(仮称)トレジャーキッズたかどの保育園‐6‐園長先生きたる


 寒い中でも、日が差せば見た目は春。

 暦の上では立春を過ぎました。



 「トレジャーキッズたかどの保育園」は4月開園。2月はめまぐるしく現場が進んで行きます。



 定例打合せが週1回あるのですが、その前に現場を見て回ります。



 2階は、3歳から5歳の園児室と大きなホールがあります。

 屋外階段、屋内階段、そしてエレベーターで2階へアプローチできるのです。



 1階のホールから中部を見渡すと、外壁がピンクになっています。

 これは硬い発泡スチロールのような断熱材が吹き付けられたもの。外気に接する壁は、全て断熱が施されています。



 奥へ歩いていくと、ヘの字に曲がっている所が0歳児室になる予定。

 ここにトップライトから光が落ちてくるのです。



 屋内階段から2階へ上がってみます。



 右奥にみえるのがトップライト。この光が1階へ落ちるのです。



 この日は、園長先生が初めて現場にこられ、ぐるりと案内させてもらいました。

 トップライトの前には、曲面壁ができ、その上部にある窓から光がこぼれてきます。



 向かいにはこの大開口があり、とても明るい空間です。



 更に、最も大きな園児室と繋がれるようになっています。

 合せて約80畳の大空間が生まれるのです。

 園長先生から「お遊戯会の舞台として使えるでしょうか?」という質問がありました。

 とてもいい舞台になると思います。



 現場案内が終われば、仕事が終わりではありません。

 そのまま現場事務所へ移動して、定例会議がスタート。

 運営会社の担当者の方と園長先生。施工会社の現場所長と、電気設備、機械設備の担当者、そして私と田辺さんの7人で、打合せは4時間超。

 途中、入れ替わり立ち代わり、他の業者さんもやってきます。

 毎週金曜日の午後は、ほぼこの現場へエネルギーを費やしてきました。

 建築で一番面白いのは、創り上げていく過程です。

 そこにフォーカスしたのが「大改造!!劇的ビフォーアフター」でした。

 全ての工程の、初めと終わりを全てVTRに収め、その素材を編集するのです。

 諸事情により、レギュラー放送はなくなったのですが、匠的に言えば面白いに決まっていると断言できます。

 この舞台がどうやって生れてきたのか、先生方、親御さん、なにより園児の皆さんに知って欲しいと思うのは、創り手のエゴでしょうか。

 そのくらい現場は面白いし、過程が愛着を生むのです。

文責:守谷 昌紀



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小さな歓声、小さな成功体験‐1457‐


 月曜日、ジャンプの高梨沙羅選手は3位に入りました。

 前回の4位と銅メダルの差は、明るい涙が物語っていました。まだ21歳。次回は頂点に立つ姿を見たいものです。

 彼女のワールドカップ53勝は最多勝タイ。もうひとりはオーストリアの28歳、アルペンスキーのマルセル・ヒルシャー選手です。

 自分が試合に出なくなり、全くアンテナを張っていませんでしたが、ワールドカップで6年連続総合優勝をなし遂げています。

 「総合」とあるのは、アルペンスキーは主に4つの種目があり、種目別優勝もあるからです。



 コース内の旗門をくぐりタイムを競うのは同じですが、最も旗門がすくなく、最もスピードがでるのが「滑降」です。

 ピョンチャンのコースでは最高速度が120km/h。

 そこから「スーパー大回転」「大回転」「回転」と旗門数が多くなり、ターンはより細かくなって行きます。



 「回転」では、ターン技術や俊敏性が求められるので、「滑降」とは必要とされる筋力も変わっくるのです。

 「滑降」と「スーパー大回転」を『高速系』、「大回転」と「回転」を『技術系』と区分けします。

 マルセル・ヒルシャーは主に『技術系』の2種目にエントリーする選手。

 2016-2017シーズンまでの総合6連覇の間、「回転」「大回転」ともに4度の種目別優勝。まさに絶対王者です。

 しかしその彼も、オリンピックでは2014年ソチ大会で、回転の銀メダルのみでした。



