カプセル

2013年7月24日

埼玉県立近代美術館は、
学生の頃以来なので、
多分、
20年ぶりぐらいに、行きました...。





当時、なんとなく、
あまり良い印象を持たなかったのですが、
20年ぶりに、
改めて見直してみたら...、
やっぱり、一緒でした...。


美術館がある公園の隅っこに、
中銀カプセルタワービルの、カプセルが一つ、
ポツーンって感じで、置かれていました...。





これって、
私も観に行きましたが、
昨年、六本木ヒルズの森美術館でやっていた、
『メタボリズムの未来都市展』で、
展示されていたカプセルですよね...。
ここに寄贈されていたんですね...。

http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011601001274.html

どうせなら、
もう少し人目につく場所に置いてあげればいいのに...。
放り出されているみたいで、
なんか、かわいそうでした...。

いろいろと賛否ある建築ではありますが、
個人的には、
少なくとも、
同じ設計者による、この美術館の建築より、
はるかに、面白い...。





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浮遊するデザイン

2013年7月24日

『浮遊するデザイン ー 倉俣史朗とともに』展を、
観に行ってきました...。

私が学生だったぐらいの頃には、
インテリアデザイナーの、
スーパースターの一人でした...。

並んでいる家具等は、
今観ても、本当に美しくて、
とてもよい展覧会だと思いましたが、
出来たら、
どこかの、実際に手がけたインテリアを、
まるごと、再現してもらえたりすると、
もっとよかったかなあ...。
体験してみたかった...。
費用がかかりすぎて、難しいのかな...。

http://www.pref.spec.ed.jp/momas/ZT/exhibition.html (続きを読む)

哲学堂

2013年7月23日

哲学堂公園に寄ってきました...。

東洋大学の創立者で、
哲学者の井上円了が創設した、
不思議な「哲学テーマパーク」です...。





赤い、六角形をした、
「六賢台」という建築には、
東洋的哲人として、
日本の聖徳太子・菅原道真、
中国の荘子・朱子、
印度の龍樹・迦毘羅仙の六人を、
「六賢」として祀ってあるのだそうです...。





また、
四角形の、平屋、「四聖堂」には、
東洋哲学の孔子と釈迦、
西洋哲学のソクラテスとカントを、
世界的四哲人として祀っているのだそうです...。

そして、
心を表す円形を柱として、
物を表す方形を建築全体のかたちにして、
云々...。

といったように、
一つ一つの造形に、
井上円了の、深い哲学的なテーマが、
こめられているのだそうです...。





この辺の思想については、
あまりにも、深すぎちゃって、
私には、全然わかりません...。

ただ、
こうした奇想天外な(そして、きっと深い)テーマの割には、
あまりにも、
建築が真っ当すぎるのではないだろうか、
と思ってしまいました...。

これらの建築の、設計にあたっては、
顧問として、
建築家、武田五一なども関わっているそうです...。

武田五一といえば、
アールヌーヴォー等、
ヨーロッパで流行した、最新の潮流を、
いちはやく採り入れたことでも知られ、
かなりの「不思議建築」も、
つくっていたりします...。

以前に見学させていただいたことがある、
「求道会館」なんて、
相当に、(いい意味で)ヘンテコでした...。
http://www.kyudo-kaikan.org/photo.html

ああいった感じで、
もっと思いっきりやってくれていたら、
「奇想」対「奇想」で、
「妖怪大戦争」みたいになって、
もっと面白かったのになあ、と思ってしまいました...。

まあ、
そんなふざけた話ではないのだろうとは思いますが...。





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「作品」としての家

2013年7月22日

作家、林芙美子の家を見学してきました...。





広い庭の中に、
二棟の平屋の家が、
緑に埋もれるように、建っています...。

二棟に分かれたようなかたちは、
元々、
戦時中、建築出来る大きさに制限があったので、
苦肉の策として、
二棟に分けて許可をとり、
後で繋いだためなのだそうです...。





でも、
かえって、それがよかったみたいで、
生活の場と、仕事の場が、
合理的に分離出来ているし、
なによりも、
建物が大きくなり過ぎず、
庭の緑にも、
ちょうどよく、馴染んでいるように思いました...。

