壁が少ない...。

2012年7月23日

木造住宅の、耐震診断と補強についての講習会を受けてきました。

細かい技術的な話が主なのですが、中には、ヘーという感じの、興味深い話もありました...。

大きな災害と、木造住宅の基準がどのように関わってきたか、という話がありました。

そこでは、やはり、「危機」というものを「想定」するのは困難で(というか、「想定」できないから「危機」なんでしょうね…)、人間というのは、結局、大きな被害を受けてからでないと、なかなか次のステップには行けないものなのかなあ、と思ったりしました…。

その話によると、1891年(明治24年)の濃尾地震で、はじめて木造住宅の被害の調査が行われ、そこから木造の耐震技術の研究が始まったのだそうです…。

話は、以下に続きます...。
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無限の円環

2012年7月20日

夏目漱石は、実は、建築家になりたかったのだそうです…。

こんなことを書いています。

15、6歳の頃のこと、
「…何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。
建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。
趣味があると共に必要なものである。
で、私はいよいよそれにしようと決めた」…。

しかし、ご存知のように、そうはなりません...。

そのいきさつというのが…。

「ところが丁度その時分(高等学校)の同級生に、米山保三郎という友人が居た。
それこそ真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る。
ある日此男が訪たずねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句の果に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却けてしまった。
其時かれは日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下後世に残すことは出来ないじゃないかとか何とか言って、盛んなる大議論を吐いた。
そしてそれよりもまだ文学の方が生命があると言った。
元来自分の考は此男の説よりも、ずっと実際的である。
食べるということを基点として出立した考である。
所が米山の説を聞いて見ると、何だか空々漠々とはしているが、大きい事は大きいに違ない。
衣食問題などは丸で眼中に置いていない。
自分はこれに敬服した。
そう言われて見ると成程又そうでもあると、其晩即席に自説を撤回して、又文学者になる事に一決した。
随分呑気なものである」…。

この米山保三郎という友人のせいもあってか、建築家夏目漱石は、実現しませんでした…。

うーん、残念…。

ただ、まあ、建築にとっては、残念なことではありますが、その後の業績を見てみると、これでよかったような気もしますね…。

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以前に、仕事で九州に行った時のこと…。

当時、「都城市民会館」の取り壊しが決まってしまった、という話が伝わってきていたため、壊されてしまう前に、ということで、仕事を終えた帰りに、観に行きました…。

「都城市民会館」は、昨年、残念ながら亡くなってしまった、建築家、菊竹清訓さんの代表作の一つで、建築史の本などにも頻繁に載っている「名作」でした…。

観に行く前日、別のところに寄り道をして、一泊した際に、宿の近所の飲み屋さんで食事をしたのですが、そのお店の女将さんが、たまたま都城の出身とのことだったので、明日、市民会館を観に行きます、という話を雑談でしていました…。

建築の世界では、結構有名な作品なのに、どうして壊してしまうのですかね…、なんてことを話したのですが、その方は、昔からよく知っている建物だけど、あまり好きではない、といったようなことをおっしゃっていました…。

うーん、そうか…、世界的な「名作」なのになあ...、地元の人には、あまり理解されていないのかなあ…。
そして、そのようなことが取り壊しにつながってしまったのかなあ…、なんて思いながら帰り、翌日、見学に行きました…。

少し時間が遅かったのと、雨が降っていたのとで、駅からタクシーで行ったのですが、車内でも、前日と同じような話になりました…。

「世界的な名作なのに、なんで壊してしまうのですかね…」

「いや、別にいいんだよ。新しい市民会館も出来たし…。そっちには、先月は、五木ひろしも来たんだよ…」

そんな感じで、この建築に対する、地元の人達の無理解に、少々イライラとしながら、観に行きました…。

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意味がうるさい

2012年7月6日

先日、新聞の書評欄を読んでいたら、
豊川斎赫『群像としての丹下研究室 戦後日本建築・都市史のメインストリーム』の、書評が出ていました。

建築家、丹下健三さんについての本で、私も、面白そうな本だと思い、買ってあるのですが、いまだに部屋の隅に積んであります…。

ということで、本の内容についてふれることは出来ないのですが、書評に書かれていた内容で、ちょっと気になったことがあったので、そちらの方について…。

そこには、
「特にポストモダン以降、建築デザインの一部は空疎で無意味な形態のお遊びに堕している。だが丹下研は形態のすべてに意味と裏付けを持たせようとした。それが彼の構想力の力強さを生んでいる」、という部分がありました...。