 5つ目の種目として、「滑降」と「回転」という両極端な種目の合計タイムで競う、「複合」という種目があります。

 火曜日に、この種目で男子アルペンスキーは開幕しました。

 まず前半は滑降。

 ヒルシャー選手と、『高速系』のスペシャリストとの差は僅か1.32秒。安定した滑りで7位につけました。



 そして後半は得意の「回転」。



 前半の急斜面は、少しセーブしている感もありましたが、中盤から後半の滑りは圧巻。



 早く美しい。

 6人を残してトップに立ったのです。

 2位のフランス人選手に0.2秒差に迫られましたが、そのまま逃げ切って、悲願の金メダルを手にしたのです。

 絶対王者でも、簡単に勝たせてくれないのがオリンピックなのです。

 極上のドキュメンタリー映画を観せて貰ったような気分でした。

 まさか、世界最高の選手と張り合うつもりはありませんが、「回転」は私が最も得意としていた種目でした。

 大学4回生の3月。岩岳で開催される、日本一大きな草大会に出場しました。学生最後の試合です。

 スタート順はほぼ最後尾の394番。1本目、荒れに荒れたコースを攻めて、300人抜きの100位に入りました。ゴールエリアで僅かに歓声があがったのです。

 回転は、1本目が早かった順からスタートし、2本合計で競います。2本目はコース状況も良いので、100人抜きのつもりで攻めました。

 が、気負いすぎて片足通過反則でタイムなし。この日で大学のスキー生活は終わったのです。

 この日の1本目が、私にとって人生最高のランでした。



 体格に恵まれなくても、環境に恵まれなくても、仕事だけは頑張った分だけ応えてくれます。

 しかし、何かしらの小さな成功体験があったからこそ、頑張れるのかもしれません。

 1994年の3月。

 春のスキー場で聞いた小さな歓声は、私の人生に少しの勇気を与えてくれました。

 トップ選手であれ、アマチュアであれ、スポーツは人生の縮図だと思うのです。



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日経新聞は面白かった‐1453‐


 今日から2月に入りました。

 厳しい寒さは続きますが、徐々に日が長くなっていくことに、季節の進行を感じます。

 1月の中旬に、

 「Best of Houzz 2018 受賞おめでとうございます!」

 というメールが届きました。

 Bestとなっていたので、全ての中で一番だと思い、喜んでサイトを見に行くと、大阪のリビングルームというカテゴリーの中で選ばれたようです。



 7枚の中の1枚に、「松虫の長屋」のリビングの写真がありました。

 このcutは、写真家の平井さんが「2015年の Best cut」と言ってくれたもの。勿論嬉しいのですがちょっと微妙な感じもあります。

 かなり絞られたカテゴリーなので、正直、betterくらいでしょうか。

 火曜日の夜、久し振りに大学時代の友人と、梅田で会っていました。



 お初天神通りの「ニューミュンヘン」が改修工事中で、別館的な「北大使館」へ。



 この店のこだわりも生ビールです。



 ここの生ビールは飲みやすく、やっぱり美味しい。

 閉店の11時まで、2人で話し込んでいました。

 彼は高槻でjamjamという設計事務所を経営する、いわば同業です。

 彼とは、私が創業して3~4年目あたりは一緒に仕事をしていました。私がお願いして、アトリエmに来て貰ったのです。

 設計、デザインのことをズバッと意見してくれる彼の存在は、本当に貴重でした。友人であり、パートナーでもあったのです。

 同じく、時々アドバイスをくれる知人に、「seiundo」の社長がいます。

 もうひとつ経済に弱い私に、以前から「日経新聞を読んだ方がいい」と勧めてくれていました。

 あまりそういったことに興味がなく、グズグス言っていたのですが、ようやく昨秋から購読をはじめました。

 確かに面白いのです。

 日本経済新聞社という社名から、お堅い記事をイメージしていたのですが、アート、スポーツなどの記事も分厚く「流石」と言いたくなります。

