交換可能

2014年3月20日

都市や建築は、
永遠不滅のものではなく、
ダイナミックに変化すべきものである…。

「歴史の新陳代謝を、自然に受け入れるのではなく、
 積極的に促進させようとする」…。

そのために、
「変化するもの」と、
「変化しないもの・変化しにくいもの」とを、
はっきりと区別して、
「変化するもの」は、
必要に応じて、取り替える…。

そうした理念や方法論を、
身も蓋もないほどに、
直接的に表現した建築…。

中銀カプセルタワービル…。





エレベーターや階段、配管等が入った、2本の塔に、
140個の、交換可能なカプセルが、
ボルトのみで、取り付けられています…。

カプセルの中には、
ステレオ、TV、冷蔵庫、空調機、ベッド、収納、折畳み机、等々…。
都市で快適に暮らす上で、必要になると思われるものが、
完備されている、といいます…。

これらの機能が古くなってきたら、
カプセルごと新しいモノに交換すればいい…。

そうした一つ一つの部分が、
自由に新陳代謝をすることで、
その集合体としての全体が、
ダイナミックに変貌していく…。

そのはずでしたが、
現実には、そうはなりませんでした…。

完成から40年以上、
一度として、
カプセルの交換は行われず、
近年では、絶えず、
全体の取り壊しの話が、
取り沙汰されています…。

部分の交換だけで、大丈夫なはずなのに…。





現実を斟酌することなく、
その理念や方法論を、
極端なほどに、直接的に表現している…。

その純粋さゆえに、美しい…。

しかし、また、
その純粋さゆえに、
思い描いた通りの未来を、
獲得することは出来ませんでした…。

この矛盾…。

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シンボルツリー

2014年3月19日

東京、新橋駅のそばにある、
静岡新聞・静岡放送東京支社…。





真ん中の円筒形の部分に、
エレベーターや階段、トイレ等、
機能上必要なものが、おさまっていて、
これが構造体として、
建築全体を支えています…。

そして、そこに、
軽量化された事務室が、
くっついています…。

ちょうど、
木の幹と葉っぱ、みたいな感じ…。

垂直方向に伸びる、幹になる部分を、
必要となる、あちらこちらにつくり、
その間に、葉っぱになる部分を架け渡すことで、
三次元的なネットワークをつくり出し、
新しい都市をつくろう…、
といった、壮大な都市デザインの、
いわば、断片とも言える建築です…。

森にしようと思って、
木を植え始めたところ、
結局、
一本で終わってしまった、という感じ…。

夢のかけら、
ということになるのでしょうか…。

でも、
一本の木からでも、
その大きな理想のようなものは、
伝わってきます…。

実際に観てみると、
太い幹の樹木と、
そこにくっついている、ツリーハウスみたいで、
何とも言えない、迫力があります…。





また、
二つの道路に挟まれた三角形の敷地の、
狭くなりがちな角の部分が、
宙に浮いていたり、
幹の横のエントランスホールは、
ガラス張りで、
向こうの道路まで、
視線が抜けていたり、等々…、
周囲の道路や、敷地の環境などを、
とても入念に読み解いて、
計画されているように思います…。

たった一本だけど、大切な、
都市のシンボルツリー…。

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大学キャンパス

2014年3月18日

立教大学…。





前に来たのは、いつだったか、
ちょっと思い出せないくらい、
久しぶりに、訪れました…。

それぐらい久しぶりだったため、
前のことがハッキリと思い出せないのですが、
行ってみると、
「あれ、こんな感じだったかな」…、
と思いました…。

立教大学のキャンパスと言えば、
広々とした芝生の庭を囲むように、
低層の、煉瓦造建築が点在している、
「絵に描いたような美しいキャンパス」…、
というイメージを持っていました…。

ただ、改めて観てみたら、
確かに、
その部分は、きちんと残ってはいるのですが、
それに加えて、
周囲に、背の高い建物が、
押すな押すな、という感じで、建ち並んでいて、
なんか、ひどく窮屈な感じがしてしまいました…。

当初のキャンパス計画が、
どのような理想に基づくものだったのか、
よく知らないのですが、
こんなに建て混んでしまうと、どうなのかなあ…。

果たして、この姿が、
そうした、当初の理想に照らしてみて、
どうなのだろうか、と思ってしまいました…。

しかし一方で、
象徴的で、大変貴重ではあるものの、
今となっては、ほんの一部分の小さなものになってしまった、
この景色を守るために、
他の全ての部分が、
犠牲になってしまっているようなところも感じられて、
ますます難しい…。