別にそれに反対というわけではないのですが、「ポストモダン」建築というのは、私が学生の頃に、ずいぶんと流行していたため、大変印象深く、当時を思い出すと、個人的には、ちょっと違った感触を持っています…。

評者は、「空疎で無意味」ということを、当然、批判的に書いていると思うのですが、当時の「ポストモダン」建築は、そういうことを、意図的に、つまり、わざとやっていたように思います…。

要するに、「ポストモダン」建築には、わざと「空疎で無意味」なものをつくろうとするような、一種の露悪趣味のようなところがあったように記憶しています…。

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主婦という視点から、とか、民間を経験した立場から、などというキャッチフレーズで選挙に出る方がいます。

ただ、そういった視点や経験を、実際に、政治に活かすことが出来るものなのかは、私には、よくわかりません。

同じように、建築を設計する人でも、雑誌等をみていると、よく、主婦の立場なので、使い勝手がよくわかる、とか、スムーズな家事動線が提案出来る、とかいったようなことを、キャッチフレーズにしている方がいます…。

人様の売り文句にケチをつけるつもりは全くありませんので、小さい声で言いますが、そういった立場や経験は、あんまり関係ないのではないかなあ、と個人的には思っています…。

ちょっとキツい喩えで、どうかとは思うのですが、人を殺したことがなければ、推理小説は書けないものなのだろうか、という具合に思ったりしますが、どんなものでしょうか…。

経験が、大事な素材になる、ということを否定するわけではありませんが、推理小説を書くにあたって、より大事なのは、何らかの罪を犯した、といったような経験よりも、そういったことをした人、あるいは、その周辺の人の、心境などを想像する「想像力」と、その想像を作品というかたちにする「表現力」、といったものなのではないか、と思います。

仮に、実際に、罪を犯した経験がある人が、その経験を元に作品を書いたとしても、それは、どこまでいっても、その人だけの経験であって、別の同様の経験をした人にとっては、共感出来ないものかもしれません。

また、そもそも、それを読む人の多くは、そのような経験を持たない人ばかりであり、そういった人たちにとっては、それが共感出来るか、理解出来るか、ということが、もっとも重要なことであって、実際のところがどうか、というのとは、本質的には、無関係ではないか、という気がします。

そういう意味で、経験の有無ということよりも、共感や理解を得られるものを提案出来る「想像力」の方が、より重要なのではないか、というように思っています。

そしてまた、いくらそのような経験があったり、「想像力」を持っていたりしたとしても、「表現力」がなければ、それをかたちにすることも出来ないだろうと思います。

そういった意味で、その二つの力の方が、よい作品を生む上で、はるかに重要なのではないか、と思っています。


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スペインの建築家ガウディは、自然や生命など、独特のテーマをもった、とても個性的な建築をのこしています。

「創造するのは神だ。人間は発見するのである」、という言葉をのこした、と聞きます…。

実は、ガウディは、ほとんど文章をのこしていないそうで、さらには、人前に出ることもきらい、インタビュー記事なども、ほとんどのこされていないのだそうです…。

そういった意味では、よく語られる上の言葉も、本当に言ったのかどうか、怪しいところですよね…。

まあ、いかにも言いそうですけど…。

そんな風に、謎だらけのガウディなので、そうした自然や生命といったテーマを、どのようにして持つに至ったのかも、当然よくわかりません…。

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長持ちする住まい

2012年6月15日

「長期優良住宅の普及の促進に関する法律」というのがあります。

長持ちする住まいづくりを推進するために、平成21年に施行されたものです。

ここで言う「長期優良住宅」というのは、大雑把に言うと、長期間の使用に耐えるような性能を確保することと、維持保全計画をつくること、この2点について、一定の認定基準を満たしている住宅のことです。