 サッカーの現役最年長選手、三浦知良さんのコラムがあります。

 彼は勉強などしたことがないと書いていましたが、その含蓄ある内容の素晴らしいこと。

 果たして勉強って、何なのだろうと思います。

 「私の履歴書」は、著名人が1ヵ月に渡り、自身の半生を語る名物コラムです。

 昨年の12月は、元プロ野球選手の江夏豊さんでした。

 オールスター9連続奪三振、江夏の21球と、多くの伝説を残した名投手ですが、コラムは覚醒剤事件のお詫びから始まりました。

 その生い立ちから興味深いものばかりでしたが、私が立ち止まったのは、こんな話のところでした。

 1967年、阪神でキャリアをスタートさせた江夏投手は、2年目の1968年に、年間401個の三振を奪っています。

 これは日本記録であり、メジャーリーグでのノーラン・ライアンの383個を上回ります。

 この年、勝利数は25で最多勝も獲得。しかしMVPに選ばれませんでした。

 この時から、人が評価をする賞には全く興味が無くなったとありました。

 このあたり、彼の無頼漢な雰囲気に通じるところがあり、人生感を決定づけたのかもしれません。

 401奪三線は、その数字が越えられるまで、時代がどれだけ変わろうとも、日本一、いや世界一かもしれません。

 この絶対的数値を持つアスリートは、常に自分が世界一とも言えますし、実際そうです。

 言い方は難しいのですが、世界一という甘美な重荷を背負ったまま、その後の人生を生きることになるのです。

 しかし、大衆も、メディアも移ろいやすいものです。

 グラウンドでカクテル光線を浴び、多くの観衆の目を引き付ける快感を味わったなら、それを越える体験はそう起りえないだろう。

 行間から、そんなことを感じていました。

 ちなみに、夕刊は産経新聞をとっています。娘が、読者投稿のコラムがいたく気に入っているからです。

 結論として、日経新聞は面白かった。人のアドバイスはやはり善意で聞くものです。



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小トリップ日本一、近鉄特急‐1452‐


 日曜日の朝6時半、「さあ出掛けようか」と娘を起こすと、「頭と喉が痛いからやめとく」と。

 妻、長男が風邪気味で、2人で鳥羽へ行くことにしていたのですが、体調不良なら仕方ありません。

 予約した席をキャンセルしました。

 しかし、8時頃に起きて来たあと、それ程辛そうでもなく……

 で、結局10時からの出発となりました。



 鳥羽までは、上本町から近鉄特急で2時間。

 近鉄電車は、JRを除けば路線の長さ日本一です。



 地下鉄に乗っている間に、スマホであたふたと再度予約しました。

 便利と言えば便利な世の中になりました。



 奈良盆地を横切り、伊賀上野、三重の高原地帯を抜ける景色は、小旅行と呼ぶにぴったりです。



 途中、沈下橋がありました。

 四万十川まで行かずとも見れることに、軽い感動を覚えます。



 「鳥羽水族館」は鳥羽駅から歩いて7分程。

 ミキモト真珠島を越えたところにあります。



 キャッチフレーズは「飼育種類数 日本一」。



 確かに種類は凄いものがありました。



 研究室のような雰囲気も、最近はやりのモダン系とは対照的。

 私は好感がもてます。



 ただ、「詰め込み過ぎ感」は正直否めませんが。



 人魚と間違われたと言われるジュゴン。



 胸ビレの感じが、手のようにも見えます。

 日本で飼育されているのはここだけです。



 ラッコブームは、この館から火がついたはず。



 セイウチ笑(ショー)は、なかなかに笑わせてもらいました。

 触らせてくれるのですが「思っている以上に臭いので、しっかり手を洗って下さい」と飼育員。

 笑いをとっていたのですが、若干可哀想かなとも。



 出発が遅くなったので、現地滞在は約3時間。

 帰りの電車は、ビスタカーの2階席を取りました。

 近鉄特急は帰りが混むので、予約しておく方が無難です。



 電車での行き帰りが合計5時間。

 どちらかと言えば、こちらがメインなのです。



