朝だ、徹夜‐1223‐
2015年11月24日
朝だ、徹夜‐1223‐
昨日、今日と秋の奈良下北山村へ。
そろそろ紅葉かと楽しみにしていましたが、まだ少し早いよう。
日曜日は、秋らしいうろこ雲で、良い天気でした。
子供と来る予定でしたが、寒くなり、あまり釣れない事を知ると「やめておく」と。
実際、こんなかわいい魚を見るのが精一杯だったので、正解だったかもしれません。
しかし彼らは、ここに来れば私と遊んでくれる、ある意味親友なのです。
晩秋の池原ダムを満喫しました。
先週は、あるプロジェクトの企画提案がありました。
事業自体がコンペの為、内容は伏せますが、初めて設計する用途の建物でした。
実務の仕事と平行しながら、実質10日程で仕上げましたが、2日徹夜しました。
40歳を超えた頃から、徹夜があとを引くようになりました。出来るだけ定時に上がるようにしています。
先頃、ある先輩経営者から「誰にも負けない努力をしていますか。もし、していないないら、今月中に、最低一回は徹夜で働いてください」と言われました。
徹夜が是か非かは別にして、何か物足りないと思っていたのも事実で、丁度良かったのです。
「プロジェクトX リーダーたちの言葉」に、ミスターVHSと呼ばれた、日本ビクター元副社長・高野鎮雄の項があります。
日本人が初めて生み出した、ホームビデオの世界企画がVHS。
「窓際族が世界企画を作った」の題の通り、彼への期待は小さく、赤字部門だったVTR事業部長に就いたのが高野です。事業部廃止の話もありました。
「皆さんもなんでもいいから、夢中になってください。夢中っていうのは大変素晴らしいことです」
感謝の集いで、彼はこうスピーチしました。その彼が良く呟いたのが次の言葉だそうです。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
身を捨てる覚悟がなければ、物事の成就などない。これもまた真実です。
今日は勤労感謝の日。「勤労」を広辞苑で引くと「身心を労して、勤めにはげむこと」とあります。更に「勤め」には「つとむべきこと、任務」とあります。
特に仕事でなくても良さそうです。
「麻雀放浪記」で知られる阿佐田哲也は、直木賞作家、色川武大のもう一つのペンネーム。「朝だ、徹夜」という駄洒落からきています。
今日は一日、冷たい雨でした。それでも好きな釣りなら、朝6時から始めて気がついたらもう帰る時間です。夢中なら、これは幸せなことです。
夢中になれることがあるのは、本当に有り難いと、感謝したい祝日の夜なのです。
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【Events】
■12月12日(土) 2:00pm~4:00pm 天六・住まいの情報センター5Fにて セミナー開催「○○と一緒に暮らす」
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潰さずに解く‐1222‐
2015年11月20日
潰さずに解く‐1222‐
晩秋と言うにはそぐわない暖かさです。
先週の金曜日は秋の奈良を訪れました。
猿沢池の東にある荒池。
灌漑用に作られたそうですが、池越しに興福寺の五重塔を望みます。
天気は生憎でしたが、奈良公園も色づき始めといったところでしょうか
年々紅葉が遅くなり、季節感も変化していかざる得ません。
シカも冬支度か。盛んに葉を食んでいました。
葉を食べるだけで、何故あれだけの体を維持できるのか。好き嫌いなく、何でも食べなさいと言っていますが、果たして本当なのでしょうか。
奈良に来たのは、日本建築家協会の支部大会に参加するため。
メイン会場となったのは、荒池に面して建つ奈良ホテルです。皇室の常宿でもあるのです。
完成は1909年、明治末で、東京駅でも知られる辰野金吾の設計。
その格式を求め、多くの著名人も宿泊しています。
奈良市街にある奈良基督教会も、今回会場の一つでした。礼拝堂は、1930年に完成しています。
欧米から見ればおかしいかもしれませんが、この入母屋造りの教会で、信心を深めたのです。
「古都奈良の文化財」は1998年に界遺産に登録されました。これは多くの寺社建築が主役です。
建築の粋を集めた五重の塔も、巨大な奈良の大仏も、より不安定な世の中で、心の平静を求めてそれらは建造されました。