そして、この認定基準を満たした住宅は、所管行政庁に申請することで、「長期優良住宅」の認定を受けることができる,という制度になっています。

さらに、「長持ちする住まい」を建てようと思うと、一般の住宅よりもコストが高くなる傾向があるということで、この認定を受けた場合のメリットとして、住宅ローンの金利引下げや、税金の軽減が用意されています。

ただ、認定を受けると、維持保全の記録を残す必要があり、その家を売買するときや、リフォームをしたり、維持保全計画を変更したりする時には、手続きが必要になったり、といった具合に、後々まで、いろいろとありますので、その辺のことまでよく考えてから、取り組んだ方がいいのかもしれませんが…。

この制度は、ちょっと前の、検討段階では、「200年住宅」なんて呼ばれて、話題にもなっていたものです。

つまり、「いい家をつくって、きちんと手入れして、長く住まう」ことを、目標にしているのだそうです。

私も、その目標について、反対するようなところはどこにもありませんので、「長期優良住宅に関する技術講習会」というのを受けて、「長期優良住宅の設計を行う建築士事務所」というものにも、登録させてもらっています…。

ただ、よくよく考えてみると、簡単に「200年」と言いますが、相当に大変なことですよね…。

たとえば、今から200年前というと、1812年、文化9年です。

日本は江戸時代…。

ネットで調べてみると、
杉田玄白が、79歳。
伊能忠敬が、67歳。
松平定信が、54歳。
雷電為右衛門が、45歳。
遠山金四郎が、19歳。
歌川広重が、15歳。

鼠小僧次郎吉が、
年齢不詳ながら、活躍していた時代だそうです…。

その年に建った住宅が、今現在からみた「200年住宅」ということになります…。

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信念と運命

2012年6月11日

最近、城山三郎『男子の本懐』を読みました。

とても有名な本なので、今更私が何か書くこともないのですが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期に、当時の政治課題であった、「金解禁」に、文字通り、生命を賭けた、浜口雄幸と井上準之助のお話です。

すさまじい反発や抵抗にあっても、信念を貫いて、信じる政策を断行し、結果、二人とも、凶弾に倒れることになる、という、胸の熱くなるようなお話でした…。

その中では、そうした信念というものは、そこに至るまでの、長年の蓄積の上に培われてきたものであることが、静かに、描き出されていました...。

最近でも、「生命を賭ける」なんていう言葉を聞くことがありますが、そこでは、当然、果たして、そのような蓄積があるのか、ということが問われてしまうのではないか、と思います…。

結局、そのような言葉は、長年にわたって、暖め、深めてきた思いのようなものにだけに許されるものであり、そもそも、ちょっとした思いつきや、聞き齧りのようなことに、「生命を賭ける」ようなマネが出来るほど、人間は単純ではない、という、考えてみれば、当たり前のことに、改めて、気付かせてもらいました…。

それはそうと、別のことで、興味深く感じたのですが...。

総理大臣浜口雄幸が撃たれ、蔵相井上準之助が撃たれたことで、代わってなった総理大臣犬養毅、蔵相高橋是清の新内閣は、浜口・井上が文字通り「生命を賭けて」断行した「金解禁」を、撤回することになります…。

まあ、犬養、高橋らにしても、きっと、単に、そうした反発や抵抗に屈したわけではなく、これはこれで、彼らなりの信念に従ったのであろうとは思います…。

ただ、ご存知のように、その後、この犬養、高橋も、それぞれ、五・一五事件、二・二六事件で暗殺されてしまいます…。

こういうのをみると、当時の重要な政策課題について、それに賛成であろうと、反対であろうと、つまり、
個々が、どのような方向に、いかに信念を貫こうとも、どちらにしても、結局は、同じように暗殺されてしまい、そして、どちらにしても、結局は、時代は、ある一つの方向へと流れていってしまっているのではないか、といった、一種の無力感に襲われてしまいそうですね…。