 「車は本が読めないので、電車なら出掛けてもいい」というのが娘の意見。

 持ってきた本、4冊を全て読了しました。



 ときどき近鉄特急に乗るのですが、電車マニアでなくとも、なかなか個性的な車両が多いと分かります。



 私たちが乗ってきた「伊勢志摩ライナー」の他に、「さくらライナー」、観光特急「しまかぜ」という、豪華特急もあるようです。

 プロ野球のオーナー企業は、ひと時代前なら、鉄道会社が大多数でした。

 しかし、IT企業が増えてきたことに時代の流れを感じます。

 映画監督の井筒和幸さんがそれらを指して「虚業」としたことに、堀江貴文さんが反論したという記事を読みました。

 「ITを虚業と馬鹿にするな」という意見はもっともです。しかし、実体験は全てに勝るという思いもあります。

 長男が、スマホのゲームから離れられないという現実をみて、危機感も覚えるのです。

 機器が高性能になり、表現も多彩になっていきます。適度な困難と、適度な達成感を配置してあったとするなら、電車旅の方が面白いと納得させるのはかなり困難です。

 時間がある時、あの手、この手で誘いますが、年をおうごとに、難しくなっていくことを実感します。

 昼寝が気持ちよかった。車窓からの景色が良かった。駅弁が美味しかった。思った以上にセイウチは臭かった。

 何でも良いので、出掛けてみたいと思える情景を思い浮かべさせられるか。

 子供と私の知恵比べは続くのです。

 「ことりっぷ」は、 働く女性たちが週末に行く、2泊3日の小さな旅を提案するガイドブックです。

 我が家は日帰りなので、小トリップといったところか。

 近鉄特急を勝手に小トリップ日本一に認定します


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『住人十色』の取材の取材<羽曳野の家>‐1450‐



 本当に寒い日が続きます。

 今日は朝から、今年2回目の「羽曳野の家」行きでした。



 住宅誌に続き、毎日放送「住人十色」の取材が決まり、その打合せだったのです。



 ディレクター、放送作家、アシスタントディレクターと、3名が先に見えていました。

 いつも思うのは、テレビというメディアは本当にマンパワーによって創り上げられていくものだということ。



 各エリアごと、丁寧に家づくりのストーリーをインタビューしていきます。



 特に時間を割いたのが、ロフトとキッチンでした。



 構成作家の方が女性で、キッチン回りの質問が的確で、また面白いものでした。



 その質問は、ご夫妻の出会いから、仕事のキャリア、日々の暮らしと多岐にわたっていましたが、このあたりの進め方は、私とよく似ているなと思いながら聞いていました。



 物の収納に関しては、どんな切り口になっているか、特に楽しみです。



 打合せは、3時間みっちり。

 3名が帰られたあと、私も失礼したのですが、奥さんが「この氷、子供達が帰ってくるまで残っているといいけど……」と。

 ご夫妻とも、頭がさがるほどの働き者で、かつ子供思い。

 奥さんは「ずっと先ですけど、孫も集まってきてくれたら嬉しいんですけど」と、仰っていました。



 打合せの途中、ご主人が8歳の頃の写真を見せてもらいました。

 改修前の縁側で、お婆様と撮ったものです。

 現在の長男君と同じ年頃で、あまりにそっくりで驚きました。

 花が活けられた冬の縁側で、日向ぼっこをしながら、イヌにミカンをあげている。

 これ程幸せな、昭和の風景はありません。そこに手を入れるのがリノベーションなんだと、気が引き締まる思いもありました。

 家の数だけある 家族のかたち

 番組のサブタイトルですが、それらは引き継がれていくものなのかもしれません。

 お孫さんはきっとこの家のウッドデッキに遊びにきてくれると思います。

 取材は2月中旬、放送予定は3月24日(土)です。順次ここでお知らせします。


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(仮称)トレジャーキッズたかどの保育園‐5‐光という食材