現代に、更に大きな大仏をという話にはなりません。そのくらい安定した世の中という証でもあるのです。
しかし、テロ関係の報道がない日は、未だありません。「戦争状態にある」というフランス大統領の発言を聞くと、やはり心穏やかなりません。
仕事の場で、もし互いが望めなければ、関係を「解く」という方法があります。これが契約解消です。もし、会社を潰しにかかるとなると、また別次元の問題になります。
関係を持ちたくないなら、憎みあう前に、せめて解くことは出来ないのか。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
鉄血宰相と言われたビスマルクの言葉ですが、現代という歴史に学べないものかと思うのです。
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■12月12日(土) 2:00pm~4:00pm 天六・住まいの情報センター5Fにて セミナー開催「○○と一緒に暮らす」
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「宝塚 RC打放しの家」‐8‐答え合わせ
2015年11月12日
「宝塚 RC打放しの家」‐8‐答え合わせ
【Events】
■■■12月12日(土) 2:00pm~4:00pm 天六・住まいの情報センター5Fにて セミナー開催「○○と一緒に暮らす」■■■
ようやく足場がとれました。
初めて建物の全容を見る時、緊張もありますが、やはり心躍ります。
西側道路を下りながら、全体を確認。
敷地を読み解けていたのか。自分達の提案は正しかったのか。答え合わせをするような感覚でしょうか。
季節によって、太陽高度、日の出、日の入りの位置は正確に分かります。
冬は取り込み、夏はそれらをいかに防ぐか。
代わらぬテーマですが、この家は内外コンクイリート打放しの為、特にそれらが需要だと考えました。
正面の西側は閉じ、メインの空間は南に開いています。
1階はダイニングキッチン。
キッチン設置の前ですが、床材が貼られ、空間の雰囲気が出来上がってきました。
2階はP室と呼ぶ部屋。こちらは広いバルコニーと、深い庇に囲まれています。
P室の「P」に深い意味はありません。空を見上げたり、雨を眺めたりする、余白の部屋なのです。
バルコニーのコーナーには開口を切ってあります。
南の隣家を気にせず、南東に広がる大阪平野を見下ろす為のものですが、 紅葉した桜が、季節を視覚で感じさせてくれるのです。
この敷地は、東にも道路がありますが、4mの高低差があります。
クライアントは坂のある街を探し、この土地を選びました。住まい手が求める景色、風景とは。
それらを感じ、実現する為に、設計という仕事があるはずです。
「本当にかっこいいですね」と何度も言ってもらいました。私もそう思います。
残すは外構工事のみ。建物外の部分でありながら、街に一番近いのが外構工事。最後の総仕上げとも言えます。
建築とは、クライアントとの共同作業です。思いのずれがなければ、失敗はないはずです。
文責:守谷 昌紀
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松虫の長屋」‐11‐写真撮影そしてエピローグ
2015年11月9日
「松虫の長屋」‐11‐写真撮影そしてエピローグ
【Events】
■12月12日(土) 2:00pm~4:00pm 天六・住まいの情報センター5Fにて セミナー開催「○○と一緒に暮らす」
11月3日は文化の日。「松虫の長屋」の写真撮影でした。
前日は久し振りの雨でしたが、雲1つない青空が広がりました。
とは言え、天気はきまぐれ。
撮影は早目、早目が鉄則です。
屋根上にある月見台から、北に望むあべのハルカス。
晴れと曇りでは、全く違う景色になります。撮影の時ほど、晴れが嬉しい日はありません。
月見台から光庭を降りていくと、ダイニングにつながります。
この計画は、四軒長屋の中央二軒のリノベーション。この部分は屋内でした。
ここを減築し、光と風を取り込こむという提案をしたのです。
これを面白がってくれるクライアントと、それにトライしようという施工会社がなければ、実現することはありませんでした。
もと界壁だった壁にも開口をあけ、ロフト部にある子供部屋とLDKが繋がります。
