映画の秋がやって参りました〜。名古屋シネマテークにてタルコフスキーの映画「ストーカー」が特別上演されます。今回は特にシネマテークの永吉直之氏によるトークイベントもあわせてお楽しみいただける内容となっています。タルコフスキーというと私はまだノスタルジアぐらいしか見たことないんですけど映像綺麗ですよねぇ。まだ席に余裕があるようなので、行ってみよかあという方は私の方か問い合わせ先の方ご連絡いただけると助かります。よろしくおねがいします〜♪ (続きを読む)

zzz…

2012年10月2日



オトーサン、先に寝ちゃった。。。
ムスメを寝かしつけるつもりが、自分が先に寝てしまいましたの図。

なんていいますか、慣れてきました。住環境仕事環境をどうにかせねばならないと思ってオフィスシェアの広告など出しましたが、仕事場+住居+ムスメの状況に慣れつつあります。泣き声を聞いて仕事の手が止まる事もしばしばですが、そういうのも今のうちだけなんでしょね。いつかはどこかに行くのかな。いつかはどこかに行くんでしょね。ただ、今の場所はこの今の今だけしかないんだなと思ってます。 (続きを読む)

現場と図面

2012年9月30日



基礎の型枠まで出来ました。一見問題なさそうだったんですが、図面と照らしあわせていくとけっこう違いが見つかりました。そういう所は現場の監督に指摘し直してもらいます。別にこれは現場の出来が悪いとかそういう事ではなく、やはり人の作業であるので間違いもあり、それはどこかでカバーしなければなりません。逆に言えば図面ではなかなか情報が伝わりにくいところもあり、反省させられる事もしばしばです。建物は3次元の物体として一つであっても、図面は2次元になるので平面や断面、立面など多くの情報の集積となり複雑です。いかに簡潔に情報を伝えるか、図面を作る時はいつもそこに腐心しています。 (続きを読む)

愛知工業大学

2012年9月27日

この秋からこちらでも授業をさせていただく事になりました。

少し前に打診をいただきまして、ありがたく引き受けさせていただきました。建築の学生さんを教える事となります。先生業はこれが初めてという事ではありませんが、慣れを慎み新たな気持ちで授業に臨みたいと考えています。

まあしかし、慣れを謹んだのは良かったのですが・・・昨日すでに授業が開始となっておりまして、簡単に自己紹介をさせていただいたのですが、事もあろうに学校名を言い間違えるというハプニングを起こしてしまいました。アホですか私。何年先生業をやってるんだか。。。めげずに来週、また立ち上がります! (続きを読む)

チェアーズ

2012年9月17日


名古屋のナディアパークで行われたチェアーズの作品展に参加してきました。椅子の作成に関わる様々な人たちの集まりで、私もご縁あってサブロクチェアを出品させました。反応はどうだったかな。3日程の期間があり、多くの人で賑わったと聞きました。残念ながら私は他の仕事でほとんど会場にはいられず。。。でも他の人の作品に実際に触れて座っても見ることで様々なそれぞれの世界観を知ることも出来ました。椅子って人が座るだけのものなのに、何故こうも奥が深いんでしょう。人の数だけ椅子があるって感じがします。 (続きを読む)

古い写真

2012年9月13日


台湾は日本が統治していた時代があって、その頃にも様々な建物が作られていました。南国特有の湿度の高さはあまり考えなかったのか、本国同様に木造でバシバシと作り続けていたのは耐久性の上で問題あったと思うのですが、一方でレンガによって組み上げられた建物もあり今でも活用されて残っています。そうして大切に使われている風景を見るとありがたくしみじみとした気にさせられますし、何かこう、この国の人々のためにもっと出来る事はないものかと考えたりもします。

今回ご縁あって、そんな日本時代に作られた建物の一つにかかわる事になりました。小さなレンガ作りのもので、当時は植物の標本を収納する施設として使われていたものでした。今はやや雑居的に扱われていて内外含めいろいろと手が入れられています。使い続けていただいているだけで十分にありがたいものですが、今回元の姿に戻す動きとなり、昔の資料を調査し作業を進めています。

