「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐5‐覚悟と空間
2016年3月28日
「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐5‐覚悟と空間
土佐堀川を望む、SEIUNDOのNew office。
3月28日(月)のオープンが、3日後に迫ってきました。
New officeは9階建ての7階部分にあります。
大川の桜を見下ろしながら、オープンを迎えるのです。
夜間仕事も多く、現場には苦労を掛けましたが、ようやく完成の目途が立ちました。
ロゴが入ると、エントランスゲートもぐっと引き締まります。
そして、オーバル・コミュニケーション・カウンターがやってきました。
左に見える、黒のイスは社長席。
船に例えるならブリッジです。
全体を見渡せる所に配置しています。
背後にある曲面壁は回転し、裏面がホワイトボードになります。
全ての収納扉もアール状。
現場が、散々苦労したのがこの楕円なのです。
しかし、そんな細部に神は宿り、応援してくれるのだと信じています。
打合せスペースは、マリオ・ベリーニの名作、キャブのアームチェアを選択しました。
来客を迎える準備も整いました。
オーバルとは変化し続ける曲線です。立ち位置によって同じ景色は1つとしてありません。
機会があれば、SEIUNDOの覚悟とそれを具現化した空間を、是非体験下さい。
文責:守谷 昌紀
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テラスにワン友が集まる、帰りたくなる家‐1257‐
2016年3月22日
テラスにワン友が集まる、帰りたくなる家‐1257‐
3月19日(土)発売、「住まいの設計05・06月号」に「野洲の家」が掲載されました。
左下にある「イヌと暮らす家&ネコと暮らす家」の特集内です。
撮影については一度UPしましたが、ここへの掲載を控えていた写真が結構あります。
掲載写真と被るのは勿論NG。誌面を構成する為に東京から3人も来るのですから。
カメラマンも、何度もアングルをチェックします。
誌面には、愛犬チロルが地窓から外を見る写真があります。
目線の先は写っていませんが、種を明かせば、寒い中をご主人が呼んでくれていました。
良い写真を撮るには、色々苦労があるのです。
2階のセカンドバルコニーから見る土塁の景色こそが、この家ならでは写真。
そこから見下ろす写真は、誌面にありませんでした。
よって、ここに掲載します。
「テラスにワン友が集まる、ドッグカフェのような家」がこの家のタイトル。初めは「イヌ友」となっていました。
しかし、奥さんから愛犬家はペットを家族だと思っているので「イヌ友」とは呼ばず「ワン友」というと教えてもらい、こうなったのです。
その奥さんから「守谷さんって、ペットに興味ないですよね」と言われました。理由を聞くと「チロちゃんが、足元に来てかまって欲しいと言っても、気付いてないもの」と。
なるほど。
嫌いでも、興味がない訳でもなく、クライアントの方意識が行っていただけなのですが。言い訳か……
愛犬家の人ほど、ペットの気持ちが分かることはありません。しかし、どんな暮らしを求めているかを教えて貰えば、答えを見つけることは出来ると思っています。
建築設計とは、人間学だと思っていましたが、生物学だったのです。
春には、もう一人のワンちゃんがやってくるよう。
ペットを飼っている人も、そうでない人も良ければ手にとってみて下さい。
いくらワン友が集っても、帰りたくない家では意味がありません。仕事において、最も大切なことが、意外に繰り返されないことは良くあることです。
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例えるなら‐1256‐
2016年3月18日
例えるなら‐1256‐
昨日、生駒山から太陽が頭を出したのは6時22分。
歳と共に早起きになると言いますが、今のところ私は6時で目一杯です。
生駒つながりで、北浜にある生駒ビルヂングです。
火曜日、SEIUNDOの現場へ行った際、前を通りました。