撮影の間、人物無しのカットを撮る際は、ここで待機して貰います。
それらを繋ぐクライミングウォールは、夫妻の友人も時々登るそう。
それより、玩具が広がっても気にならない。かつ目は届くロフトを、お母さん友達は評価してくれるとのことでした。
「こうしておけば良かった、というところは無いんです」と言って貰いました。
人物ありのカットは、調理から食事までの撮影です。
写真なのにという事無かれ。
演技ではなく、本当であることが大事なのです。
作っている間にお腹一杯になってしまうかもしれませんが。
「子供に手伝って貰ってもいいですか」というのは、奥さんのアイデアでした。
こちらのご家族は、暮らしを楽しもうという気持ちがよく伝わってくるのです。
一緒に住む、ご主人のお母さんにも入っていただき、食事の風景も撮影しました。
これで午前の部は終了。
日没後、更に夕景を2カット撮り、この日の撮影は終了しました。
写真が上がってくるのは3週間後。楽しみですが、間違いのない出来だと確信しています。
昼食のおにぎりの上に乗っていた海苔は、恐竜の形をしていました。福井の恐竜博物館で買った、抜き型だそうです。
計画のスタートは2013年の秋。
鍼灸整骨院を経営する忙しい中、夜の打合せがほとんどで、お子さんのお弁当を持って来られた事がありました。
その海苔も、このような抜き型だったのだと分りました。
暮らしを楽しむ。人生を楽しむ。それは、何かが無ければ出来ないものではありません。
物創りを生業としている私が言うのも変ですが、物がなくても意思があれば十分だと思うのです。
「今まではあまり友人を呼ぶことが無かったのですが、4家族までは行けますよ」という言葉に、自分達の存在価値を見出すのですが。
日々の暮らしに、ささやかな喜びを付加できたらなら。それが私達の仕事です。
この撮影で計画はひと区切りです。ここまで要した時間は2年。振り返ってみればあっと言う間でした。
次回はおそらくメディアの取材時だと思っているのです。
文責:守谷 昌紀
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誰と暮らすも自由‐1219‐
2015年11月9日
誰と暮らすも自由‐1219‐
どこに住むも自由。どこで働くも自由と書きました。
そして、誰と暮らすかも自由です。
縁あって結婚し、今日で12年目を迎えました。
昨晩は、実家で皆に祝ってもらいました。
妻を友人に紹介して貰ったのが1999年の冬だったか。29歳の私は、重い鬱の真っ只中にいました。
こんなぶざまな姿をさらすなら、死んだほうがましと思い、動悸がおさまらず、常に不安に駆られていた頃です。
そんな時、友人が妻を紹介してくれたのです。その友人は「サンルームと吹抜の家」のクライアントです。
設計を依頼してくれたからではありませんが、今は感謝しかありません。
年賀状は家族写真と決めていますが、2004年が第一回目。
この日記を始めたのが2004年の3月なので、その直前でした。
結婚というのは、2人の人生が交差する場面です。そこに招待した人達は、それまで人生で、大切だと思った人達。
その後の場面でも、度々交錯していくことになります。
私が鬱を脱することが出来たのは、思い通りにならない事があると分ったからだと、今は思っています。
反対に言えば、少し努力すれば、全てが思い通りになると思っていたのです。
同じ努力をしていても、貧困な国なら、日本と同じチャンスがある訳ではありません。
日本人のお金を掠め取ってやろうと近寄ってくる輩もいますが、それとて、懸命の方向を間違っているだけです。
海外を彷徨し、懸命に生きている人々の姿を目の当たりにし、おぼろげながら、そんな事を思い始めていました。
結婚の頃を境に、人生が大きく動き出したのかもしれません。
「縁」と言えば良いのか「運命」と言えばよいのか、この世には、コントロールしきれない何かがあります。
沢山の縁を与えられて、今生かされていると実感するのです。
「人は変わる。変われるでは無く変わるんです。調子がいいからずっと同じ状態でいたいと言っても無理なんです。ならいいほうに変わろうよと、僕はいつも言ってるんですよ」
-王貞治-
この王貞治のことばに、真理と現実の全てが含まれています。
誰と暮らすも自由です。
縁と自分の意思の積こそが、自分の人生と言えるのかもしれません。
