「KISHIWADA HOUSE」‐3‐現場もやっぱり人となり


 建方が終わった「KISHIWADA HOUSE」。



 この敷地は、比較的正方形に近い矩形です。 

 経済効率から、間口が狭い方が一般的ですが、秀吉が間口に対して課税額を決めたのも、一端と言われています。



 前面道路の通行量から、車の軌道をデザインの動機としたことは、初回に書きました。



 シート裏をのぞくと、分かりよいかもしれません。



 道路は北側にあり、1階の主要な部屋は南の庭に開いています。



 2階は、中庭のようなバルコニーを、各部屋の中央に配置しました。



 加えて、北側にもバルコニー。北と南から外部が切れこんでいます。

 正方形に近い平面に、光と風を内部に届ける為に考えたプランなのです。 



 建方の日は5人程の大工チームでしたが、リーダーはこの2人。



 副棟梁は36歳。

 「若いね」と言うと「そんなに若い方でも……」と。

 最近の高年齢化が進む現場では、若い方と言ってしまいます。



 手前が監督で奥が棟梁。棟梁は40歳です。

 監督は「載せるなら横顔にして下さい」と言うのでそうしました。

 

 仕事なので、いつも笑ってばかりは居られません。

 ただ、こんな笑顔のある現場が、上手くいかないと想像する方がナンセンスだと思っています。

 笑顔は全人類共通の幸せ。今日も、そんな1日でありますよう。

文責:守谷 昌紀 

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

ジーニアス‐1248‐

2016年2月19日

ジーニアス‐1248‐

 土曜の晩はかなり雨が降りました。

 昨日は、「KISHIWADA House」の現場へ行っていました。

 現場は、南海電鉄の駅から5分程です。



 南海電車は、難波と和歌山を結ぶ私鉄。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 関空特急のラピートが有名ですが、基本は青の鉄人28号バージョンです。

 プロダクトデザイナー・建築家の若林広幸の作品で、彼は京都の老舗漬物メーカー、西利本社も設計しています。



 昨年の夏、LCCのピーチとタイアップした、白バージョンをみました。



 昨日、新今宮駅で見た銀河系ラピート。



 スターウォーズとタイアップした、黒バージョンです。

 ラピートは、「レトロフューチャー」がデザインコンセプトとありますが、どのカラーも本当にかっこいい。時代に耐えうるデザインです。

 2月12日(金)の新聞は『重力波 初観測』の記事が一面を飾りました。

 100年前に、アインシュタインが存在を予言していたとあります。

重力波 = 重力の周りの空間をゆがめている物体が動くことで、ゆがみが波紋のように周囲に広がっていく現象。全ての物質を光速で通過し、減衰しないとされる。人が腕を回しても発生するが振幅が小さすぎて検出できない。非常に重い中性子星同士の合体やブラックホールの誕生、超新星爆発など大規模な劇的な現象によるものは観測可能とされる。重力波による空間のゆがみをとらえる装置は、太陽と地球の距離(約1.5億キロ)が水素原子1個分伸び縮みする僅かな変化を完治できるほどの高感度を求められる。

 初めの「重力の周りの空間をゆがめている物体」という言葉だけで、もう分からなくなってしまいます。

 測定できないものを理論上で解明し、100年後に観測されるなど、天才と言うか、もう神の領域です。

 「進化論」のチャールズ・ダーウィンも時代を変えた天才の一人。1858年『種の起源』の中で発表しました。157年前の事です。

 若い頃のダーウィンは、ビーグル号に乗って世界一周をする機会を得ました。そして、南海の孤島、ガラパゴス諸島で、それぞれの島に固有の種が居ることから、進化論を着想した。という事になっています。

 2014年、NHKの「スーパープレゼンテーション」で、作家・スティーブ ・ジョンソンの回。こんな話がありました。

 ダーウィンは自伝の中で「自然淘汰」のアイデアが「ひらめいた」瞬間を書いている。1838年10月に人口に関するマルサスの著書を読んでいる時とあるが、10年か20年程前に、ハワード・グルーバーという学者がその時代の彼のノートを調べてみた。彼はどんな些細な事もノートにとっており、その何カ月も前から、自然淘汰の理論は出来上がっていたことが分かった。