昭和5年、1930年の完成で、北浜界隈に残る、近代建築の一つ。詳しくは生駒時計店のwebサイトを。
スクラッチタイルで覆われた鉄筋コンクリート造の建物ですが「生」の字が、遊び心を感じさせます。
丸窓や、鷲の彫刻が施されており、多くの手、お金が掛かった建築なのです。
南よりにある縦長の開口部は、振り子をイメージしたものだそう。直喩の表現です。
2月中旬、写真家に撮りなおして貰った「宝塚の家」の写真が上がってきました。
生駒ビルヂングを絵画に例えると、王宮絵画の流れを引く、古典主義といった所でしょうか。
一方、宝塚の家は抽象画。
料理で言うなら、日本料理の刺身のイメージ。最小の手数で、素材を引き出したいと思っているのです。
対して、生駒ビルヂングはフレンチのフルコースか。
例えとは、互いが理解できる共通項を見つけ出し、そのジャンルに置き換えることです。食べない人は居ないので「料理」はとても重宝するのです。
先日、レンタルDVD店へ行くと、キャッシャーでいきなり「磨きますか?」と尋ねられました。あまりに唐突だったので「何故磨くの?」と聞いてみました。
25歳くらい若者は、慌てる風もなく、「キズが付いているのが嫌な人も居るので」と言います。私は、「キズが付いていても、観れれば嫌じゃないよ」と答えたのです。
アルバイト(社員?)の若者に問う必要があったのかは分かりませんが、この応対に何の指導もなく、彼は報酬を得ます。
日本の未来に、多少の杞憂を感じのは、ある程度の歳になったからでしょうか。
「何故?」がなければ、全ては暗記するだけになります。そして間違います。ましてや、伝えたいといく気持ちが無ければ、比喩など全く不要です。
トーマス・エジソンは小さい頃「何故?」を連発し、大人を大変困らせたそうです。立派なプロになるのに、難しいロジックなど要らないと思っているのです。
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「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐4‐楕円という思想
2016年3月9日
「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐4‐楕円という思想
この空間の核になるのは、オーバル・コミュニケーション・カウンター。
オーバル(oval)は楕円を表します。
そのカウンターに切れ込むように独立するエントランスゲート。
カウンターは最後に搬入される為、現在はゲートのみの状態です。
建築工事においては、現場制作と、工場制作とに分かれます。
壁は勿論現場制作ですが、カウンターに呼応する曲線となっています。
ようやくフォルムが浮かび上がって来ました。
消防法により、燃えない軽量鉄骨(ライトゲージ)で組まれます。
監督と話すのが、その工事の責任者。
「楕円の壁がなんとかできてほっとしてます」と言っていました。
楕円は、円と違って、均一な変化ではありません。
数学の時間に戻ります。
楕円は、2つの焦点からの距離の和が、一定となる曲線です。
このオフィスの壁は、3つの楕円で構成されています。
現場では、2つの焦点にビスを打ち込み、伸びない釣り糸を結びつけ、監督が直接床に描くのです。
そのラインに合わせ、スリットが入ったライトゲージを床に敷き。
そこに柱材を立て、両面に石膏ボードを貼り付けて壁は完成。
「ほっとした」の言葉通り、難易度の高い工事です。
カウンターは、更に4つの楕円が組み合わさって、出来ています。
それらをいくつかのパーツに分解。
7階にあるこのオフィスに搬入できるよう、通路幅を検討し、サイズを決定しました。
何故そんな面倒な楕円を使うのか。
人の世は、全てが関係性です。自分ひとりで完結できることはありません。
特に仕事においては、対象者があり、無限の選択肢が常にあります。
中心と半径を決めれば、1つの形に限定される円より、焦点を決めたとしても、距離を和の選択が無限にある、楕円の方が、適しているのは間違いありません。
しかし、面倒には常にコストが掛かります。それに納得して貰った場合のみ、実現へと至るのです。