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BBQが入社試験なら‐1217‐
2015年11月4日
BBQが入社試験なら‐1217‐
今日の大阪は久し振りの雨でした。
昨日から11月に入りましたが、10月は本当に雨の少ない月でした。
明日が「松虫の長屋」の撮影で、気を揉んでいましたが、何とか晴れてくれそうです。
雨予報がずれて、日曜は晴れ空に。
滋賀県の朽木に行っていました。知人がバンガローをとってくれたのです。
大人7人、小学生が7人。初対面の子もいましたが、打ち解けるのに大した時間は必要ありません。
男子チームは、大きな滑り台を逆走して上がっていきます。
誰も居ないのでよしとしょう。
土曜の晩は、BBQを準備してくれていたのですが、この日はハロウィンでした。
調子のりの3年生が居ると、かなり盛り上がります。
人気者=被り物好きの構図です。
お母さん方の仮装はありませんでしたが、カボチャをくり抜いての力作でした。
入社試験として、皆でBBQをする会社があると聞きます。
周りは見えているか、協力しながら料理を進められるか、人の役に立とうと思っているか。なるほど、試験にはうってつけです。
炭の前に陣取って動かない人は、生き物としてのバイタリティーは強いのですが、チームプレーである仕事では、危惧せざるえません。
この日は、女性5名、男性2名と、ほぼ女子会。のんびりと楽しい会でしたが。
もし試験をするなら、炭が濡れている、ライターのガスが切れている等、トラブルを含んでおいたほうが良いかもしれません。
反対にもし自分が試験を受けるなら、飴でもいいので、少し口に入れられる物を持って行きたいところです。
お腹が空きすぎて、良い仕事など出来る訳がないと思っていますが、これは反則でしょうか。
お腹が空くのは本能です。それを、精神でコントロール出来るかは、人間性に大きく関わっている気がするのです。
しかし、こんな事を書いてしまうと、もう誰も誘ってくれないかもしれませんが。
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甘みと苦味‐1215‐
2015年10月30日
甘みと苦味‐1215‐
10日ほど前、芦屋川の旧山邑家住宅について書きました。
設計者のフランク・ロイド・ライトと代表作である「落水荘」にも少し触れました。
私が訪れた際に撮った写真を、webサイトのtravelのページに上げています。
先日、スーパーゼネコンの元設計部長の方から電話がありました。「リビングの写真が素晴らしいから使わせて貰えないか」というもの。
大学での講演を本にするという事でしたが、このようなオファーは時々あります。
中でもアメリカのページからは、今回で3回目くらいでしょうか。
私はプロの写真家ではないので、クレジットさえ入れて貰えれば出来る限り協力します。また責任も無いのでただ嬉しいだけ。
これは、私が特別に写真が上手い訳ではなく、いくつか理由があります。
質の高い一眼レフのカメラに、専用のレンズを付けて撮らなければ、建築は美しく撮れないのです。
今日も「宝塚 RC打放しの家」のへ行っていましたが、現場へもこのカメラを持って行きます。
そうでなければ、空間の全体像を捕らえるのが難しいのです。
加えて、35mmのズームレンズも。
光と影を撮る際に、まったく空気感が違うのです。
また、長く設計事務所をやっていると、テレビ関係からも時々オファーがあります。
テレビとなると、クライアントの了解が出ない場合が多いのが現実です。今月初めにも、テレビ番組のオファーがありました。
この時は、クライアントはOKしてくれたのですが、結局は流れてしまいました。
このような事をご褒美とするなら、失敗や苦難は人生におけるスパイスのようなものでしょうか。
勿論失敗など無いに越したことはありませんが、苦味の効いていないビールもコーヒーも、歯ごたえのないものです。
「日々を丁寧に生きる。そして苦渋はなめつくす」
長嶋茂雄はこう言いました。
可能なら避けたいですが、自身を成長させるのは、苦味であるのは間違いないようです。
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どこに住もうか‐1214‐
2015年10月26日
どこに住もうか‐1214‐