 新年が始まったと思っていたら、気が付けば1月も下旬に。

 2018年、1回目の現場日記です。



 「トレジャーキッズたかどの保育園」は、12月初旬から建て方工事が始まりました。

 年末までに、外壁材のALC版搬入工事を終えていました。

 ALC版とは軽量気泡コンクリート版のこと。揺れに強く、鉄骨造と相性のよい外壁材です。



 現在は屋根工事にはいっており、材をクレーンで搬入中でした。



 広い園庭ですが、足場があったり重機が入ったりと、工事中はやはり狭く感じます。



 東側道路に一番近い部分は、エントランス、事務室、階段などが集まっています。



 そこから西に向かって園児室が3部屋。

 1階は0歳から2歳までの園児室の予定です。



 園庭をLの字囲むように園児室を配置していますが、曲がり角部にある部屋は、やや採光には不利。

 トップライトを採用することにしました。



 上階にはコミュニケーションホールがありますが、その一部をアールで切り取り、屋根面から光を落とすことにしたのです。



 北向きの屋根部に切ってあるので、常に柔らかい光が安定して落ちてくるはず。

 0歳児室となる予定です。



 広い園庭からは2階へ直接つながる外部階段があります。



 それが2階の外部廊下につながり、全ての園児室前にめぐらせました。



 この空間は、床、壁とも木で仕上られ、まさに縁側のような空間となります。



 縁側という外部空間を挟んでの光は幾分優しく、また、雨の日でも開口部を開けることができます。

 常に安定した光と、風(=新鮮な空気)を取り込む日本人の知恵なのです。

 運営会社の株式会社セリオは、園の食事には大変拘っていて、できるだけ昔から日本にあるようなものを目指しているそうです。

 答えは、過去の歴史にあることがよくあると私も思うのです。



 2階の一番奥は、3、4歳児室となる予定。

 この空間は、コミュニケーションホールと可動間仕切で繋がります。

 その間仕切りをフルオープンにすると、幅8m、奥行き19mの大空間が生まれます。

 お遊戯会、作品展など、色々な催しに使って貰えると思いますが、文字通りそこにコミュニケーションが生まれたなら、これほど嬉しいことはありません。

 不利も有利も、材料に変わりありません。

 それをどう料理し、幸せな皿とするかが設計の醍醐味なのです。

文責:守谷 昌紀


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お客様からのクレームはファンレター‐1450‐



 今日の関東は大雪のようです。

 普段降らない有り難さと、天の気まぐれを、思い知らされる一日になったかもしれません。

 今週中頃には、関西にも寒波がくるよう。雪はどうなのでしょうか。



 昨日は穏やかな晴天でした。

 寒くなるとスポッチャに行きたくなるらしく、昨年のこの時期にも、娘と2人で来ていました。

 卓球を習い出し、テニスも各段に上達していました。バックでもそこそこ返してくるのです。



 卓球は、流石にかなり腕を上げていました。

 自信がもてるものがあると、物の見方が随分変わるだろうと思います。



 お気に入りのビリヤード。

 たまに入った時の気分が忘れられないそう。



 「インスタ映え」が流行語になりましたが、美しい写真を撮りたいという気持ちは常々もっています。

 ビリヤードの球をきれいに並べてみました。

 まずは素材の美しさが一番ですが、秩序も大切な要因だと思っています。



 堺の中央環状店は途中退場が可能な店です。

 昼は近くにある、カレーうどんの「得正(とくまさ)」へ。



 ここのうどんを、娘も楽しみにしています。



 初めは甘め、その後についてくる辛さ、スパイシーさが癖になる味です。



 娘は、濃い、辛いが大の苦手。よって今回も肉うどん。

 それでも、かなり満足していました。

 大阪駅前第4ビルにもあるので、「得正」がチェーン店なのは知っていましたが、「福島上等カレー」も、同じ会社でした。



 外壁に、色々とメッセージが張られています。



 味一筋 夢一途 

 うまいの一言聞くために

 作り続けて三十年



 大阪一なら 日本一 

 生涯守るは この一品

 皆、自分の仕事に精魂込めて生きているのです。

 カレー店のトップシェアはCoCo壱番屋が圧倒的で、2位以下を大きく引き離しています。

 現在はハウス食品の子会社となったはずですが、創業者の宗次(むねつぐ)さんが一代で築いたものです。

 宗次さんと親しい方から聞いた話ですが、彼は壮絶な人生を歩んでこられたそうです。

 親の顔を知らず、兵庫県の孤児院で幼少期を過ごしました。

 その後親族に引き取られましたが、壮絶な貧困で、雑草を食べて空腹を紛らわせたこともあるそうです。

 インタビュー記事が載っているサイトがありました。

 経営者にとって、お客様は最高の先生です。お客様からのクレームはファンレターです。私は現役の経営者の時、毎日欠かさず3時間半の時間を費やして、お客様からのアンケートハガキを読んでいました。その内容が厳しければ厳しいほど、本当に役立ちました。