要するに、時代の大きなうねりというか、ある種の運命のようなものの前では、個人の信念といったようなものには、何の意味もない、ということなのでしょうか…。

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街の文脈

2012年6月7日

ずっと工事をしていた東京駅ですが、いよいよ完成が近い、という話を聞きました。

この東京駅は、辰野金吾設計で、大正3年(1914年)に完成したものです。

元々は、丸屋根の架かった、三階建てだったものが、昭和20年の空襲で消失し、修復される時に、丸屋根ではなくて、もっと簡単な三角屋根の、二階建てに変えられていました...。

今回の工事では、構造や機能上の補強・拡大とともに、この丸屋根を復元し、創建当時の外観が再現されることになるのだそうです...。

創建当時の、元々の姿が見られるのは、とても楽しみなのですが、一方で、こうした話題の時に、いつも気になることがあります。

それは、三角屋根の東京駅として過ごした60年の時間や記憶は、どこにいってしまうのかなあ、ということです…。

すでに、再建されてから、60年以上の歳月が経っているわけですから、多くの人にとって、東京駅と言えば、創建当時の丸屋根三階建ての姿ではなくて、これまでの、三角屋根二階建ての姿なのではないでしょうか…。

古い建築が取り壊されそうになった時、必ず、多くの人びとが愛着を持っている建築なので、そのままの姿で保存すべきである、といった主張がされるのですが、そういった議論は、この東京駅のオリジナルの復元については、どのように当てはめられるのでしょうか…。

多くの人にとって、「愛着を持っている」のは、むしろ、今現在の姿であるわけですから、ほとんどの人が、一度も見たことがないような、オリジナルの状態を復元するというのは、どういうことなのか…。

少し話はそれますが、こんなことも…。

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翻訳の名前

2012年6月4日

今、ペーター・ツムトア著『建築を考える』を読んでいます...。

うーん、本当に美しい、いい本…。

ブックデザインまで含めて、本当に美しい本だと思います。

サラサラ読むのは、もったいないので、チマチマと読んでいて、まだ読み終わっていません…。

なので、本の感想は、また機会があれば…。


この本の著者、ペーター・ツムトアは、スイスの建築家なのですが、これまで、ずっと、「ピーター・ズントー」という名前で紹介されてきました。

新聞などに掲載された、この本の広告には、「ズントー改め、ツムトア」なんて書いてあって、別に、今更名前を改めたわけではないだろうに、どういうことなのかなあ、と思っていたのですが、どうやら、著者の、ツムトア自身の要望みたいです...。

出版社のHPを見たら、担当編集者の方の文章が載っていて、この本を出版するにあたって、以下のような要望があった、と書いてありました。

「私の本は、ドイツ語版から翻訳してほしいんだ。英語版は、私の文章という気がしないから」...。

もうすでに、すっかり、「ピーター・ズントー」で名前が通ってしまっていたので、今更改めなくてもいいのではないかなあ、と、勝手に思っていたのですが、この文章と、本を読んで、納得しました…。

翻訳書の著者が、自らの文章のニュアンスや、名前の発音の仕方などに、どの程度こだわりをみせるのが一般的なのか、よく知らないのですが、ツムトアが見せた、このような細部、というか、手触りのようなものへの、こだわりは、この人のキャラクターや建築にも通じているようで、なんとなく、グッと来ました…。

ツムトア氏に関しては、以後、すべての日本語表記を、ドイツ語読みに近い、「ツムトア」で統一した方がいいと思います…。


それにしても、そうなってくると、気になるのは、なぜ、ずっと、英語読みに近い、「ピーター・ズントー」で通ってきたのか、ということです...。

話は、以下に続きます...。
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仲摩邦彦建築設計事務所

プロフィール

仲摩邦彦建築設計事務所

ひとつひとつ丁寧に取り組んでいきたい、と考えています。

建築は、建築主であるお客様や、様々な条件・環境等の、出会いや組み合わせにより生まれるものであり、それぞれが、その機会でこその個性的なものだと考えています。 「これしかない」と納得できるようなものを...

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