木枯らし一号が吹き、いよいよ冬の気配が色濃くなってきました。
しかし、今日も良い天気です。
少し前になりますが、10月10日(土)は京都へ行っていました。
丸善・京都本店で、日本建築家協会が主催する「住宅無料相談会」に参加していました。
連休中ということもあり、秋の京都は人出が多い。
丸善・京都本店は、この夏リニューアルした京都BALの地下にあります。
若い夫妻がわざわざ大阪から相談に来てくれました。
「職場の関係で、概ね住むエリアを決めているもの、何から始めて良いのか……」
こういった悩みをもって居る人は結構居ます。制約が少なければ少ない程、土地探しは簡単でないのです。
2007年に来所した「池を望む家」のご夫妻も、職場の関係から、概ねのエリアは決めていました。
しかし、①崖の土地、②閑静な住宅地、③池のほとりと、3つの土地で迷っていました。
ご主人は、高校生の頃、悩みがあると大阪城の堀を見ていたことを思い出したそうです。
そして、池を望む家を建てました。
15
「宝塚RC打放しの家」のクライアントは、ご主人が仙台、奥さんが京都の出身です。
色々な土地を見れば見るほど迷ったと言います。自分達が住みたい場所とは?
多くの敷地を見に行った後、自分達は「坂のある街」が好きなのだと分ったのです。こちらは11月末に竣工予定。
22
「松虫の長屋」は、ご主人が暮らした四軒長屋の中央二軒をリノベーションすることにしました。
母と同居でなければ結婚出来ないと言ったそうです。
思い切って2階に光庭をとりました。来月初めに撮影の予定で、楽しみにしています。
スティーブ・ジョブズもこう言っています。
自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っている。だからそれ以外のことは二の次でいい。
もし、自分達の住む場所を探している人がいたら、大いに悩み、好きを見つけて欲しいと思います。
答えはあなたの心の中以外にないのです。
勿論、これは土地探しだけに限ったことではありませんが。
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人の鑑・アニキ‐1213‐
2015年10月26日
人の鑑・アニキ‐1213‐
秋深き 隣は何を する人ぞ
絶句となった「旅に病んで 夢は枯野を 駆けまわる」を除けば、芭蕉、最後の句だそうです。
亡くなる2週間前、晩秋の大阪で詠んだものでした。
秋であろうが、なかろうがという気もしますが、病床に伏した芭蕉を思うとより情感が伝わってきます。
阪神タイガースの監督に、金本知憲氏が就任しました。
阪神は、言わずと知れた関西の人気球団。トラキチではないのですが、金本氏は気になる監督です。
失礼ながら、キャリアを簡単にまとめてみます。
1991年、ドラフト4位で広島に入団。非力な選手だったが、ウェートトレーニングによってそれを克服。広島で主軸を務める。2003年、FA権を行使し阪神に移籍。リーグ優勝に貢献。腕が骨折したままヒットを打つなど、連続フルイニング出場を続け、世界記録を樹立。ファンからも絶大な支持を受けたが、2012年惜しまれながら引退。
阪神は1985年の優勝から、長い低迷期を迎えました。
弱小チームだったヤクルトを、3度の日本一に導いた野村克也監督。1999年、球団に請われ阪神の監督に就任します。
野村は、チームに入りその雰囲気に驚いたと書いています。
最下位に落ちても、そこそこ観客の入る甲子園球場。また、2軍選手であってもタニマチが付き、遊ばせて貰える。また、そのタニマチが、チーム、監督の批判をすると言います。
「おまえを使わないのは、あの監督が悪い」と。
選手こそが主役ですが、チームが無ければ働く場さえありません。
チームの為、組織の為に戦うのでなく、給料(個人成績)を上げるために野球をやりだす。野村が説いても、その雰囲気は簡単に変わるものでないと感じ、1年での退任を申し出ました。留意するオーナーにこう言いました。
「4番とエースは育てられないというのが持論です。掛布だけは阪神が育てたと言ってもいい。それならあと70年待ちますか」
また野村は、4番とエースは鑑でなければならないと言います。中心選手が人としても立派なら「あいつがやっているなら」と、集団は良いほうへ向かうのです。
その彼が、阪神の雰囲気を変えたのが、金本だと言います。