 完全に確立出来ていたかは別にして、新しいアイデアは長期に渡って練られ、それがネットワークのようにつながったとき、イノベーション(革新)が生まれるというのが、彼の主張でした。

 相手が天才であっても、過程は鵜呑みにしてはならないのかもしれません。しかし、興味を持ち続けることが、天才の必要条件ではありそうです。

 天才=ジーニアスは「守護霊」や「守護神」を 意味するゲニウスが語源とあります。

 日々の仕事の歩みは、三歩進んでは二歩下がり。本当に遅々としたものです。

 神でも天才でないなら、せめて諦めないクレイジーで居なければと思うのです。

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

とどめの一撃‐1247‐

2016年2月15日

とどめの一撃‐1247‐  
 土曜の晩はかなり雨が降りました。

 一雨ごとにの言葉通り、昨日は一気に春の装いでした。



 庭先の梅も一気に咲き始めています。

 日本人の心を、春へ案内し続けてきた花。まさに希望の花と言えます。



 朝、宝塚の高台から見下ろす大阪キタのビル群は、なかなかに幻想的です。

 先週の木曜日、再度「宝塚の家」の撮影に行っていました。



 一度自分で撮ったのですが、やはりプロに撮って貰うべきと、写真家にお願いしました。

 この日はずっと快晴で、絶好の撮影日和でした。



 雲の無い状態が、これだけ長時間続いたのは、何十年か振りかだそう。

 写真家も、いつも以上に(いつも通りに?)気合十分で撮ってくれました。



 建築の写真は、晴れと曇りとで、全くできが違います。



 「釣りの日が、全部雨になってもいいから、撮影の日は晴れにして下さい」と勝手な神頼みをするのです。

 昨年の11月、NHKの「プロフェッショナル」が10周年を迎えました。

 その特番で、主題歌「progress」を歌う、スガシカオの創作の現場に密着という回がありましたが、ようやく録画を観たのです。

 彼はシンガーソングライターですが、どちらかと言えば、詞のほうにフォーカスしていました。

 Mr.Childrenの桜井和寿が「自分の醜いものや隠したいものがどうしても出てしまうのか、出しているのか」そこが凄いと語っていました。

 「川の流れのように」を書いた秋元康や、ノーベル賞候補に上がる村上春樹までが絶賛する詩人なのです。

 SMAPに提供した「夜空ノムコウ」も彼の作詞です。こう言っていました。

 現在を『あの頃の未来』と表現したことで、この曲はできた。

 後年、芥川賞の選考委員をしていた作家・開高健は受賞作を選ぶ基準をこう表現しまいた。

 その作品に『鮮烈な一言半句』はあるか?

 「クー・ド・グラース(とどめの一撃)」とも表現しています。

 坂の街に住むと決意したクライアントがこの土地を選び、この家は出来上がりました。



 擁壁を超えてはならないという市条例、擁壁に荷重を掛けたくないという設計意図、階段状敷地が故の高さ制限。

 それらの条件をクリアする為に考えたのが僅かに宙に浮く片持ち構造の階段です。ミリ単位で擁壁際を狙っています。

 『鮮烈な一言半句』 『とどめの一撃』はあるのか……

 賞レースで問うてみたいと思います。  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

アスリート VS 経営者‐1245‐  

 立春が過ぎ、僅かに寒さも和らいだでしょうか。

 現場にとって、厳しい時期には変わりはありませんが。



 「KISHIWADA HOUSE」は基礎工事が終わったところ。



 まだ吹きさらしの状態での水仕事は大変です。



 暑いから、寒いからと、金額が変わる訳ではありません。

 勤勉な職人の手によって、日本の建築現場は支えられているのです。



 現在は、基礎のベースコンクリートを打設したところ。

 「羽曳野の家」はリノベーション。 吹きさらしよりは、少しはましです。



 それでも、暖を取る為の電気ストーブがおいてあります。



 「長田の家」は外壁まで出来上りました。



 随分ましになったと、監督も言っていました。

 三軒三様。過程を見て、現場の苦労と、家の有り難さがよく分かります。

 この一週間、清原の名前が記事に上がらない日はありません。

 野球選手とタニマチの関係は、野村克也の著書「野村ノート」にもありました。ここでは、阪神の選手ですが、彼ほどの知名度があれば、状況は同じでしょう。

 名経営者、京セラ名誉会長・稲盛和夫さんは、こんな話をしてくれたことがあります。京セラ所属の選手が、女子マラソンでオリンピックへ出場した時のことです。

 稲盛さんは「必ず前半からトップグループについて行くように」と彼女にアドバイスしていたそうです。

 コーチから「会長はマラソンの事はご存じないので」と、口を挟まぬよう言われました。しかし「マラソンのことは分からなくても、仕事の事は分かる。初めから全力疾走していなければ、今の京セラはなかった」と言いました。