感謝の気持ちを持ちつつ、楕円という思想が、この新しいオフィスに活気と変化を与えてくれると信じているのです。
文責:守谷 昌紀
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真田幸村に見る、権力と判官びいき‐1255‐
2016年3月8日
真田幸村に見る、権力と判官びいき‐1255‐
妻と娘がインフルエンザで、先週はバタバタしていました。
ようやく回復してきましたが、娘は学級閉鎖で、結局一週間休んだことになります。
退屈だろうと「出掛けよう」と言っても、大概は「家で居る」と言います。
しかし「真田丸」巡りに行こうというとあっさOK。
テレビは1日1番組としていますが、お気に入りは「ペットの王国ワンだらんど」「プリキュア」そして「真田丸」です。
「真田丸」は戦国時代、随一と言われた武将、真田幸村の人生を描いた大河ドラマ。
まずは、最後の主君となった、豊臣家の大阪城からスタートします。
8階の天守閣まで上がると、かなり足に来ますが、太閤、秀吉だけの眺め。
しかし、現在の大阪城は三代目で、秀吉の大阪城は更に東、現在のOBPよりにあったことが分かっています。
城内の展示も、真田丸より。
大坂夏の陣図屏風の中央やや右に、赤備えの幸村隊が見えます。
仕事を休んでいた1年間で、一番記憶に残っているのが、池波正太郎の「真田太平記」。文庫本なら12巻の長編小説です。
よって、勿論私も幸村ファン。
2015年の正月には、上田城前の館へ寄ってきました。
現在も土塁が残り、地元の人に愛されているとありました。
HNKのwebサイトには「大河ドラマの原作はなく、三谷幸喜オリジナル」とあります。
真田本といえば「真田太平記」。なんらかの影響は受けているのではと想像しています。
「真田丸」は、大坂夏の陣の際に幸村が築いた出城です。
そこから戦場に現れては消えと、神出鬼没の幸村隊は、徳川軍に大きなダメージを与え続けました。
大阪城と抜け穴で繋がっているのではと考えたのでしょう。その、抜け穴伝説の残る「三光神社」へ。
大阪城の南東端、森ノ宮駅から一駅南の玉造駅。
そこから90mのところにあります。
像の左にあるのがその抜け穴。
穴をのぞくと、行きどまりになっているような、いないような。
こういった話は楽しんだもの勝ち。きっと繋がっているはずです。
しかし、科学は非情です。
最新の研究で「真田丸」は、三光神社の南西、大阪明星学園の敷地に有ったのではと、結論を出しました。
この坂を登った先に、明星学園があるのですが、この日は時間切れ。またの機会に持ち越しです。
最後は、試験終わりの長男を拾って、幸村最後の地へ。
天王寺の北、一心寺の向かいにある安居神社は夕方だからか、門が閉まっていました。
外から見るのみになってしまいました。小説では、愛馬・月影と共に、ここで潔く首を差し出し、果てたとなっていたはずです。
大河ドラマはまだ観ていないので、幸村がどのように描かれているのかは分かりません。しかし、人気の根底にあるのは、判官びいきと言えそうです。
太平の江戸時代を築き上げた家康の功績は多大ですが、絶対の権力者に対する反発心は世の常です。
信州上田の地方豪族だった真田家が、何度も徳川家に一泡吹かせる様は、痛快だったに違いありません。
また、旗印の六文銭は三途の川の通行料。地獄も恐れないという勇猛さ。また、豊臣に忠誠をつくす律義さも相まって、幸村伝説は語り継がれているのだと思います。
その辺りは、この日記でも、何度か触れました。
権力は腐敗する、絶対的権力は徹底的に腐敗する
英国の歴史家ジョン・アクトンの言葉の通り、権力は、常に破滅、腐敗と裏腹です。
FIFAの会長問題、オリンピック誘致の汚職問題、かの国の独裁政治を例に引くまでもなく、歴史がそれを証明しています。
では、家康は何故270年に及ぶ江戸時代の基礎を築けたのか。腐敗しなかった理由は、評論家谷沢永一のたとえが巧みです。
彼は、秀吉は「可愛げ」、家康は「律義」で世を治めたと言いました。
美しく散るも良し、可愛げにもにた律義も良し。人の生き方は様々です。