 そう簡単に、出てくる言葉ではありません。

 しかし、よく理解できます。

 私の仕事は、多くても年に10名程のクライアントと建築を創っていくことです。

 建築とは本当にお金が掛かるもので、やり直しはききません。よって、失敗など許されません。

 若い頃は、このプレッシャーに押し潰されそうになりました。

 しかし、「失敗しない」を目標にしていても、失敗が無くなることはありません。

 これまでの仕事人生で一度「この現場には、100%、施主の立場に立ってくれている人が居ない」と言われたことがあります。

 そこに至る過程で、言いたいこともありましたが、クライアントがそう思ったならそれが全て。それのみが真実です。

 以来、少々のことがあったとしても100%を超えられるよう「180%、クライアントの幸せのためだけに働くしかない」と思うようになりました。

 そして、どんなことがあっても退かないと決めました。

 お客様からのクレームはファンレター。

 余程暇な人なら別ですが、気にもならないのに、耳痛いアドバイスをしてくれる人は居ません。

 やはり間違いなくファンレターなのです。


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信念会‐1449‐

2018年1月24日


信念会‐1449‐

 今日は打合せの帰りに、「さかたファミリー歯科クリニック」に寄ってきました。



 オープンが昨年の7月末なので、半年が経過しました。



 出だしとしては順調と聞いていましたが、地域の方たちにもっと知って貰えるよう、頑張っていきますとのことでした。

 「さかたファミリー歯科クリニック」は昨日、当社のwebサイトにもUPしたところ。



 サムネイルに選んだのは正面からの夕景。

 駐車場が広いのも特徴ですが、徒歩の患者さんが一番多いとのことでした。

 このあたりは、開院してみないと分からないことが色々あるものです。

 今週の日曜日は、新年会がありました。

 「しんねんかい」とキーボードに打ち込むと「信念会」と。

 信念を確認する会、というのも悪くないなと。



 大学時代の先輩宅ですが、私は浪人しているので年齢は同じ。

 私たちは今年が年男。48歳になるので、初めて会った時からは30年近くが経ちました。

 経営者あり、一部上場企業に勤める人あり、左官職人あり。

 ほんとうに人生は様々です。



 ホスト役の先輩は、鮎釣りが趣味。

 夏に釣った鮎を冷凍保存し、鮎ご飯として振る舞ってくれました。

 こうなると、やっぱり食べれる魚はいいものです。

 天然ものなので、苦味がすっきりとして、とても美味しかったのです。



 著書も2冊購入してもらっていました。

 1冊は、お父さんへのプレゼントとのこと。このお父さんが、私にとって1番目のクライアントです。

 その仕事があるので、今があります。

 2018年にはいり、年始から2組の方が初期相談に来社してくれました。毎回の打合せ、全ての作品が、私たちの真価を世に問う真剣勝負です。

 「最もクライアントの幸せを実現できる建築家でありたい」という大きな目標を掲げて今年で22年目にはいります。

 今年のテーマは以下の通り。

 会社 ⇒ 幸せのために

 個人 ⇒ ハードワークを毎日

 ゴルフなら、パットのラインを読むのは難しいことですが、仕事に関しては簡単です。

 日々のハードワーク以外に、幸せというピンにたどり着く方法はありません。

 我武者羅とか遮二無二などは、あまり好まれない時代ですが、それしか術をしらないのだから仕方がないのです。

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家は星座に似ている<羽曳野の家>‐1448‐



 2018年初めの取材は「羽曳野の家」になりました。

 竣工は、2016年の6月ですが、三男君はその2ケ月後に誕生。



 webサイトにUPしている写真は更にその半年後の写真です。

 この時は、奥さんが抱っこしたり、寝かしつけをしながらご家族6人での撮影で、とても賑やかだったのです。



 その時以来の訪問で、丁度1年振り。



 このあたりは住宅街のはずれに位置し、とても環境のよいところです。



 まずは、次男君が笑顔で出迎えてくれました。



 三男君も1歳半になり、すっかり大きくなりました。



 取材クルーは、編集者、ライター、カメラマンの3名で、うち2名は東京から。

 住宅誌のライターは女性が多かったので、男性は初めてかもしれません。

 他には旅の記事も書くそうで、取材の合間に、旅話で盛り上がっていました。

