フィンランドの旅① -ヘルシンキ、ユバスキュラ編 -‐1299‐
2016年8月15日
フィンランドの旅① -ヘルシンキ、ユバスキュラ編 -‐1299‐
8月11日(木)の現地時間の午後6時頃、ヘルシンキに到着しました。
日本との時差はー6時間です。
飛行機からみれば「森と湖の国」は一目瞭然でした。
山地のない風景は、私たちにとっては新鮮な景色です。
夜の長い北欧は夕方とは思えない明るさでした。
ヴァンター国際空港から電車で30分ほど。ヘルシンキ中央駅に到着しました。
駅舎は1919年、エリエル・サーリネンの設計です。
旅行者を初めに迎えてくれるのはいつも中央駅。その街の印象として強く残るものです。
ヴォールト屋根のオーソドックスな様式ですが、それゆえ、100年の歳月を感じさせません。
チェックインの前に、さっと街中を歩いてみました。
ヘルシンキの建築は、中世、モダニズム、現代建築が入り乱れています。
歴史的には、ロシアやスウェーデンに統治され、ナチスの侵攻を受けたこともあります。
1917年のロシア革命の際に念願の独立を果たした、非常に若い国なのです。
また、寺院建築もロシア正教のウスベンスキー教会。
ルーテル派のヘルシンキ大聖堂と多様です。このあたりも、歴史の痕跡と言ってよいでしょう。
しかし、街から混沌とした印象は受けませんでした。
結論を先に言うと、北欧のデザインに対する考え方が、非常に高いのだと実感しました。
アルヴァ・アアルトの作品からも見てとれます。
中央駅を南に下るとすぐにある、1969年完成のアカデミア書店。隣両隣には、前時代の建築が建ちますが、違和感はありません。
高さを合わせるだけではなく、美しく、優しいのです。
西ヨーロッパの街並みが、保存を基本とするなら、共存を求めるのがヘルシンキの街並みだと感じました。
アカデミア書店にはトップライトが3つあり、下に向かってガラスが張り出しています。
冬が長く暗いため、光を求める工夫がいたるところになされているのです。
2階には彼の家具が使われている、カフェ・アアルトがありました。
この日はここまでにして、ホテルに戻ったのです。
8月12日(金)は早朝から電車で、アアルト故郷、ユバスキュラを目指します。
ユバスキュラはヘルシンキから北に300kmほどで、電車で3時間半。
この街にはたくさんのアアルト作品が残っています。
まずはアアルト美術館。
内部は彼のデザインした家具の製作工程などが展示されていました。
ここから次の目的地まで、路線バスに乗って30分ほど。
セイナッツァロのタウンホールに着きました。
本当に素晴らしいものでした。
特に議会場は今まで経験したことのないものでした。
レンガのみで構成されて空間が、こうまで美しいものかと。
また、「ルーバーとは光源を見せずに柔らかい光を演出するためのものなんだよ」と語りかけてくるようです。
久しぶりに、夢中でシャッターを切ったのです。
そこから更にバスに乗って10分。湖のほとりを走ると「夏の家(コエタロ)」に到着しました。
25年前から、写真集では何度も見てきたこの作品。
アアルトが夏を過ごす別荘として設計された、実験住宅なのです。
その証拠に、レンガ、タイルなど、様々なパターンで壁面が構成されています。
私が設計したSpoon Cafeで、濃い青のワンポイントを入れたのは、この影響かもしれません。
この空間の上部に、中2階のような彼のアトリエが見えます。
吊り構造になっているため、柱がないのです。
この床を持ち上げる軽やかなディティールも、何度も写真で目にしたもの。やっと本物を見ることができました。
この技術自体は、全く難しいものではありません。しかし、実現するかは全く別の話です。
松葉のような吊り柱が、床梁を挟み、吊り上げているのですが、僅かに隙間があるのが印象的でした。
「隙間があってもいいんだ。挑戦することが大事なんだ」と、再び巨匠の声が聞こえてきます。フィンランド語はわかりませんが。
納得、満足、反省など、複雑な気持ちで再びバスでユバスキュラの駅に戻ったのです。
翌13日(土)は、「マイレア邸」のあるポリへ向かいます。