しかし、私を含めた一般大衆は、前者の幸村に憧れるのでしょう。出来もしないので、それはそれで健全だとも思うのです。
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「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐3‐水上から
2016年3月3日
1970年のこんにちは‐1252‐
北浜が、なぜ聖地なのか。
SEIUNDOのストロングポイトと合わせて、前回書いてみました。
北浜の象徴でもある、大阪証券取引所と向かい合うのが難波橋。ライオン橋で知られます。
右の像は口を閉じた吽形像。反対に、左側が口を開いた阿形像。
車や飛行機が流通の主力となる20世紀まで、街にとって、川の役割は別次元の重要度を持っていました。
八百八橋は、商人の街の誇りだったでしょう。
北浜一丁目平和ビルは、その難波橋から東へ180m。
工事請負契約前に、見切り発車した現場日記ですが、ようやく契約が成立。本格的に工事がスタートしました。
まずは、オーバル・コミュニケーション・カウンターの墨出し。
楕円のカウンター、楕円の壁位置を、監督が直接床に描くのです。
この複雑で、細やかな仕事が、ロボットに出来る時代がもしやってきたとしたら。果たして、人類はまだ生かされているのだろうかと思います。
全ての場所で、一つとして同じものがない建築は、人における手仕事の砦だと私は思っているのです。
土佐堀川の北側を走る阪神高速の環状線。
中之島の中央公会堂を過ぎれば、このビルが見えてきます。
時々、眼下を走るアクアライナー。ここからは目の前で、見上げる形になります。
4月2日、社員のご家族をアクアライナー招待する、本社移転イベントが開催されることが社長から発表されました。
桜が盛りの中、水上から本社を見上げるという趣向とのこと。
3月27日の引っ越しもそうですが、この日には完全に仕上がっていなければなりません。
SEIUNDOの社長は田畑さん。seven dreamersの社長は阪根。S率がやたらに高いのは、勿論偶然のはず。
文責:守谷 昌紀
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1970年のこんにちは‐1252‐
2016年3月3日
1970年のこんにちは‐1252‐
梅が終わり、桃が咲き始めたら春の足音は更に大きく。
3月3日、今日は桃の節句です。
日曜日は、万博公園にも寄りました。
過去、現在、未来を貫き、吹き上げるエネルギーを表現したのが太陽の塔。上部の顔が「未来」、中央が「現代」を表します。
この「現代」の顔は、セブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が、岡本太郎と共同で制作したものです。
岡本太郎はコンクリートで作ることを希望しましたが、技術的に難しいことが分かりました。
スーパーレジン工業が協力し、樹脂で作られることになったのです。レジンとは樹脂という意味。
太陽の塔は、アートと技術の結晶でした。
ー
開催時、丹下健三設計の大屋根の中に塔はありました。
しかし、その記憶の無い私には今の姿がしっくりきます。
公園内に唯一現存するパビリオンは「鉄鋼館」。「EXPO’70パビリオン」として2010年にリニューアルオープンしています。
設計は、京都文化会館などで知られる前川國男。
エントランス前には、エキスポタワーのパーツが展示されていました。
こちらは、メタボリズムの体現者、菊竹清訓の設計です。
1990年まで、登ることが出来たようで、行っていないことに悔いが残ります。
「EXPO’70パビリオン」のホワイエは、前川らしい広い階段と、レンガで構成されています。
当時、館内のスペースシアターでは、音楽と照明によるスペクタクルショーが繰り広げられていたそう。
この日は、小澤征爾の楽曲が流れていました。
1970年頃と言えば、サイケ(サイケデリック)ブーム。
これが当時の最先端ファッションでした。
館内のデザインも、当時の気分を反映するようリニューアルしたのでしょうか。
これは前川のデザインではないのは明らかですが。