結局、
いろいろと事情もあってのことなのでしょうから、
いざ取り組んでみると、
意外と、選択肢がないものなのかもしれませんね…。





こうしたことは、
建築の問題ではありますが、
当然、
建築だけで解決可能なものでもない話で、
そもそも、今後、
どんな学校にしていこうとしているのですか、
というような、
根本的な問いに関係してきてしまいそう…。

どのような建築を、
どのようにつくり、どのように保存するか…、
といったようなことは、
結局、建築だけではなく、
それ以外のすべての物事を、
そもそも、どのように考えているのか、
ということまでも、明らかにしてしまうみたい…。

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旧多摩聖蹟記念館

2014年3月17日

旧多摩聖蹟記念館…。





テレビの特撮ヒーローもので、
悪の秘密結社のアジトとして、
度々登場することでも有名な建築です…。

秘密のアジトが、
こんなに、建築で主張をしていいものか、
という感じもするのですが、
確かに、
そんな舞台として使ってみたくなるような、
独特の雰囲気を持っていました…。





説明の看板には、

「数少ない多摩地域の近代建築の中でも完成度が高く」、

なんて書かれていますが、
実際に観ると、むしろ、
その「完成度の低い」ザックリとした出来上がりに、
びっくりしました…。

まるで、
石膏や粘土の模型が、
そのまま、出来上がってしまったみたい…。

繊細な細部を持つ、日本風の建築のあり方とは、
かけ離れていたでしょうから、
当時の人は、相当に驚いただろうなあ、と思います…。

多分、
楕円形が重なり、、
内側に向かって背が高くなる、不思議な造形…。
そうしたアイデアの一点突破だったのではないか、
と想像します…。

きっと、
「完成度」とか「洗練」とかを、
ハナから目指していなかったと思います…。

そういったものの方が、
衝撃力とか、突破力のようなものがあるのでしょうか…。
年月が経っても、
不思議と魅力を保ち続けたりすることがあるのが、
面白いですね…。





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土浦亀城自邸

2014年3月15日

土浦亀城(つちうらかめき)は、
大学在学中に、
8年ほど先輩にあたる遠藤新に影響されて、
帝国ホテル建設中の現場に行き、
巨匠、フランク・ロイド・ライトと出会います…。

ライトはその後、
ホテルの完成を見ることなく、
事実上解任され、帰国してしまいます…。

残った工事は、
その弟子、遠藤新が引き継ぐことになるわけですが、
土浦亀城もその下で働き、
共にホテルを完成へと導きます…。

そして、大学を卒業すると、
アメリカに渡り、ライトの工房で、
およそ2年数ヶ月、働くことになります…。

帰国した土浦は、
帝国ホテルの工事を行った大倉土木(現大成建設)に入社し、
後に独立します…。

そんな土浦亀城は、
ライトについて、こんなことを語っています…。

「長く一緒にいたこともあるでしょうが、
 非常に尊敬しているし、
 その才能にはほんとうに感心しています。
 ただ彼独特のデザイン、
 特に装飾的なところはうまいけれど、
 われわれ弟子どもがわりあいになじまなかった」…。

「ライトが設計をはじめると、
 出だしはわれわれが感動するほどいいのですが、
 仕上げていくとだんだんいろいろなものがついてしまうのです」…。
「でもこれをつけない方がいいのではないかと議論したものです」…。

また、
ライトの助手として来日しながら、
後にライトと袂を分つことになった、
アントニン・レーモンドの作風の変化について問われ、
こんな風にも語っています…。

「私も帰ってから二つ三つ、
 ライトのスタイルの住宅を設計しましたが、
 だんだん変わってきてしまいました。
 結局、
 私たちはライトのスタイルから
 クリエイトすることはできないのです」…。

「ライトのものはライトしか出来ないんですね。
 我々がやったんじゃ本当の真似になってしまうんですよ」…。

「ライトの所からたくさん学んでいると思います。
 ただああいうライトが使うような装飾をしないだけです」…。

土浦亀城は、
もっとシンプルな表現を求めて、
レーモンド同様、ライトの影響から離れて、
ヨーロッパの近代建築へと接近していきます…。





土浦亀城自邸…。

今となっては、彼の代表作であり、
現在では、
東京都指定文化財にもなっているのだそうです…。

規格化された木造バネルによる、
工業化された工法(木造乾式工法)…。
大きなガラス窓、平らな屋根…。

ライト特有の装飾を、全て取り払った、
シンプルで、合理的な、白い箱…。

しかし、
傾斜地を利用して、
5層のレベルが、スキップ・フロアで連続する、
という有機的でダイナミックな空間構成は、
土浦本人が、後年、
ライトの影響を認めているのだそうです…。