ポリはフィンランド西端の田舎町らしく、中間点にあるタンペレで一泊することにしていました。
駅のチケット売り場で、「窓際の席はあるか」と聞くと「とんでもない、乗れるかどうかわからない」のような感じなのです。
「どんな席でもいいから」というと、何か言っているのですが理解できず、「問題ない」と伝えました。
どうもペット専用席だと言っていたようです。
若い女の子のペットの彼と、なぜか2時間半向かい合わせの旅に。別に嫌な訳ではないですが。
タンペレはフィンランド第2の都市で、工業都市でした。
サイナッツァロでもそうでしたが、煙突の多くがレンガで出来ています。
この高さをレンガだけで作るのは難しいはずなので、おそらく鉄筋コンクリートの上に貼っているのだと思います。
それでもレンガか、そうでないかでは全く印象が変わります。
デザインといえば、実用的ではなく、コストがかかるものという印象が、日本にはまだ強く残っている気がします。
しかし北欧では、テキスタイル(織物)であれ、家具であれ、建築であれ、美しくあるべきだという思想が、かなり強いのではないかと思います。
その大きな理由がやはり、風土気候にありそうです。
今回はここまでにして、続きは木曜日に。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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「KISHIWADA HOUSE」‐7‐目指せ一番
2016年8月11日
リオ・オリンピック、夏の甲子園も始まりました。
2016年の夏も、暑さがピークを迎えています。
工期が遅れていた「KISHIWADA HOUSE」ですが、ようやく完了検査を実施しました。
引越し後も工事の手が入り迷惑を掛けていましたが、何とかここまでたどりつきました。
外観と同じように、内部空間も白を基調とした、ミニマル(最小限)な表現となっています。
アイランドのキッチンと合わせて、ブラックのペンダントライト。こちらはクライントのセレクト。
奥のテレビスペースも、黒い壁面に埋め込まれています。
ウォークインクローゼット内まで、美しさを追求しました。
お風呂は置き型のバスタブを採用。
奥さんが「2時間くらいは入っています」と、大変喜んでくれました。
ご夫妻と綿密に打ち合わせをして作り上げてきたのです。
また、「暮らしてみて、守谷さんの設計意図がよくわかりました」とも。
何故ガラスのスクリーンがあるのか、奥まった中庭があるのか。
そんなことまで感じ、考えて貰えたら、設計者冥利に尽きますし、私達も幸せな気持ちになれるのです。
2016年の夏は、アスリートの為だけにあるのではありません。
金メダルを目指し、また日本一を目指し、奮闘しているアスリートがいるなら、私達も仕事の上で、一番を目指さなければなりません。
勇気をもって指名してくれたクライアントに対して、一番を全力で目指すことは、義務意外の何物でもないのです。
文責:守谷 昌紀
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最後の巨匠に触れる‐1298‐
2016年8月11日
今日から夏季休暇で、10:35の飛行機でフィンランドへ行って来ます。
フィンエアは国旗と同じ白と青の機体。青は湖や池、白は雪を表します。
フライトは約10時間。日本から一番近いヨーロッパとありました。
フィンランドは北緯60度以北にあり、気温は最高気温が20℃くらいのようです。
日本で言えば3月くらいの感じでしょうか。このあたりは行ってみないと正直ピンと来ません。
フィンランド人は自分達のことを「スオミ」と呼ぶそうです。フィンランド共和国の別名はスオミ共和国。
スオミは湖や池を指します。国土の68%が森林、10%が湖沼や河川、8%が耕地。その名の通り森と湖の国なのです。
アイスランドに次いでの世界最北の国、消費税は概ね24%、ユーロが使えること位は調べましたが、それ以外は正直全く分かっていません。
私にとって、残された最後の巨匠、アルヴァ・アアルトの建築に触れるのが目的です。