設計した山口文象は、
1930年、激動のヨーロッパに渡り、
バウハウスの創始者、
ヴァルター・グロピウスのアトリエで働き、
当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国...、
その後、
最先端の近代建築で、活躍した...、
というような人で、
こうした和風の住宅は、
ちょっと意外な感じがあります...。

当時、この家も、
彼の建築作品として発表されることはなかったようです...。

ただ、
今では、
彼の代表作のひとつ、
ということになってしまっているみたいです...。





実は、山口文象は、
大工の棟梁の家に生まれ、
家業を継ごうとしていた時期もあった、
というような一面も持っていたそうです...。

当時の彼は、
最先端の近代建築をつくる、
前衛的な建築家であろうとしていたようですが、
やはりそうした面も持っていたのでしょうね...。

今となっては、
こうした和風の木造住宅が、
代表作の一つと言われても、
彼のもう一つの面を表すものとして、
別に違和感もなくなりました...。

解説によると、
林芙美子は、こんなことを書いています...。

話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/11256620.html (続きを読む)

林芙美子邸

2013年7月20日

作家、林芙美子の家...。





二棟に分かれたようなかたちは、
戦時中、建築出来る大きさに制限があったので、
苦肉の策として、
二棟に分けて許可をとり、
後で繋いだためなのだそうです...。

でも、
かえって、それがよかったみたい...。
生活の場と、仕事の場が、
合理的に分離出来ているし、
なによりも、
建物が大きくなり過ぎず、
庭の緑にもよく馴染んでいるように思いました...。





設計した山口文象は、
最先端の近代建築で知られた人で、
こうした和風のイメージは、なかったのではないか、
と思います...。

当時、この家も、
彼の建築作品として発表されることはなかったようですが、
今では、
代表作のひとつになってしまっているみたいです...。

ただ、
元々、大工の棟梁の家に生まれ、
家業を継ごうとしていた時期もあるみたいなので、
今となっては、代表作の一つと言われても、
彼のもう一つの面として、
別に違和感もありませんが...。





解説によると、
林芙美子は、こんなことを書いています...。

「まづ、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、
およその見当をつけるやうになり」、
「一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った」...。
「家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、
かなり、あぶない橋を渡るやうなものだったが、
生涯を住む家となれば、
何よりも、
愛らしい美しい家を造りたいと思った。
まづ、参考書によって得た智識で、
私はいい大工を探しあてたいと思ひ、
紹介される大工の作品を何ヶ月か私はみてまわった」...。

大変なこだわりだったみたいで、
それだけに、
大変なお気に入りだったみたいです...。

林芙美子の夫、緑敏氏は、
生前、こんなことを、家族に強く話し、
芙美子亡き後、およそ40年間、
この家を守り続けたのだそうです...。

「この家は私の生きている間だけは決して手を加えたり、
変えたりしてはいけない。
私の亡くなった後はどうしようとかまわないが」...。

こういう家は、たとえ実用的な役割を終えたとしても、
やはり、
生き残っていくよなあ、と思ってしまいました...。

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中村彝アトリエ

2013年7月19日

大正期に活躍した画家、中村彝のアトリエを、
観てきました...。





当時の部材を再利用して、
建築当初の姿に復元したものだそうです...。

外観は、ちょっと何ですが...、
インテリアは、本当に素晴らしかった...。





静かで、緊張感があって、
ずっと座っていられそうな感じがしました...。

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田園メイゾン

2013年7月18日

建築家、増沢洵の、
有名な自邸、「最小限住居」は、
建坪がわずか9坪しかない、
極端な程の狭小住宅なのですが、
ギリギリまで、無駄を削ぎ落としたような、
その、あり方が、
今でも新しいのか、
50年ぐらい経った近年でも、
そのカバー作品のような家が建って、
話題になったりしていました...。

http://homepage1.nifty.com/masuzawa/01/index.m1952.html
http://9tubohouse.com/designers_file/masuzawa.html

