなっていて、
デッキに描かれた線で、
かつての母屋の間取りを表現している、
とのことでした...。

なんとなく、いかにも、
建築設計関係の人が思いつきそうなアイデアだなあ...、
なんて思わないでもありませんが、
アトリエ部分だけにしぼって保存した、
というのは、まあ、仕方ないことなのかな、
とも思いました...。






ただ、少々気になったのは、
ということになると、
デッキ・テラス側の眺めというのは、
かつては母屋の中からの眺めということなので、
本来は、存在しなかった風景、ということになってしまいます...。

そういう眺めが出来上がってしまうのは仕方ないとしても、
施設全体の中で、
なんとなく、そちらがメインの眺めのように、
目立ってしまっていたのは、
ちょっと、どうなのかなあ、と思いました...。

本来、当時の人たちに親しまれていた、
「佐伯祐三のアトリエ」の眺めというのは、
大きな窓がある、北側からの眺めだったのではないか、
と思うのですが、
そちらに廻り込もうにも、
公衆トイレのような建物が建っていて、
気持ちよく観られる環境にはなっていませんでした...。

敷地の制約等々、いろいろとあるのだろうとは思いますが、
この辺りのポイントは、結構重要な事だと思いますので、
もう少し考えてみてもよかったのではないか、
と思いました...。


昔の建築を観にいく時は、
やはり、出来るだけ、
当時の人と同じような目線で、
同じような気分で眺めたいのです...。

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駅前の風景

2013年8月14日

ニュータウンの駅前に出来た、
アミューズメント施設...。





20年ぐらい前、学生の頃に、
完成したばかりの、この建築を、
観に行ったことがありました...。


当時は、
周囲にほとんど何もなかったこともあり、
とてもカッコよく見えたものですが、
今では、広告に埋もれて、
こんな感じになってしまっていました...。





あまりにもゴチャゴチャしていて、
本当にもう、
どうしようもない感じ...。


施設の性格上、
こうなることは、ある程度仕方がないということなのであれば、
建築の方は、
もう少しシンプルなかたちが選択されていてもよかったのではないかと、
今更ながらに、思ってしまいました...。





建築は建築で、大騒ぎしていて、
広告は広告で、好き放題に、喚いていて、
本当にもう...。


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元町公園

2013年8月10日

関東大震災後の、
帝都復興事業の一つとして、
耐震化・不燃化した、鉄筋コンクリート造の小学校と、
延焼を防ぎ、避難場所の役割も持たせた、小公園を、
セットでつくり、
それ自体を、防災都市のシンボルにする、という、
壮大な計画は、
実際に、
東京市内52箇所で実現しました...。

しかし、
この画期的な計画によって実現した小公園は、
その後、ほとんどすべてが、
取り壊されたり、改修されたり、で、
原型をのこしているのは、
わずかに、この一つ、
元町公園だけとなってしまったのだそうです...。





当時の建築表現の、最先端の一つ、
ドイツ表現主義に影響を受けた、
どこか怪し気な、独特の雰囲気で、
実際に行ってみると、
まるで、タイムスリップしたような感じでした...。







しかし、
ただ一つの生き残り、
この元町公園にも、
数年前から、
取り壊して、より実用的な施設を建てる、
というような話が持ち上がったりしているようです...。

最後に残った、たった一つを残しておくこともせずに、
街中をすべて、
実用的なもので埋め尽くさないと気が済まない、
といったような、
驚くほど徹底した、現代の人の考え方には、
ちょっとゾッとするものもありますよね...。


まあ、確かに、行ってみると、
夏休みだというのに、
子供が遊んでいるわけでもなく、
ベンチで昼寝をしている男性がいるだけで、
ほとんど人もいませんでした...。

普段、どの程度使われているのか...。

もしかしたら、こんな調子で、
あまり大勢の人が使っているような場所ではないのかもしれません...。


ただ、考えてみれば、
別に、
子供が遊んだり、大勢の人が利用したりするだけが、
公園の役割ではないでしょうし、
当時の人が考え、表現した、ものを、
現代に、そのまま伝える、という一点だけでも、
立派な役割という気もします...。


今現在に生きる人にとっての便利さだけで、
いろいろなことを判断するのは、どんなものなのか、
と思いました...。


要するに、この公園は、
そんなことを考えさせてくれるような役割を持っている、
ということになるのかもしれません...。





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交錯する一点に建つ

2013年8月9日

「詩人」として有名な立原道造が、
大学を卒業し、
「建築家」として就職したのが、
当時の設計事務所、
石本建築事務所でした…。


しかし、彼は、
その就職から2年後には、
病のため、この世を去ってしまい、
その才能に見合った活躍をすることが出来ませんでした...。


ただ、この会社で、彼は、
タイピストとして働いていた、
水戸部アサイと出会います…。


そして、彼女が、
彼の人生の最期に、
献身的な看護に当たることになります…。





以前に紹介した「ヒアシンスハウス」が、
水戸部アサイと一緒に暮らすために構想した家なのかどうかは、
ちょっとわかりませんが
(個人的には、さすがに二人で暮らすのは厳しいと思います)、
彼の、あまりにも短い、会社員時代が、
辛いことばかりでなかったのは、何よりでした…。


ところで、この、
立原道造が勤めた、石本建築事務所...。
この会社を開設した、

石本喜久治のことを…。





話は、以下に続きます...。
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大塚ビル

2013年8月7日

1920年(大正9年)に、
当時の東大建築学科卒業生6人によって結成された、
「分離派建築会」は、
日本初の建築運動といわれています...。

その中の一人、
石本喜久治が、後に開設した会社は、
大手設計事務所として、
現在でも、存続しているのですが、
石本喜久治自身が設計した建築で、
現存しているものは、
もうほとんどなくなってしまったようです...。

そんな中で、数少ない現存している建築、
大塚ビル(旧白木屋百貨店大塚分店)を、
観てきました...。





1937年(昭和12年)に完成したそうですが、
その後、
かなりの改装・改変が施されているようで、
今では、
もはや原型をとどめていない、
といっていいような姿になっていました...。

ちょっと残念な気もしましたが、
戦前の石本喜久治の建築が、
いまだに生き延びているということだけでも、
大変貴重なことだとも思いました...。





そして、
エントランスホールに入ってみると、
石本喜久治の名前を刻んだプレートが飾られ、
原案のイメージや、竣工時の写真などが、
額に入れられ、飾られていたのも、
この建築へのリスペクトが感じられて、よかった...。





でも、やはり、
将来、また、改装することがあったら、
当初のイメージに、
少しでも近付けるようなものにしてくれたらいいのになあ、
とも思いました...。





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仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

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