 余談ですが、小笠原諸島には空港がないそうで、最もハードルが高いことが分かったのです。



 ご主人への取材は、リビングのラグの上で。

 冬でもとても暖かいと答えてもらいました。



 冬は建物奥深くまで日が差し込み、夏はできるだけ日を入れないことに拘って設計してきました。



 朝に暖房を入れると、その後は不要とのこと。



 ウッドデッキも、うまく内と外をつないでくれています。

 一旦減額で無くなったのですが、奥さんの「DIYででも」という熱意が、実現につながりました。



 ロフトにあるガラス瓦は、ライターの人も「初めて見ました」と。

 瓦屋根が減っているからだと思いますが、シンプルに光を取り入れることが出来る優れた材です。

 その奥に見えるのはご主人の書斎。



 だったのですが、次男君の遊び場となりました。

 彼は電車好きで、プラレールが常設されているのです。



 取材陣に好評だったのが、キッチン後ろの収納。

 冷蔵庫、電話も含めて、全て引戸の後ろに隠されています。



 スチールラックに2種の収納カゴで、とても上手に、美しく収納されています。

 水色のカゴは百均のものだそうですが、カラーのテイストを統一するだけで、全く違う景色になるものです。



 撮影の皆さんから色々褒めてもらいましたが、やはり奥さんの小物選びのセンスが光っていると思います。

 奥さんはいつも謙遜されるのですが。



 紺のラグ、紺のタイル、紺のクロスに紺のイス。

 水色のカゴに、水色のクロス。

 ラグ、洋服等も、チェック柄が多かったのも奥さんの好み。

 物に意思はありませんが、ストーリーを与えてやるとそれぞれが、つながり輝きだします。

 夜空の無数の星から、神話というストーリーを見つけるのに似ています。だとするなら、出来上がった家は星座といえそうです。

 ライターから奥さんへ「なぜ守谷さんを選ばれたんですか」という質問がありました。

 私が前にいては答え難いと思い、席を外そうとすると、即答でした。

 「私とお誕生日が一緒だったんです」

 365分の1なので、光栄なことですが、少しずっこけたのです。




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雪道で思う、マナーや道徳観では弱すぎる ‐1447‐



 今日は1月11日で111のゾロ目。

 何となく縁起の良い、そしてとても寒い朝ですが、少し苦言を呈してみたいと思います。

 最近ウィンカーを出さずに車線変更をする車が増えたと感じるのは、私だけでしょうか。

 スマホの影響もあると思いますが(運転中の操作はもちろん違反です)、ウィンカーは他の車に自分の意思を伝えるためのもの。

 周りもそれを察知し、スピードを緩めたりすることで、より安全な車の移動がかないます。言わば安全の相互扶助。

 車同士の距離が離れているからと、ウィンカーを出さずにいきなり車線変更をするのは身勝手な行動で、完全に間違いです。

 年末年始の東北行きで、かなり怖い場面がありました。



 1月2日(火)の深夜2時頃、娘が体調を崩して救急病院へ連れて行きました。

 蔵王温泉スキー場から山形市内の病院まで山を下り、ホテルに戻ったのが明け方の4時。娘が容体が落ち着いたのが何よりでした。

 この日は雪が降り続き、気温は-10℃。



 山形市内の路面はアイスバーン化してしました。

 学生時代から車は4WD一筋ですが、ディスカバリーはやはり悪路に対しての性能は高いと感じます。

 しかし、滑る時はやはり滑ります。

 今思えば、このとき予行演習をしておいてよかったのかもしれません。



 翌1月3日(水)は蔵王温泉から、フェリーのでる仙台まで100km程の移動です。

 夜が明けても雪は降り続き、宿を発つ際に再度雪かきをしました。気温は-9℃。



 鼻水を垂らしたようになっていますが、人が立っているのも難しいなかを、車は走るのです。



 大半の宿泊客はスキーをしてから帰るので、朝に宿をでる車は多くありません。



 山形自動車道へ通じる山道はおよそ20kmの下り。

 ナビで下見をすると、後半は九十九折のカーブが続いています。

 また、反対車線はスキー場を目指して気が急くのか、かなり飛ばしてくるのです。

 センターラインを割ってくる車両もあり、これは気を付けないと、と思っていました。



 終盤、更に雪が激しくなってきました。

 最後の峠を越える前、車を一旦脇に停めて一部凍っていたワイパーの氷を取り除きました。

 学生時代、冬の北海道での合宿中に初代サーフを電柱にぶつけた経験があります。

 雪道をどれだけ飛ばして来たかを自慢する人は結構います。