万博は、芸術家、技術者、建築家、音楽家、そして来場者にとっても、華やかな表現の場だったのです。
初めての著書を年末に出版するため、執筆も進めています。
自らの生い立ちに触れる際、1970年に生まれた事は、自分の人生に様々な影響を与えていると感じます。
70年代の高度経済成長期に幼少時代を過ごし、80年代後半のバブル経済とその破たんを体感。そして90年代に創業と、様々な時代の気分を見てきました。
1970年と言えば、戦後25年。この歳になり、ようやくその時間軸が理解できるようになりました。
敗戦後、1964年東京オリンピック、1970年万博と、先人の頑張りのお陰で、豊かな時代を過ごさせて貰っていたのです。
自分の意思や能力を片輪とするなら、もう片輪は環境、言い換えれば時代の気分です。この両輪がかみ合った時、初めて前に進めます。
いくらカーレーサーになりたくても、車がなければなれないからです。
万博のテーマ曲にある「1970年のこんにちは」という歌詞。
自分の為に時代があるはずもなく、「こんにちは」と私達がお邪魔している。人も時代の産物なのだと思います。
時代の気分を凍らせたものが建築なら、更に、遣り甲斐と責任を感じるのです。
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メディアにのる‐1250‐
2016年2月26日
メディアにのる‐1250‐
昨秋、全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズ。
先週土曜日には、ジャンボこと尾崎将司選手との契約を発表。 社長、阪根との2ショットもYahooニュースに掲載されました。
芝公園ラボで試打させて貰いましたが、久し振りの私で270ヤード。尾崎選手なら370ヤードは飛ぶはずです。
「宇宙工学だよ。飛ばないわけがない」のコメントが全て。
69歳にして、レギュラーツアーを目標にしている、ジャンボ尾崎選手に注目せざる得ません。
23日(火)の夕方、テレビ大阪のニュースでは、梅田ラボも紹介されていたよう。
すでに、メディアが放っておかない存在になっていると言う事です。
負けていられないと、同じく23日(火)、フジテレビ『みんなのニュース』で「松虫の長屋」が紹介されました。
「リノベーションの特集があるので」と、ディレクターから連絡を貰ったのが22日の月曜日。
翌23日に「松虫の長屋」で行きたいと再度連絡がありました。金額の露出もあるので、クライアントに相談すると快くOK。
本家・ビフォーアフターのテーマに乗せて、3枚の画像を紹介して貰いました。
コメンテーターが、「この作品を手掛けた、守谷(もりや)さんによると、リノベーションは新築の8割程の価格」と私のコメントも紹介して貰いました。
名前の読み違いはご愛敬ですが、ディレクターも「ばっちりでした」と喜んでくれました。
資料を送ってから放送までは3時間。テレビはいつも時間がタイトなのです。
また、2月20日発売の『月刊ハウジング4月号』には「野洲の家」が掲載されました。
「好きな間取り」という特集記事の、第1位が「対面式キッチン」。その実例として紹介です。
このコーナーの中では、一番大きな扱いでした。
私が撮った、奥さんが料理をするカットとパントリーのカットも一緒に掲載。
家を建てたいと思っている人が、どんな風景を見たいのか。それはいつも考えています。
クライアントで、メディアに載ることが好きな人は極僅かです。
それでも、出てくれるのは、アトリエmの役に立つのならという気持ち以外にないはず。
そう考えると、私が最も誇れる商品は、クライアントとの関係なのです。
「野洲の家」に続いて「松虫の長屋」の取材も決まりました。
お世辞を言う訳でもない私と、長い時間を掛けて建築を創り上げる。そして、最後はメディアにまで出て貰う。
本当に有り難いことだと、つくづく思います。
多く選択肢から選ばれるには、常に全力の総力戦です。その中に、クライアントが入っているのが味噌なのです。
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「楽しい」と「楽しくない」の分水嶺‐1249‐