野村は3年間監督を務めますが、全て最下位。その後を継いだ星野監督は、広島から金本をくどき落としてきました。
その2003年、阪神は1985年以来、18年振りにリーグ優勝するのです。
2007年5月20日。友人に誘われて甲子園へ行きました。この日も金本を4番を張っていました。
金本は、ちょっとや、そっとの事では痛いと言わない。ましてや試合は休まない。そして、チームへの忠誠心が高い。ファンもその姿勢を知り、アニキと慕うのでしょう。
これらは、あくまで野村克也の意見です。しかし、プロ野球という日本最高レベルの組織で、こんな事が起っているなら、一般の組織なら、より顕著にその影響はでるでしょう。
「1人のホンモノに触れれば、100人のニセモノを忘れさせてくれる。それが人間社会の有難さである」
社会派小説で知られる城山三郎の言葉です。
私も小さくはありますが、組織のリーダーで4番です。まずは自分がホンモノと鑑を目指す他ありません。
しかし気になる監督ですが、それも秋が深まってきたからなのか。
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ライトその生涯‐1212‐
2015年10月20日
ライトその生涯‐1212‐
運動会も、昨日で一段落でしょうか。
秋晴れの中、阪急芦屋川の旧山邑家住宅へ行っていました。
夜、川沿いでライトアップされれいる住宅と言えば分りよいでしょうか。
近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で、1924年の完成。
南向きの山肌に、張り付くような住宅です。
東にある急な坂は、ライト坂と呼ぶそう。知りませんでした。
ライトは、ル・コルビジェ、ミース・ファン・デル・ローエと比べても、環境を取る込むのが巧みです。
1階の車寄せからは、低い山手の景色が切り取られています。
その上にあるのが応接室。
中央に石造りの暖炉がありますが、それらを暮らしの中心に据えました。
西には芦屋川があるので、高低差のある景色を望めるのです。
そして南側に小さなバルコニー。ここでも、見事な景色が切り取られています。
将来、どのような開発が行われるかを、想像していたかのようでさえあります。
3階は個室が並び、4階にはダイニング。
ダイニング前には、南に大きく伸びたバルコニー。
4層が北側にずれながら、実に見事に環境を取り込み、成立させています。
深い庇により、水平線が強調されたデザインも、ライトの特徴です。
その庇の軒を見上げると、斜めのスリット状に刻まれた天窓。
みればみるほど、ぐうの音も出ないほどのディティールです。
柔らかい大谷石がふんだんに使われています。
相当な費用、技術、そして理解がなければ実現しなかったはず。CG等無い時代ですから。
ライトは26歳で独立。そして42歳までの頃に、第一期黄金時代を迎えます。しかし、65歳までの間、不遇、不幸な時代がありました。
クライアントの妻とヨーロッパへ逃避行し、2年後に帰国。設計依頼は激減しました。
さらに、私塾であり、自らの事務所であった、タリアセンで放火、殺人事件まで起こります。
スキャンダルを起こす建築家をマスコミは追い回し、ライトは海外へ活躍の場を求めました。
山邑邸が完成した1924年はライトが58歳の時。1922年、東京に完成した帝国ホテル(愛知県明治村にて保存)と、それらのオファーは渡りに船だったのです。
その後、落水荘を発表したのが1936年69歳の時。これによって、見事な復活を遂げました。
1959年、92歳の時、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の建設中、その生涯を終えます。
第一次黄金期も、不遇も、不幸も、ましてや逃避行もありません。
それでも、仕事をしていればそれなりに、色々なことが起こります。ライトに比べれば、天保山程度ですが。
また、彼はタリアセンで、自給自足の生活をし、多くの国々の若者を育成しました。
私がライトから学べるように、空間は人類の共通言語と言えます。
今度、入社試験を受けるのは、韓国人の若者です。日本人の若者が定着しないなら、世界中の若者と働くまで。
世界には200カ国あるのですから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...