100年近く前の写真が見つかりました。建物の前には誰か一人、遠くを見る様にして立っています。写真が貴重だった時の事、写っているのはここの主であった人かもしれません。堂々として何かこう、行く先を見据え背負って立っていこうとする眼差しが感じられます。日本を、そして台湾を守り育て、躍進させていこうとしていたのでしょうか。同じ頃には烏山頭のダムを設計した八田與一がいます。台湾のために全力を尽くした誇り高い日本人がいたものでした。

私は一介の凡夫に過ぎません。与えられた仕事をこなすだけで精一杯な気もしますが、それでも何か、志だけでも、せめてその一分だけでもそこにあった物を受け継ぎたいと考えています。気高く恥じることのない日本がそこにはあったはずで、未知の世界においてでも立ち振舞の乱れない、そして奢る事のない日本があったはずです。でなければ台湾の人たちの今の日本に対する姿勢というのはなかったでしょう。有り難いご縁としてこの仕事を進めていきたいと思っています。 (続きを読む)

オフィスシェア希望

2012年9月8日

PRといいますか、ちょっとおたずねです。

最近ムスメも出来たりしまして、自分の環境を見直したいと考えたりしているこの頃です。今までSOHO状態で運営してきましたが、その形態を変えて事務所機能を独立移転させたいと考えています。

場所は名古屋の栄か覚王山エリアと思っています。そこでどなたか、事務所をシェアしてやっていこうというお考えの方、いらっしゃらないでしょうか?

私の性格とか仕事の具合はブログをたどって見ていただけたら、およその事はわかっていただけると思います。アドレスはash☆ash-takenaka.com(☆→@)です。よろしくおねがいします。



Hi everyone,

I'd like to share my office at Sakae or Kakuouzan aria.If you think same thing,please contact me.My address is ash☆ash-takenaka.com(☆→@).

Thank you,


Ash Takenaka (続きを読む)

house k

2012年9月7日


地鎮祭はやったというものの工務店側の都合でなかなか現場が動かなかったものですが、ようやく重機が入って本格的な始まりを迎えたものでした。9月になったとはいえ、名古屋近辺は日中はさして真夏と変わりありません。流れる汗を我慢して現場では職人さんが一人、孤軍奮闘していました。近くには山も川もある恵まれた場所ですが、この時はそよとも風が吹かず。敷地状況を確認し、最後に暑さに気をつけてくださいねと言い残し現場を離れました。年中外で暑さ寒さに耐えている職人さんには頭の下がる思いです。しっかりと仕事していただこうと思います。 (続きを読む)



ばれた、って顔してました。

名古屋のこの場所で事務所を始めてすでに何年かになります。そうしているうちにどこの誰とも知らないけど立ち話くらいはするご近所さんができました。

ある日のこと、道路脇の植え込みのところでせっせと水やりをしているそのご近所さんを見かけました。なんでこんなところで水やりをしてるのかな?ああー、柚子を植えたんだよ。そこには小さな堅い葉をした柚子の木が場所をお借りして植えられていました。

ほんとはダメな事なんだろうなあと思いつつも止める訳にもいかず。そうですかあ、大きくなるまでに時間かかるでしょうねえ。そだなあ、10年くらいはかかるよ。え、そんなにもかかるんですか?!実が生るまでにはそれくらいはかかるよ。せっせせっせとその人は水やりをしていました。大切に大切に育ててました。

ある日のこと。こんど入院するんだわってその人が話してくれたものでした。入院は嫌やわ。もう何度もしとるけど。少ししかめっ面をして僕に向かって話してくれました。話してくれたけど、どう突っ込んで良いかもわからず、大事にしてくださいねと言うのが精一杯でした。

いつもいつも会ってる訳ではなく、外で偶然ばったりが基本です。先にも書いた様にどこに住んでるのか、おおよそはわかるけど詳細を知りません。申し訳ないけど会わない間にちょっとその人の事を忘れてました。忘れてたのだけど、このアゲハの幼虫が僕にその人の事を思い出させてくれたものでした。

なんだか申し訳なさそうにその柚子の枝先の方で縮こまってました。食べちゃってごめんなさい、でもおいしいんですコレ。見られて緊張したのか微動だにしません。いいよ別に取ったりしないから。それにしても食欲旺盛なのか、葉っぱはけっこう食べられた後でした。とっさに、そのご近所さんの事を思い出したものでした。たぶんしばらく、ここに来てないんだ。