フィンランドの国民的建築家、アアルトの建築がどれだけ私に影響を与えたかは以前書きました。
彼はワインをこよなく愛したそうで、お気に入りはキャンティー。彼の建築が好きなのですが、それを知り、さらに親近感が湧きました。
私もワインはキャンティが一番好きです。ルビーのように色が美しく、飲みやすいが味わいがある。私が目指す建築もこのようなものかもしれません。
「これと、これと、これが見たい」と妻に伝え、ホテルを予約して貰いました。
その道中にある街をみるのも楽しみですが、行き帰りの飛行機が分かっている程度で、正直どこに行くか、もう一つ分かっていません。
ギリギリまで働き、飛行機の中で旅先の猛勉強。大体いつもそんな感じですが、今までで一番準備ができていないかもしれません。
それでも、知らない街におり立てるだけで良いのですが。
15日が月曜日で、現地からUPする予定です。良ければのぞきに来て下さい。
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『住人十色』取材打合せの場面にて‐1297‐
2016年8月8日
先週土曜日は、「松虫の長屋」へ行っていました。
5月の見学会以来ですが、 今回は、毎日放送『住人十色』の取材打合せでした。
ご主人は仕事中で、まずは奥さん、ご主人のお母さんが、ディレクター、構成作家と打合せです。
6月に、番組の方から連絡があり、その後、7月後半に取材決定となりました。
私が居なくても全く問題ないですが、クライアトンから「出来れば立ち会って欲しい」と。
3時間半同席させて貰いましたが、テレビとは本当に多くの時間を掛けて製作されているメディアです。
そうこうしているうちに、ご主人が戻って来てくれました。
忙しいし仕事の合間を縫っての帰宅で、感謝しかありません。
オンエアが終われば「とても良い記念になった」と言って貰えると思いますが、この時点では、負担と不安しかないはずです。
3ヵ月振りに会うお子さん2人も、初めこそ盛り上がってくれます。
しかし、大人の都合ばかりで、間違いなく退屈。
お兄ちゃんはお気に入りの場所で、ゴロゴロして本を読み始めました。
すると、奥さんがプラバンをお子さんに渡し、兄弟はお絵かきを始めました。
それをオーブンで焼き、縮んだところを見計らって、すぐに分厚い本で挟みます。
少し冷ますと、プラバンキーホルダーが出来上がりました。
次男君が飽きてきたら、光庭のプールで水遊び。
「これが一番長持ちするんです」と。
全て、取材を受けながら、更に子供にご飯を食べさせながらです。
他人の私から見れば、広い視野をもち、てきぱきと神業のようでした。
奥さん方はいつもこのような事をしている訳です。しかし、男は仕事に出て、普段それを見れないのです。
改めて関心した男性は、今日、奥さんに感謝の意思を示しましょう。
恐らく、私は一番出来ていない部類ですが。
リサーチャーの方によると、「住人十色」には、年間1000から1500件程オファーがあるそうです。その中で選んで貰ったのは、とても嬉しいことです。
番組のサブタイトルは「家の数だけある家族のかたち」。それが上手く伝われば良いなと思います。
放送は10月15日(土)の予定で、レポーターは、有名な女性タレントの方だそうです。
どんどん宣伝して構わないとのことで、取材の様子も含め、追って報告して行きます。
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自分事と他人事‐1290‐
2016年7月16日
昨日から横浜に来ています。
ずっと雨模様でしたが、今日は晴れそうです。
水の美しさは望めませんが、潮が香り、やはり海はいいものです。
クイーンズスクエアーには、横山剣の大きなポスターが掲げられていました。
彼の出身地、横須賀はまだ訪れたことがなく、一度行ってみたい街なのです。
先週から、隣家が建て替えのため、解体工事が始まりました。
境界を越えて足場を建てるとか、足場をこちらの敷地の中に張り出させて欲しいとか、説明がなく工事がスタートしました。