 その選手は、確か目標通り5位前後に入賞したのですが、稲盛さんは、「可能性があったのだから、一番、せめてメダルを目指すべきだった。死にもの狂いで、トップ集団に付いていくべきだった」と言ったのです。

 経営(仕事)は、毎日毎日が真剣勝負。社員の生活を預かって、一日一日を命懸けで働いている。たった4年くらい、全力で努力が出来なくてどうする。私達は、オリンピックのメダリストより、大変な事をしていると言っても言い過ぎではないと。

 人の体は年老いて行きます。その自然の摂理を受け入れた人だけが、アスリートとして生きて行けます。その分儚く、それ故、放つ光が美しいのです。

 48歳の大人なので、全て自分の責任です。裸の王様に聞く耳はなかったのしょうか……

 寒空の中「KISHIWADA HOUSE」で、モルタル詰めをする職人が、はつらつと働く様を見て、これが仕事じゃないかと思います。

 主役以外の仕事に敬意を払えない世の中になって行っているのでは。そんな事を危惧するのです。  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

「SEIUNDO」‐1‐プロローグ 

 2004年11月、株式会社SEIUNDO(当時は青雲堂)の1階に、RED-Labがオープン。

 プロクリエーターへ印刷物を提供する小さな店舗で、赤をメインカラーとすることを提案した。

 コーポレートカラーが青だったこともあり、思い切って対比させたかったのだ。



 天神橋筋商店街にある本社ビルから、北浜のオフィスビルへの移転計画を聞いたのが昨年の10月。

 内装計画の提案をしてくれないかと言われ、11月から本格的にプロジェクトはスタートした。

 北浜1丁目の新築オフィスビル。

 土佐堀通り北側で、中之島バラ園の川向かいと言えば分かりよいだろうか。



 7階にある1室は、約200㎡。

 何より素晴らしいのは、北側の景色だ。



 北西には大阪弁護士会館 梅田の高層ビル群を望む。



 北東にはOBP。クリスタルタワーが見える。



 足元に広がるのは大川。

 初めて訪れた時には、川遊びを楽しむ様がみられた。



 昨春の「セブンドリーマーズ梅田ラボ」もそうだったが、年度末の商業空間には、時間の厳しいプロジェクトが多い。

 現時点で、まだ工事請負契約まで成立していない。しかし、webサイトで3月28日の移転は発表されている。

 よって何とかするしかない。

 どのようなオフィスになるのか。 SEIUNDOとはどんな会社か。なぜ北浜に移転するのか。

 追々書いていこうと思う。

文責:守谷 昌紀  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

天才の勤勉と孤独‐1244‐  
現在、グランフロントで「ダ・ヴィンチ展」が開催中です。



 芸術家、科学者、技術者としてもすぐれた、言わずと知れたルネサンスの天才。



 彼の手稿(メモ書きのようなもの)が精巧に復元され、多数展示されています。

 自画像のデッサンを見ると、異次元なのだと理解できます。



 展覧会のwebサイトに、彼の言葉が載っています。

 「簡単でいいのでメモを取る。その為に、小さなメモ帳をいつも持ち歩く」

 同じレベルでは描けないまでも、これはすぐに真似出来ます。早速、小さなメモを買いました。



 彼の考えたヘリコプター等、多くの模型が展示されていますが、メインはやはりアンドロイド。

 目の動きなど、今まで見たなかで、最も精巧でした。

 現実に働く、人型ロボットが生まれる日が、確実に近づいていることを実感します。

 それが人類の幸せに貢献するものであることを祈るのみです。



 レオナルド・ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村のレオナルド。

 言わば「村の天才」という意味です。生家の写真がありましたが、なかなかに恰好のいい建物でした。

 彼はここで庶子として生まれ、祖父の元で育てられました。



 ヴィンチ村はフィレンツェ近郊の村です。



 15世紀中頃、フィレンツェは隆盛を極めていました。

 この街でヴェロッキオに師事し、芸術家としてのスタートを切ります。