私は、
増沢洵の作品集の本を持っているのですが、
特に初期の、一連の住宅は、
今見ても、本当に素晴らしい、
大変な名作ぞろいだと思います...。

ただ、
そうした作品の多くが、
個人住宅であるため、
実際に見ることが出来るものは、
本当に少ないようです...。

そんな数少ないうちの一つ、
「田園メイゾン」...。





一見すると地味なのですが、
「最小限住居」を積み重ねたような、
端正な雰囲気があって、
どこか違うと、目を惹く感じはありました...。





ただ、本で、中の間取りを調べてみると、
「最小限住居」のように、
ギリギリまで削ぎ落としてはいないせいか、
ちょっと切れ味がなくて、
弛んだような感じがしてしまいました...。

でも、
そうした「弛み」は、
別の言い方をすると、
「ゆとり」ということでもあるのだろうと思います...。

そして、
そうした「ゆとり」があったからこそ、
50年ぐらい経った、今でも、
田園調布の一角で、
取り壊されずに、生き残ってこれたのかもしれない、
とも思いました...。





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この人らしい家...。

2013年7月17日

旧山口文象自邸...。





山口文象は、
1930年、激動のヨーロッパに渡り、
バウハウスの創始者、
グロピウスのアトリエで働き、
当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国...、
その後、
最先端の近代建築で、活躍した...、
という人なのですが、
その一方で、
大工の棟梁の家に生まれた、
ということが影響しているのでしょうか、
個人住宅等では、
木造の、和風建築も数多く、つくっているようです...。

この自邸は、
そうした、和洋両面が感じられるような、
ちょっと不思議な雰囲気でした...。





道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、
敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、
実は、
この裏手には、かなり大きな中庭があって、
その周囲に、度重なる増改築を行うことで、
現在のような姿になったようです...。

つまり、
一度で完成させてしまうのではなく、
時間をかけて、
いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、
持っていた二つの方向性が、
両方とも出てきて、溶け合い、
結果として、
和洋両面が感じられるような、
不思議な感じになった、
ということなのかもしれません...。





この人が抱えていた、二つの方向性が、
両方とも出ていて、それらが溶け合っている...。
まさに、
「この人らしい家」、
と言っていいのかもしれませんね...。

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日本聖公会東京聖十字教会を観ました...。





アントニン・レーモンドによる、
有名な教会ですが、
住宅街の一角に、ひっそりと建っていました...。

建築当時は珍しかったという集成材で、
骨組みをつくって、
屋根を架けただけの、
本当に簡素なつくり...。





ほとんど「小屋」って感じです...。

きっと、相当に、
「ローコスト」にする必要もあったのでしょうね...。





でも、築50年ぐらい、
こうして大事に使われているのを見ると、
現在の建築・住宅の、重装備ぶりって、何だろう、
と思ってしまいますね...。

それぐらい、
本当に、軽やかで、
そして、かわいかった...。

本によると、
内部の壁等も、ベニアで、
これまた、
相当に簡素な仕上げになっているみたい...。

近くまで行ったついでに、
思いつきで、急に行ったため、
閉まっていて、
中を観せていただくことは出来ませんでしたが、
今度は、
開いている時に、行ってみたい、
と思いました...。

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まるで寺院か何かのような、
立派な屋根のある銭湯は、
関東大震災復興期に、
東京で突如現れたもので、
関西等、他の地域にはない、
東京独自のものである、
という話を、
最近、本で読みました…。

震災で、多くの銭湯が倒壊した時、
宮大工が、その技術を活かして、
このようなつくりで、
銭湯を再建したのがきっかけとなり、
こうした「宮造り」と呼ばれる銭湯が、
東京で、
競うようにして建てられ、広まったのだそうです…。





その後、
徐々に減っていき、
今では、
すっかり少なくなった、こうした銭湯ですが、
そのトドメを刺したのが、
バブルの頃だったのだそうです…。

銭湯を一軒壊すと、
その地域の、
風呂無し木賃アパート等の地上げがやりやすくなる、
という理由で、
狙い撃ちにされてしまったのだそうです…。

そんな話を聴いてみると、
震災復興期に出来た銭湯のような建築が、
実は、それ以来、ずっと、
その街の要のようなものになっていた、
ということであり、
言ってみれば、
その後の、およそ50年の街のあり方を、
決定付けていた、
ということにもなりそうで、
とても興味深く感じられました…。

話は、以下に続きます...。
http://blogs.dion.ne.jp/k_nakama/archives/11247776.html (続きを読む)

仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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