新しい合理的な建築の中に、
ライトの影響を、再構成して、活かそう、
と考えたのでしょうか…。

南面の大きなガラス窓で、
テラスへと連続する、
開放的な、2層吹抜の居間…。

その吹抜の天井面には、
輻射熱によるパネル・ヒーティング…。
壁の中では、壁体内空気循環…。

クローゼットが造りつけられた寝室…。
現代のシステムキッチンのような台所…。

1935年(昭和10年)の完成です…。

先駆的であるが故の、
様々な技術的な困難があったと聞きます…。

しかし、
今なお、すべてが新しい…。

実験的な、
日本の、都市型モダン住宅の出発点…。

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直方体の森

2014年3月14日

すべて、
直方体の組み合わせによって、
構成されています…。

そのようなコンセプトが、
普通の家のように、
単純に、壁面に窓が付いている、
というようなことを許さないのでしょう…。

1階の窓は、すべて、軒いっぱいまであり、
2階の窓は、すべて、
壁面から引っ込めるようなかたちで、おさめてあります…。





コンセプトは、
内部にも徹底されていました…。
(写真にはありませんが…)

ギリギリまで削いで、
空間だけを残した、という感じの内部は、
切れ味鋭く、緊張感があって、
外観よりも、もっとカッコよかった…。

まあ、住みこなすのは、
なかなか大変そうでもありましたが…。

それにしても、
ネーミングがまた、カッコいい…。

直方体の森…。





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コンクリート打放し

2014年3月13日

世田ヶ谷区民会館・区役所…。





1959年・60年に出来た、
コンクリート打放しの建築なのですが、
実際に観ると、
かなりボロボロな感じに見えてしまいます…。

設計した前川國男は、元々、
コンクリート打放しに、
素材としての美を感じていたようで、
初期には、
数々の名作を、コンクリート打放しによって、
つくり出していました…。

ただ、やはり、
こうした亀裂や風化、というものに直面し、
もっと時間に耐えうるものにしなければ、
ということを痛感することになります…。

そして、
コンクリートの上に、もう一枚、
何かを着せることが必要と考え、
その後は、
コンクリートの表面をタイルで覆った、
「打込みタイル」というものへと移行していきます…。

これは、
建築の耐久性というものを、真面目に考えた結果であり、
非常に良心的な態度だと思います…。

ただ、
今、無責任に、観に行くだけの感想で言うと、
意見は反対になってしまいます…。

どんなに古くなっていても、
どんなに傷んでいても、
なぜか、
コンクリート打放しの建築の方が、
タイルをまとったものよりも、
圧倒的な、量感のようなものを感じて、
魅力的に観えてしまいます…。





傷んでしまった、過去の名作建築の修復で、
当初のコンクリート打放しを、
お手軽な吹付材のようなもので、
覆ってしまっている例を見かけて、
残念に思ってしまうことが、度々あります…。

その一方で、
コンクリート打放しのままの建築は、
この世田ヶ谷区民会館・区役所のように、
確かにボロボロなんですが、
それでも、というのか、
それだからこそ、なのか、
とにかく、かなりの迫力があります…。

コンクリート打放しは、
建築の仕上げ方法としては、
何かと問題も多いような気がするのですが、
それにもかかわらず、今でも、多用されるのは、
こうした、
独特の魔力のようなものがあるからなのでしょうね…。

そういった意味では、
今後は、ともかくとしても、
過去の、コンクリート打放しの名作建築は、
何かと大変なこともあるでしょうが、
安易に上から何かを纏ってしまわずに、
このまま、裸で立ち続けて、
何とか、その魔力を維持し続けてほしいものだ、
と思ってしまうのでした…。





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田無神社

2014年3月12日

田無神社…。







仕事場から近い割りには、
なかなか行く機会がなかったのですが…。

この拝殿は、明治8年に、
地元の大工によって完成されたのだそうです…。

明治初期にあってもなお、
江戸の大工技術が、地域においても、
高い水準に保たれていたことを示す、
気迫と技量を観ることが出来る貴重な建築で、
東京都指定有形文化財にも、
なっているのだそうです…。

改めてよく観ると、なるほど、
本当に、精緻に出来ています…。







こうなると、

普段は隠されている、
「天才・嶋村俊表の彫刻」の神髄という、
http://tanashijinja.or.jp/shimamura.html
本殿の方も、是非、

観てみたくなりました…。



年に一度、特別拝観の日があるみたいなので、

今度、是非、行ってみよう、と思いました…。

http://k-nakama.tumblr.com/post/79337493998 (続きを読む)