 しかし、横暴な政治を行っていたメディチ家を、ダ・ヴィンチは嫌っていたようで、活動の拠点をミラノに移します。



 花の都には劣るもの、繊維産業や兵器産業が盛んなミラノで、画家として、技術者として、徐々に仕事を得て行ったのです。



 2012年に訪れた際、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィェで「最後の晩餐」を観ました。

 完成まで3年の時間を要しています。

 彼は完璧主義の為、作品として残したのは十数点にすぎません。その意味でもこの大作は貴重だと言えます。



 1995年、24歳の時にルーブルで「モナ・リザ」をみました。

 感激で心震えた、と言えれば良いのですが、第一印象は「意外に小さいんだな」というもの。

 しかし、当時も天才の本物を観たいと思っていたのです。

 ダ・ヴィンチは、溢れる才能と、繊細な神経ゆえ、人に心を悟られるのを嫌い、鏡文字を書いたそうです。

 こんな言葉を残しています。

 「独りでいる時、人は完全に自分自身になれる。ところが、たった一人でも連れがいれば、自分の半分になる。連れの言動が思慮に欠けるものであれば、それにより、さらに自分は減るかもしれない」

 この展示会では触れられていませんが、後年、彼の回りには、常に若い男が居たことや、男色の容疑を掛けられたことがあることから、ホモセクシャルだったのではと言われています。

 独りを愛し、鏡文字を書く天才。孤高という言葉がしっくり来ます。

「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」

 太宰治が引用したフランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの一節ですが、少し分かると言えば、失礼でしょうか。  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

「宝塚 RC打放しの家」‐9‐家は人となり 

 2013年の8月に計画がスタートし、ようやく引渡しが終わりました。

 なかなか金額が合わない時「工事はいつ始めても良いから金額を合わせて欲しい」と施工会社に伝えました。



 そんな荒業まで使い、何とかここまでやってきました。

 アプローチは西側から。



 そして東の道路下から見上げた外観。

 南からの光を受けるため、2階では南東の眺望を得る為、階段は擁壁ぎりぎりに浮いています。



 エントランスには、RCのベンチがあります。



 1階のダイニング・キッチンにリビングの機能はありません。



 それらは、全て2階の「P室」が受け持ちます。



 この部屋、ピアノを置く予定で、当初は「音楽室」と呼んでいました。

 しかし、左奥に見える扉の中に、小さなピアノ室を設けることになりました。

 ご主人から「今、パンダのぬいぐるみが目に入ったので、この部屋を仮に『P室』としておきます」というメールがありました。

 以来、この部屋はP室になったのです。



 明確な用途がある訳ではなく、空を見たり、星を見たり、時には雨だれを見たり。



 その為に深い庇を設けました。

 庇の上には、簾が掛けられるように、フックもつけてあります。



 「P室」の横に並ぶ部屋は「視聴覚室」。

 映画を見たり、音楽を聴いたりする空間です。

 「テレビは存在感が強いので、P室に置きたくない」と、明確にイメージを伝えて貰っていました。



 坂のある街に家を建てることを決め、コルビジェのファンズワース邸、メキシコのバラガン自邸まで足を運んだクライアント。

 半面、ユーモアを忘れない人でもありました。



 取り扱い説明の日、お子さんのテンションは上がりっぱなしでした。それを見る夫妻の眼差しが何とも優しい。



 宝塚の高台から見下ろすこの景色は、私達からのプレゼントです。



 「ダイニングには、花を活けておく小さな棚があればいいなと思うんです」



 家は人となり。そんな会話の積み重ねが、家を形作って行きます。

 生活が本格的に始まったら、また撮影に来たいと思うのです。  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