確証はなかったけど、そんな気がしたものでした。幼虫に好きなように食べさせるにしてはその木はまだあまりに小さなものでした。あの人なら、たぶんここまで放置はしないよな。今頃どこでどうしてるんだろう。そういえばここ最近、お会いしてなかった。入院という文字とっさにが脳裏に浮かびました。長くなってるんだろうか。。。

確証はないし、自分の思い込みです。ひょっとしたら水やりはするけどあとは自由に育ってほしいと考えていたかもしれません。幼虫は緊張がほどけたのか、ふたたびむしゃむしゃと葉っぱを食べ始めていました。教えてあげたいけどそうしたら幼虫さんが可哀想か。だいたい教えたくても教えられないよな、このままにしておくか。。。いつかまたばったり会ったら、今日の日の事を話してあげようと思います。多分きっと、仕方ないさー、また葉っぱは伸びてくるじゃろうって元気に笑って許してくれるはず。幼虫は知らないうちに蛹になり、蝶になって飛んでいってくれるはず。その先のその先には柚子の木も大きくなって、たわわな実をたくさんたくさん結んでくれてるはず。 (続きを読む)

松林図

2012年8月25日


墓参りに能登半島の方へ行ってきました。私が生まれたのは石川県かほく市の高松というところ。海際の砂浜がつらなるところにある小さな町です。このあたり、ところどころににょきにょきと松の木が伸びてます。正確に測った事はないけど大きなものだと20mから30mくらいはありそうです。昔はもっといっぱいあったのだけど、倒れると家があぶないからだとかで街中のものはばっさばさと切り取られていってしまいました。町の名前が高松なだけに残念な気もしますし、人の都合だけで判断される生のありようはどこか考えさせられるものがあります。

もうちょっと行ったところに七尾(ななお)という町があります。九尾のきつねは有名だけど七尾のきつねもいたのかな?と思ったのですが由来はそれとは違う様で、そこにあった城の山に7つの尾根があったからだとウェキペディアには書いてありました。なーるほど。それはそれとしてこの町、長谷川等伯さんが生まれたところです。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが松林図という立派な屏風絵を書かれたむかしむかしの人です。僕は興味あってこの絵の事を知っていたのですが、数年ほど前に実物を見る機会に恵まれました。

人気の絵だっただけにそこにはものすごく多くの人がいました。自分もその中の一人でした。群衆の一人であって、それでもなお絵の気迫に圧倒されていました。白い余白だらけの屏風の中でゆらめくように書かれた松の木が何本か。周囲にあったのは雑踏だけでしたが、自分の耳にはざざざーっという波の音が聞こえていました。直感的にこれは故郷の海辺の松を描いたものだと思いました。まるで幽霊のようにうごめく松たちは見えない風にあおられて右に左に動いて見えます。余白は広く、そこには雲とか海とか空とかが溶けて見える様でした。筆を止める事によって見る者の想像にまかせた訳です。稀に出会う文学や俳句にあるような深い静がそこにはありました。まわりには多くの人がいたけれど、何度も何度も見るうちに自分の中では一対の屏風絵が完成していました。無限の中にある輝く何かをそこに見つけ出したような気がしたものでした。

今回自分が見た高松の松の木はごつごつと力強くて松林図の様な幽玄のユの字もなかったけど、おそらく東伯さんが見ていたのもこの木だったはず。描いた頃には七尾にいなかったのだし、おそらくは記憶の中のそれを持ちだして描いたものだと思うんです。自分には東伯さんのような才能のかけらの一片もないけど、故郷を思いやって描いたその姿を思うとそ勝手に親しみが湧いたりするものでした。あんな才能はないけれど、どこかに余白を見出して建築を作っていきたいと考えています。 (続きを読む)

竹中設計事務所アシュ

プロフィール

竹中設計事務所アシュ

名古屋のローコスト住宅を得意とする事務所

名古屋近辺で坪単価50〜60万円台の住宅を得意とします。ハウスメーカーで納得されない方はぜひ一度ご相談ください。よろしくおねがいします!

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