隣の住人も良く知っていますし、お互い様なので構いません。しかし、他人敷地に入るのだから、説明くらいはするべきだと、施工会社に伝えました。
こんな話を聞いている時の態度が、信用か、不信感かの分水嶺になるのが良くわかります。
早く立ち去りたいと思っている、ただ相手の話が終わるのを待っている。そう感じた時、不信感へメーターの針は振れるのです。
立場が変われば、感じ方が全く違うこともよく分かりました。普段は工事を監理する側の立場にいます。
監督から近隣の話しを聞くと「お互い様ですよね」と感じることが殆どでした。
ところが立場が変わると、子供に危険はないか。知らない職人に連れ去られはしないか……疑いの目でみれば、際限なく不安は広がるのです。
当事者にとっては、工事をするのが大前提になっています。しかし、隣地の工事によって、全くメリットがあるわけではない、もしくはデメリットしかない、立場で考えたことがなかったことになります。
人の気持ちになって考えると言いますが、どこまで出来たのだろうかと、考えてしまいました。
完全に人の気持ちになる等、所詮無理なことなのかもしれません。しかし、だからこそ大事なことなのだとも言えます。
横浜に来た理由は、京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの話を聞くためです。
今年も、世界5カ国から4千7百名の人達が集まりました。
また、6名の経営者の経営とその人生を聞かせてもらいました。職種が違うから、年齢が違うから、国が違うから……違う理由を探せばいくらでもあります。
46億年の地球の歴史の中で同じ数十年を生き、70億人の人類の中の5千人として同じ時間をすごし。重なるところを探せば、いくらでもあります。
他人事を、どれだけ自分事として考えられるか。それが、退屈な人生を送らない要諦なのではと思うのです。
横山剣の代名詞といえば「い~ね」。
齢四十五にして、常に前向きで、かつ素直でありたいと思うのです。
◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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積年の澱‐1289‐
2016年7月11日
前回は、熊本に到着したところまで書きました。
私が担当したのは熊本市の東隣、嘉島町です。災害時の支援活動は以下の流れです。
① 応急危険度判定
② 被害状況調査(1次調査)-外部からの簡易なもの
③ 被害状況調査(2次調査)-内部、外部とも測定等が伴うもの
災害対策本部のある、町民会館。宿泊もここでさせて貰いました。
立派な建物で、山下設計の仕事とのこと。
朝8時半から本部でミーティングがあります。
7つの班に分かれ、被害認定調査に向かいました。
嘉島町では住宅の調査がかなり進み、追って、非住宅の1次調査、2次調査に進んでいるといった状況でした。
各班は7名ずつくらいで、嘉島町役場の人をリーダーに、熊本県庁、広島や静岡の町役場の人も参加していました。
市町村はこういった時、互いに助け合うシステムが構築されているようです。
熊本県庁から来ている女性が「普段はデスクワークなので、毎日足がパンパンです」と言っていました。
一日で、大きな会社を2つと住宅の調査をしましたが、暑い中、なかなかの重労働です。
それぞれの班に、日本建築家協会(以下JIA)から参加している私達が2人が入ります。
そして、基礎、外壁、屋根、柱などの被害の程度をチームで判定して行くのです。
嘉島町から東に益城町や橋が落ちた南阿蘇村があります。
やはり断層が直下に通っている線上に、大きな被害は集中しているとのことでした。
同じ町内でも、被害の集中度が全く違います。
これらの判定で、半壊、全壊と判断された場合、助成金が出るという側面もあり、当然のことながら、責任のある仕事です。
この判断を、役場の方がしているケースが多いのです。
役場の中にも建築士の資格を持っている人がいるのかもしれませんが、やはり専門家が判断するほうが、精度が高いのは間違いありません。