「美」の構造‐1243‐ 

 「行く・逃げる・去る」の通り、1月はあっと言う間に行きました。

 今日から2月。逃げられないよう、しっかり捕まえておかなければ。

 先月のことですが、豊中へ行っていました。



 千里中央駅まで移動し、電車に乗ったのですが、駅向こうに見える景色に驚きました。

 阪急・千里中央店の外観がとてもダイナミック。

 力の流れを、そのままデザインに持ちこんでいるのだと想像しますが、最外のフレームは耐震補強の為か。

 いずれにしてもかなりの迫力。「連続の美」と言えそうです。

 先週、この阪急で働いていたという人と話す機会がありました。

 「凄い百貨店ですね」と熱っぽく語ると、「本店の次に出店したはずですが、内部のほうは……」といった感じ。

 70年代に完成したようですが、設計者を調べてみましたが分からずじまい。もしかすると天井高が低いのかもしれません。今度は中ものぞいてみます。

 「美」はそれぞれが感じるものなので、様々な答えがあります。

 しかし、カテゴリー分けすることは可能でしょうか。



 朝靄の立つ湖。



 凪の海。



 水平線に沈む夕日。

 人も自然ですから、自然の美しさは無条件に受け入れられます。



 強さに裏付けされた肉体なども、美の一つでしょうか。

 美というよりは、本能に近いのかもしれません。異性に求める美もこの一種か。

 「モナ・リザ」の美しさは、ダ・ヴィンチという人が表現したものですが、描いている対象は人。これも自然界の美が基本にあります。

 一方、ミロやモンドリアン等の抽象画、建築等は、「人が作った美」。自ずと、好き嫌いが分かれます。

 「空間なんて好みじゃない」と時々言われます。

 しかし全体のストーリーを整理し、その人らしい秩序を成立させるのが、私の仕事なのだと考えています。

 着物の上に、有名ブランドのジャケットを羽織り、革のブーツを履いている紳士が居たとします。それぞれの物は高級品。

 しかし、それを素敵だと言う人は居ません。服なら誰もが分かるのですが、空間は、このあたりが分かり難いのです。

 川の水がヘドロのように真っ黒で、無臭・無害だとします。機能的に問題が無くとも、気分が良い人はいません。

 「機能を満足する」の先にある「美しい」。それは、人にとって大切なものだという信念があります。

 建築を例にしましたが、物創りをする者にとって「美しい」を追求するのは、義務と言って良いと思います。

 次の機会には、なぜ私が「美しい」を求めるかを書いてみます。  

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

「羽曳野の家〈リノベーション〉」‐2‐リフォームローンとは

 では実際「リフォームローン」とはどのようなものか。

 一般的に言えば、500万円から1000万円までが相場。

 一方、新築の住宅ローンは土地と一体で組むこともあり、4000万円位までは問題なく下りることが多いのです。



 先日解体を終えた「羽曳野の家」。



 今回は、外壁、屋根はほぼ活かしますが、内部はスケルトンです。



 南向きの掃き出し窓を入った景色。



 奥から見返すとその大きさが良く分かります。

 この家は、140㎡弱(42坪)あります。新築で建てた場合を、仮に坪80万円で試算してみます。

 80万円/坪 × 42坪 = 3360万円。



 新築に比べて追加されるのが解体・撤去工事。

 それが約100万円程掛かっていますが、それをひとまず除いたとして、工事費用が1000万円の場合は以下のような計算になります。

 1000万円 ÷ 42坪 = 23.8万円/坪

 壁紙の貼り換えや、設備機器のやり替えだけなら全く問題ありませんが、この規模の建物のフルリノベーションでは、正直難しいのです。

 建物の規模、リノベーション後の価値などを合わせて、融資の金額を決定して欲しいというのが希望ですし、それが時代のニーズなのです。

 クライアントは、いくつもの銀行に相談をしました。しかし「1000万円までなら」という回答ばかり。

 しかし一行、新築と同じような流れで審査してくれた銀行を見つけました。スムーズにとは言わないまでも決済がおり、ようやく着工となったのです。

 クライアントは「同じような希望を持っている人の励みになれば」と、言って貰いました。

 その過程も、詳らかにして行きます。

文責:守谷 昌紀

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/ (続きを読む)