 しかし私の限られた経験でいえば、凍った道の上で制動を失った車を操る方法はありません。

 自衛したければ、ゆっくり走るしかないのです。

 また、曇ったゴーグルでは判断力が落ちるように、フロントガラスは、常に先回りをしてケアをすべきだと身をもって知りました。



 山道もこの峠を下れば終わり。

 ギアをセカンドにして、エンジンブレーキでこの坂を下り、2度程カーブを切ったその先に、下りの直線が見えました。

 反対車線を除雪車が登ってくるのが見えました。その距離およそ100m。

 その後ろに、乗用車が3台続いています。

 見えたと同時に、一番前の車両が何と除雪車に追い越しをかけてきたのです。

 ローまでギアを落として更に減速しますが、どう考えてもこのままでは正面衝突するしかありません。

 対向車は後ろの車を気にしてか、自分の車線に戻る気配はなし。

 ブレーキを踏みますが、車のABSが働くまでもない軽いグリップのみ。

 完全に滑りだしました。

 車が滑った場面を経験したことがある人なら想像してもらえると思いますが、まるでスローモーションの映像を見るようです。

 これはぶつかるかも思った瞬間、偶然左にパーキングエリアのような空間が現れました。左にハンドルをきり、何とかそこにねじ込んだのです。

 真っ白なパーキングエリアの中でも滑り続け、180度回転して運転席側のボディーを雪の壁にぶつけて、ようやく車が止まったのです。

 幸い、雪の壁に当たる時には、かなり減速していたのと、深い新雪だったので、車体には何のダメージも残りませでしたが、怒りだけが残りました。

 雪で見えない側溝に、前輪が落ちていましたが、目一杯ハンドルを切り、バックで脱出すると、心配そうに一部始終を見ていた除雪車の作業員も、車を発進させていきました。

 つまらない自慢をしたい訳ではないのですが、峠の入口で十分に減速していなければ、確実に正面衝突したと思います。

 偶然左手にスペースが現れたから良かったものの、かわす寸前の対向車との距離は1mは無かったと思います。

 しかし、その車は止まる訳でなく、そのまま蔵王へ向かって走り去っていきました。

 これを機に、ドライブレコーダーを付けることにしようと思います。

 車は2tonもある鉄の塊で、これが高速で移動するのですから完全に凶器です。

 その車を操っているという自覚を持たない、ドライバーがあまりにも多すぎると思うのです。

 ある外科の名医が、こんなことを言っていました。

 「本当のプロは、目の前に水が入ったコップがあったなら、その後ろにあるものを、無理な体勢で取ろうとはしない。

 まずは、手前にある水の入ったコップを除け、危険な要素を排除してから、その後ろにあるものを取る」

 昨年、危険運転で捕まった不届きもののドライバーは、足で運転するのを自慢していたそうです。こういった輩は、プロの対極にいる人達。

 守られた鉄の箱の中でだけ、強気になれるタイプなのです。

 また、強引な運転で割り込んでくるドライバーが、普段の仕事の中で、1分1秒を大切に生きているとは想像できません。

 普段ダラダラしている者に限って、ギリギリに家を出て、焦って危険な運転をするのです。

 最後のくだりは私の勝手な想像ですが、大きくは外していないと思います。

 「杞憂」は、昔、中国の杞の国に、天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどこに逃げたらいいだろうと心配して、夜も眠れず、食事も喉を通らなくなった人がいたという故事によるものです。

 概ねは、取り越し苦労の意味で用いられるもの。

 しかし、ハンドルを手で握らない者や、車線の中央から追い越しをしてくる者が居るなら、杞憂では終わらせられない時代に入っていると感じるのです。

 車はとても便利なものだし、大好きですが、あの簡単な試験で、免許を与えてよい時代は終わったのかもしれません。

 不適格者には免許を与えない、勇気をもった、厳しい審査と試験が必要なのではないかと思います。

 飲酒運転やひき逃げの厳罰化は当然だと思いますが、残念ながら、マナーや道徳観に頼る時代はもう終わっているのではと思うのです。



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株式会社一級建築士事務所アトリエm

プロフィール

株式会社一級建築士事務所アトリエm

夢は必ず実現する、してみせる。

一級建築士  守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...

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