JIAや建築士事務所協会などから、組織的にスピーディーに調査員を派遣するシステムが間違いなく必要だと感じました。
これはJIA九州の人から聞いたのですが、JIAとしては仮に費用が一切でなくても、判定員を派遣すると、早々に結論を出したそうです。
非常事に無報酬でも支援活動をするというの賛成です。
しかし、それらの詰めがされていないという事実は問題です。
嘉島町に限らないのすが、本当にこのあたりは水が豊かです。
水田の水でさえ、澄み切っていました。
川の中でもいたるところから湧き水があります。
そこで泳ぐ人も沢山見かけました。
帰りは、JIA九州の方が、福岡まで帰るので車で送りますよと言ってくれました。
JR博多駅前にあるのは、西日本シティー銀行で1971年、磯崎新の設計です。
博多は2年前の夏に来ましたが、本当に雰囲気のある街です。
まもなく山笠祭りが始まるとのことで、街中に山笠を見かけました。
博多駅前にはかなり大きなものも。
夜の8時過ぎに博多を新幹線で出発しました。
すると8時半頃に熊本で震度3の余震が。またその翌日にも震度4の地震がありました。
私が一人で出来ること等たかがしれています。また、仕事がなければ、ボランティアも不可能です。
その関係に正しい比率などありません。
地震国日本において、建築の専門家でありながら、公に対してなんの貢献も出来ていないという、積年の澱は少しだけ流すことが出来ました。
しかし、地震に終わりなどありません。
豊かな水田、祭りに活気づく若者、そして震度7の地震。いずれも日本です。自分に出来る貢献とは……そんな事を考えながら大阪まで帰ってきました。
要請があればすぐに駆けつけられるよう、日々の仕事を頑張るだけだと思っています。
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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熊本へ‐1288‐
2016年7月11日
昨晩、熊本入りしました。
夕方の便で伊丹を発ち、熊本空港からバスを乗り継いで2時間。夜の8時頃に災害対策本部のある嘉島町民会館に到着しました。
熊本市街を上空から見ると、キラキラと輝き、「水の国」熊本が視覚的に理解できます。
市内にある水前寺江津湖公園 は、阿蘇山系に降った雨水が、豊富な湧水となって出来たものだそうです。
市の水道の多くが地下水で供給されているというから驚きます。
地震から3カ月経ちましたが、ブルーシートで屋根を覆っている家が、まだまだ残っています。
目的のバス停に着きましたが場所が分からず、通りがかりの人にたずねました。
上品な感じの女性で「遠いから乗せていってあげる」と。キャリーバックを引いているから、支援活動の人かなと思ったとも言っていました。これまでに沢山の人がボランティアに来ていたのです。
今日は朝8時半から、建物の被害認定調査をします。
今年のゴールデンウィーク前、大阪府建築士協会からの要請で、危険度判定活動に参加する予定でした。
しかし、直前になって「受け入れ態勢が整わず」とのことで中止に。
今回は日本建築家協会(以下JIA)からの要請でした。
色々なプロジェクトが進行するなか、かなりの時間を使い、また、それ相応の出費も必要で、大阪を離れて良いものか迷いましたが、参加することにしました。
この日本に、幸せな建築を求める人が居り、仕事をさせて貰うことで、私は育てて貰いました。もし授業料を払っての勉強なら、これだけの長い期間、一つのことを続けることは不可能です。
1995年、24歳の時の阪神淡路大震災から2011年、41歳の東日本大震災まで、実際に行動に移せたことはありませんでした。社員が成長した今なら何とかなるかもと思ったのです。
建築を生業にするなら、日本の風土を受け入れるところから全てが始まります。
まずは調査活動に汗を流します。そして受け入れ、向き合いたいと思うのです。
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名こそ惜しけれ‐1286‐
2016年6月30日
名こそ惜しけれ‐1286‐