日本26聖人殉教記念館…。





学生の頃に、はじめて見学に行った時には、
まだ、近くにそれほど高い建物がなくて、
かなり遠くの方から、
丘の上の、奇妙な塔が見えていました…。

そして、
丘を登るようにして歩いて行くうちに、
一気に視界が開け、
この建築が姿を現した時には、
本当に、
「なんだ、これは!」って感じでした…。

まさに、異形の建築…。

その用途は、
キリシタン禁制の江戸時代に処刑された、
26人の殉教者を記念する、
聖堂と資料館なのだそうです…。

なぜ、こんな異形の建築になったのか、
設計者による、
設計意図を読んでみると…。

「聖堂の全構成形態に殉教者を賛美する天使のイメージを心に描き、
 その双塔は天使の翼の表徴と考えた」…。

「建築群の宗教的シンフォニーの旋律化を企図した」…。

こちらの方もまた、
「なんだ、これは!」でした…。

私には、当時(今も)、
(多分)あまりにも深すぎて、
何のことやら、
さっぱり、わかりませんでした…。





設計者である建築家、今井兼次は、
ヨーロッパに学び、
スペインの建築家、アントニ・ガウディを、
日本へ紹介した人としても知られています…。

ということで、当然、
その影響が強く感じられる、
丘の上に、ニョキニョキとのびた奇妙な塔や、
モザイクの壁画に注目してしまいます…。

確かに、
それらが強烈な印象を与えていることは間違いないのですが、
それらに圧倒されて、しばらく眺めているうちに、
重量感溢れる、
コンクリート打放し部分の、確かな造形や、
全体の見え方を、計算し尽くした、巧妙な配置、等々…、
が観えてくるような気がしました…。

最初の「なんだ、これは!」という衝撃だけではない、
深みがある、という感じでしょうか…。

異形で、わけがわからない(私には)、
しかし、
不思議と、胸をうつ、
忘れることの出来ない、印象的な建築…。

これは名作だと思います…。





http://k-nakama.tumblr.com/post/79238172534/26 (続きを読む)

井上房一郎邸

2014年3月10日

井上房一郎邸…。

実は、この家は、
名作住宅の、
そっくりそのままの、コピーです…。

オリジナルは、
アントニン・レーモンドの自邸…。





この家を建てた、井上房一郎という人と、
建築家レーモンドの関係についても、
いろいろと、お話はあるのですが、
それはまた、別の機会に…。

ともかく、
1951年、
当時建ったばかりの、
レーモンドの自邸を訪ねた井上房一郎は、
その設計をとても気に入り、
図面の提供を受け、さらに、大工に実測をさせ、
翌1952年、
東西は反転していますが、
そっくりそのままのコピーを、
設計者公認で、建ててしまったというわけです…。

中に入ってみると、
建物を支える丸太が、
むき出しになっています…。

元々は、戦後まもなく、
材料不足の時代の工夫として、
安価な足場用の丸太を剥いて、組上げる手法が、
レーモンドによる、
この表現のはじまりだったのだそうです…。

ただ、
その直截さ、単純さ、経済性など、
レーモンドが大切にしていた建築の原則が、
非常によく表現されていたためか、
その後も多用されることになり、
今では、このスタイルは、
「レーモンド・スタイル」、
なんて呼ばれるようにもなりました…。





建物の真ん中辺りには、
屋根の架かった、
中庭(パティオ)があり、
庭に向かって、
大きく開かれています…。

庭の自然を、居住空間の一部、
と考えていたというレーモンド夫妻は、
しばしば、ここで食事をしていた、
といいます…。

実際、
レーモンドについての本を見ると、
必ず載っている、
ここで食事をしているレーモンド夫妻の写真があります…。

両側は、建物に囲われ、
透明な素材の屋根が架かり、
その先には、庭の緑が見えるパディオで、
テーブルについて、夫婦で食事をしている、
大層気持ちがよさそうな、いい写真です…。

外観も、落ち着いていて、
和風な感じもありながら、
どこか、モダンな感じもあります…。

レーモンドの事務所に、
在籍していたこともある、
前川國男の自邸なども思い出されます…。

ここに、
日本の、木造モダン住宅の源流の一つがある、
ということなのかもしれません…。

実は、
このレーモンド自邸のコピー、
この井上房一郎邸以外にも、
もう一軒あるのだそうです…。

日本住宅公団による名作団地、
今ではなくなってしまった阿佐ヶ谷住宅の設計に関わり、
レーモンドの事務所にも在籍していたことのある、
津端修一さんの自邸が、それです…。

オリジナルの、レーモンド自邸の方は、
今では残っていないのですが、
2つのコピーの方は、現存していて、
その雰囲気を今に伝えている、というわけです…。

こんなかたちでの、
名作住宅の保存のされ方というのも、
アリかもしれませんね…。





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仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

仲摩邦彦建築設計事務所の事例

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