株式会社‐1241‐ 

2016年1月29日



 先週は概ね天気が悪く、金曜日だけ晴れ間がのぞきました。

 「宝塚 RC打放しの家」は、昨年中にほぼ工事が終わっていましたが、この日が引渡し。



 晴れるならと、急遽、第一弾の撮影をしてきました。



 まだ、本格的な生活は始まっていませんが、家具があると、スケール感が伝わるでしょうか。



 RC打放しは、壁に光が当たるだけでも絵になります。

 これらは、また現場日記にUPしたいと思います。



 撮影を終え、帰りは阪神高速・空港線通ります。


 この日は3人で現場へ行っていました。

 普段、ゆっくり話す時間もなく、移動も貴重な打合せ時間。

 しかし、こんな景色をみるとつい話題はそちらに。皆で外に出るのはやはり良いものです。

 20代の頃、一人で変な汗をかきながら撮影していた事を思い出し、チームの有り難さを痛感するのです。

 社会派小説、経済小説というジャンルを確立した作家・城山三郎。

 「官僚たちの夏」、「総会屋錦城 」「価格破壊」など、いずれも面白く、読み応えがありました。



 「雄気堂々」は、幕末、明治初期に、薩長土肥いずれの藩閥にも属さない埼玉県の農夫、渋沢栄一が、実業家として成功していく物語です。

 日本初の商業銀行、第一国立銀行(後のみずほ銀行)の初代頭取、東京商法会議所、理化学研究所の設立。 多くの企業等の創設に関わり、合体組織(株式会社)を日本に根づかせました。

 日本初の株式会社は、坂本龍馬のつくった「亀山社中」という解釈もありますが、フランスで資本主義を学んだ彼が、実際の功労者と言えそうです。

 渋沢栄一は実在の人物なので、登場人物もキラ星のごとく。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、徳川慶喜、大隈重信、山形有朋、伊藤博文、岩崎弥太郎……

 しかし、近代国家は個々の才能に頼るだけでなく、知恵、お金を持ち寄り、協力しなければならないという哲学を持つようになりました。こんな下りがあります。

 書くためには、筆と墨と硯が要る。それぞれの役割や動きも違えば、寿命も異なる。硯は何年経っても寿命が来ないが、墨は数カ月のうちに影も形もなくなってしまう。筆に至っては、もっと寿命が短く、激しく使えば。数日ですりきれてしまう。受け身で動かぬ硯が寿命が長く、最も動く筆の寿命が短い。これは人間社会にもあてはまる。

 正直に言えば、自分一人の圧倒的な能力で、成功したいと思っていました。

 しかし、一人はやはり一人。多くのキャストで演じられるような、よりダイナミックな舞台をつくり上げることはできませんでした。

 しかし一方で、栄一はこうも言っています。

 好んで争うこともないが、人生、衝突を避けるわけには行かない。人間には、まるくとも、どこかに角がなけれなならぬ。まるいだけだと、ころびやすい。正しいことは、ゆずってはならぬ。

 角と、ゆずらぬは大丈夫のはず。後は、栄一の言う、合体組織の本質、特性を伸ばして行かなければなりません。

 本来の意味での株式会社の特性を活かせているかは疑問です。

 ただ、私個人の為にこの会社が存在しているのではなく、物創りを通して、クライアント、社員、家族、社会、そして人類の役に立てる存在でありたいと思うのです。

 一つ分かったと思ったらまた振り出し。実業は本当に奥が深いのです。

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
http://www.atelier-m.com/
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
http://atelier-m.com/blog_mm/
アトリエmの現場日記
http://atelier-m.com/blog_mm/mp/
(続きを読む)

株式会社一級建築士事務所アトリエm

プロフィール

株式会社一級建築士事務所アトリエm

夢は必ず実現する、してみせる。

一級建築士  守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...

株式会社一級建築士事務所アトリエmの事例

  • 加美の家

    加美の家

  • イタウバハウス

    イタウバハウス

  • サロンのある家

    サロンのある家

  • あちこちでお茶できる家

    あちこちでお茶できる家

  • 住之江の元長屋改修 『大改造!!劇的ビフォーアフター』放映

    住之江の元長屋改修 『大改造!!劇的ビフォーアフター』放映

  • kayashima photo studio Ohana

    kayashima photo studio Ohana

  • つるみ歯科クリニック

    つるみ歯科クリニック

  • ウンテイのある家

    ウンテイのある家

  • 高窓と中庭の家

    高窓と中庭の家