7月3日(日)に、「羽曳野の家〈リノベーション〉」のオープンハウスを開催します。
お時間ある方は、是非遊びに来て下さい。
前回は、海南市訪問を書きました。帰りに、熊野古道の入り口ものぞいてきました。
海南ICすぐそばにある藤白神社。
熊野古道沿いにあり、元は藤白王子社と呼ばれていました。
「王子」とは熊野古道途中にある神社のこと。
ここは九十九王子の中でも、五体王子の一つとして特に格式が高かったそうです。
神社の入り口にある鳥居の横には石碑があり、
「三熊野一の鳥居」
「これより熊野路のはじめ」
と書かれています。
三熊野(みくまの)とは、熊野本宮大社、熊野那智神社、熊野速玉神社(新宮)を指し、ここが熊野古道の入り口だと示しているのです。
鳥居を守るように生える楠は樹齢千年。
長きに渡って、蟻の熊野詣を見守ってきました。
和歌山平野を北から見下ろすと、地理が分かり易いかもしれません。
紀の川を中心とする和歌山平野が終わり、本格的に山岳地帯が始まるのが海南市あたり。
和歌山城から熊野街道を南下すると、藤白神社付近で熊野古道と合流するのです。
また、この神社のすぐ近くに「鈴木屋敷」という建物があります。全国二百万と言われる「鈴木姓」のルーツと言われているそうです。
平安末期(1150年頃)、上皇や法皇の熊野参詣が盛んになりました。
その頃、熊野の鈴木氏がこの地に移り住み、熊野三山への案内役をつとめました。
そして、熊野信仰の普及につとめたと伝えられているのです。
特に鈴木三郎重家と亀井六郎重清の兄弟が有名で、幼少の頃、源義経と遊んだと伝えられます。
後には義経の家臣となりました。
その鈴木の宗家を後世に残そうと、保存活動をしているのです。
街のスズキのショップにも「全国鈴木姓発祥のまち海南」という大きな看板がかかっていました。
今回、燃費データ改ざん事件の後でもあり、複雑な気持ちで眺めます。
司馬遼太郎は、関東一円の坂東武士の「名こそ惜しけれ」という精神が、日本人には受け継がれていると言いました。簡単に言えば、はずかしいことをするな、という意味です。
その「痛々しいまでの清潔さが」明治の近代化を押し進めたとも言っています。
鈴木さんにはなんの恨みも無いのですが、日本のメーカーがそんな不正をするとは……と、憤りを感じます。
そもそも、メイド・イン・ジャパンはそういったことの無いブランドという安心感が、世界に受け入れられていたはずです。
民間企業という言葉がありますが、その集合体が国家を形成しているので、誰もが自国を背負っていると言えるのです。
開高健は、「名」について、ユーモアたっぷりに書いています。
金を儲けようとすると逃げていきよる。結果として手にするんならええんヤ。そんなもんより名だ、名を惜しむんヤ。いいか、いい仕事しなくてはいかんゾ。
法や道徳観には、他者からの視線が常に根底にあります。大切なのは、自らが自らを律する美意識だと思うのです。
■■■「羽曳野の家」オープンハウス開催■■■
日時: 7月3日(日)13:00~17:00
場所: 羽曳野市恵我之荘
お名前、E-mailアドレス(またはfax番号)を
ご連絡下さい。地図をお送り致します。
tel 06-6703-0181 fax 06-7500-5920
office@atelier-m.com
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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前にお会いしたことが……‐1285‐
2016年6月30日
前にお会いしたことが……‐1285‐
先週は水族館に行ったつもりが、魚を見れず。
昨日も魚を求めて、今度は和歌山県海南市へ。
和歌山県立自然博物館も、琵琶湖博物館と同じく、水族館と博物館を合わせたような施設でした。
すぐそばには天然の港があり、海沿いの景色の良い所。
しかし、駐車場に向かう景色をみながら気づきました。
「ん?ここ、来たことがある……」
男に聞くと「僕は初めてだと思うよ」と。
入館料は大人のみで470円。
なかなかの充実振りでかなり安いと思います。