2016年2月23日
「楽しい」と「楽しくない」の分水嶺‐1249‐
今年の正月は、御岳山・開田高原で過ごしました。
長男と私がスノーボード。他の親族は皆スキーです。
2014年の3月、野洲の家のクライアントに、スノーボードを教えて貰って以来、雪上での苦悩が始まりました。
開田高原では、嫌という程こけました。低温につき、全面アイスバーンで、あちこちにアザが出来る始末。
得意なはずの雪上で、無様な姿をさらし続け、同じ日に始めた長男との差は開く一方なのです。
出来れば滑りたい長男。
昨日は現場打合せの後、そのまま奥伊吹スキー場へ。道中に見えるのは伊吹山です。
子供の頃、仕事終わりの2tonトラックで、ここに滑りに来た事があります。どこか近くの現場があったのでしょう。
それでもトラックでスキーとは。父は、確実に私よりスキーが好きだったと思います。
奥伊吹スキー場は更に北。関西のスキー場も捨てたものではありません。
気温が低かった事もあり、適度に雪面も締りグッドコンディションでした。
長男は、安定感が増してきました。
子供は本当に呑み込みが早い。
やるからには、私も真剣です。ようやく、何とかターンしながら下りてこれるようになってきました。
長男に、写真を撮ってみてと頼むと「こけても撮るで」と。
その通りに。
意外に写真が上手いのかもしれません。
相変わらず派手にこけていますが、また行こうと思えるようにはなりました。
今回、ターンとターンのつなぎ目の体重移動を思い切ってするようにしました。自信なく、恐る恐るの体重移動が、逆エッジを引っかける原因ではないかと考えたのです。
長男に言うと「そうやで」と。知ってたなら教えてくれですが、やはり、不安が上達を妨げていたと分かります。
スノーボードを始めて延べ4日。「面白い」と「面白くない」の分水嶺が4日目にやってきました。
現在、インターンシップに20歳の若者が来ています。元・高校球児で、動きもきびきびとして、好感が持てるのです。
出来れば、仕事の楽しみ、仕事の苦しみ、そしてのその先にある充実を伝えることが出来ればと思います。
「安楽は充実を生まない」
「恐れとは、信頼の欠如」
スポーツでも仕事でも、原理原則に違いは全くありません。
しかし、仕事においての分水嶺が4日や4カ月でやってくることが無い事も伝えておかねばと思うのです。
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「土佐堀川を望むオフィス-SEIUNDO-」‐2‐オーバル・コミュニケーション・カウンター
株式会社SEIUNDOのwebサイトには、本社移転がすでに告知済。
プレッシャーは増す一方ですが、「聖地・北浜へ」とあります。
NHKの朝ドラで、ディーン・フジオカが演じた五代友厚像があるのは、大阪証券取引所前。まさに北浜の中心です。
SEIUNDOは株主総会関係の印刷等の専門家で、顧客の多くは上場企業です。
なかでも特許製品「ワンタッチ入場票」は大規模な株主総会でのシェアが6割以上もあり、彼らに圧倒的な支持を得ているのです。
ー
北浜の中でも、土佐堀川を見下ろす環境は更に限られたもの。
楕円型のカウンターに囲まれた、働らく空間を提案しました。
このカウンターを、オーバル・コミュニケーション・カウンター(oval communication counter)と名付けました。
仕切りのようにも見えますが、このカウンターは、訪れた人と社員の、また社員同士がコミュニケーションをとる、中継点になってくれると考えています。
右上からアプローチ。
門型のゲートをくぐると、一気に中之島を望む景色が広がります。
そして、奥の空間に応接スペースへ。
土佐堀川を望む景観を損なわず、隔てず、導き、分けながらも繋ぐ。そんな機能を形にしました。
1階には、土佐堀川を望むテラスもあり、環境的には申し分ありません。
この本社移転計画において、私達が出来ることは何かを問いました。
それもあくまで完成してこそ。
3月末、サクラサクとなるように。
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...