特に、触れる標本が沢山あり、2人とも十分満足した感じでした。
しかし展示を見ても、記憶は蘇ってこず。
休館か何かで中には入らなかったのかな等と思いながら。
自然博物館のとおり、和歌山の自然に特化した館でした。
碁石に使われる那智黒石ですが、金が本物かを見極める試金石に使われていたそうです。
ツキノワグマのはく製です。
「人間をエサとして認識している可能性も……」などという、物騒な報道があったばかり。
紀伊半島では180頭程が生息しているそうです。互いのエリアには入って行かないに限ります。
和歌山は四大漆器の街なのだそうです。
その名残を残す黒江という街が近くにありました。
散策してみると、ここも来たことが有るような、無いような。もう全てに自信がなくなって来ました。
帰りに偶然見つけた海南市役所。ひときわ目を引く建物で、これは間違いなく初訪問。
和歌山県建築士会のサイトに解説が載っていました。
設計は 三紀建築事務所。1965年(昭和40年)の完成です。
丹下健三の代々木体育館、坂倉準三の芦屋市民会館(現:ルナホール)と同時期で、コルビジェの影響を強く受けているとあります。
海南市役所が初訪問かは迷いません。存在感が圧倒的だからです。
誰かと会い「前にお会いしたことがありましたっけ……」と言われるのが一番辛い。
見た目に特徴がある訳ではありませんが、どんな人でも、一度会話を交わしたら、覚えて貰える人で有りたいと思っています。
厚かましいかもしれませんが、人生は一期一会、初めにあった時に全て勝負は決まっていると思うからです。
そう考えると、和歌山県立自然博物館が悪いのか、私の記憶力が低下しているのか……
最近、DVDを借りてくると、妻に「これ、前に観たよ」と言われる回数が増えてきました。
と言うことは、はやり後者なのか。
■■■「羽曳野の家」オープンハウス開催■■■
日時: 7月3日(日)13:00~17:00
場所: 羽曳野市恵我之荘
お名前、E-mailアドレス(またはfax番号)を
ご連絡下さい。地図をお送り致します。
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■『住まいの設計07・08月号』5月21日発売に「松虫の長屋」掲載■
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「羽曳野の家〈リノベーション〉」‐6‐オープンハウス開催
2016年6月20日
「羽曳野の家〈リノベーション〉」‐6‐オープンハウス開催
今年の1月から工事が始まった「羽曳野の家〈リノベーション〉」ですが、6カ月の工期を経てようやく完成しました。
クライアントのご協力もあり、オープンハウスを開催することになりました。
■■■「羽曳野の家」オープンハウス開催■■■
日時: 7月3日(日)13:00~17:00
場所: 羽曳野市恵我之荘
お名前、E-mailアドレス(またはfax番号)を
ご連絡下さい。地図をお送り致します。
tel 06-6703-0181 fax 06-7500-5920
office@atelier-m.com
初めて連絡を貰ったのは2013年の4月。
設計期間は32カ月。途中、本当に色々なことがありましたが、「あちこちでお茶できる家」の28カ月を抜いて、設計期間第2位。
ちなみに、1位は「四丁目の家」で51ヵ月。ここまでくると仕事と言うよりは親族のような感じです。
30坪程ある平屋を、ダイナミックな一室空間にリノベーションしました。
色使いなどは、奥さんのセンスで、愛らしい、大きな洗面です。
お子さんが3名、この夏には次のお子さんも……
スタート時には、年少クラスだった長男君。この春には小学一年生になりました。
私の写真も、一方的、伯父目線です。
辺りには、田んぼも残るのどかな雰囲気です。
興味があるかたは気軽にご連絡下さい。
文責:守谷 昌紀
■『住まいの設計07・08月号』5月21日発売に「松虫の長屋」掲載■
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...