「住吉区歯科医師会館」‐3‐太陽は誰のもとにも降り注ぐ
2019年1月18日
「住吉区歯科医師会館」‐3‐太陽は誰のもとにも降り注ぐ岸
2019年の現場日記は「住吉区歯科医師会館」からスタートです。
昨日の14日は、成人の日を祝うかのような青空でした。
人気のない現場に入れるのは、設計者の特権かもしれません。
静かな現場を、ゆっくり回るのは楽しい時間です。
年末の建方工事を終え、床版となるデッキプレートの設置が終わっていました。
この館のプランを創り上げていった過程は、第1回目に触れました。
キーとなった空間は大会議室ですが、それらを法的にも可能としたのが、右奥にある3つのトップライトです。
階段は広めに設定していますが、2階はどちらかと言えばオフィス的な空間です。
それらの空間に対しても、光庭に対して窓を設けることで、採光を確保しています。
その床面にトップライトを設けているので、2倍の価値があると言えるのです。
デッキプレートの上にはワイヤーメッシュという鉄筋を敷設します。
これらはコンクリートの中に埋もれるのですが、デッキプレートと接してしまうとその性能を発揮できません。
よって、少し浮かした位置にセパレーターという部材で固定するのです。
屋上のワイヤーメッシュも敷設が終わっていました。
この2度美味しい光庭ですが、建物の中に外部があるとも言えるので、形状としてはかなり複雑です。
元は3階建てだったのですが、法規の改正で3階建てが不可能であることが分かりました。
「光と風」は私にとって変わらぬテーマですが、建築は人が使うものである以上、全ての設計者にとって永遠のテーマとも言えます。
側面からの開口で光と風が十分取り込めれば理想ですが、それが難しいとなったとき、何かしらの案を練らなければなりません。
そういう意味においては、光庭とトップライトは苦肉の策とも言えます。
どれだけ暗いと言っても、天空が塞がれることはありません。
太陽は誰のもとにも、平等に降り注ぐのです。
これは階段を固定している部分です。
大工でなければ出来ないような細工を、防火性能を満たすために鉄のプレートを溶接し固定します。
こんな詳細部の集合体が建築です。
よって、近代建築の三大巨匠、ミース・ファン・デル・ローエは「神は細部に宿る」と言ったのです。
神様が応援してくれるよう、細部にこそ手を抜かず、今年も1年物創りに励みたいと思います。
文責:守谷 昌紀
■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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「どこにもない箱」の家‐4‐まもなく着岸
2018年11月19日
「どこにもない箱」の家‐4‐まもなく着岸
ようやく足場がとれました。
何度経験しても、変わることのない期待感と緊張感。
色のはっきりした建築は、やはり青空の下に限ります。
クライアントも外観に関してとても喜んでくれました。
現場はミキサー車から生コンを運び、外部の床を仕上げている最中。
外構工事も仕上げ段階に入っています。
側面からみると、それぞれの箱がどういう構成になっているのかがよく分かります。
多くのクライアントが、決まった予算の中で夢を実現したいと願っています。
色というものはそれ程金額差がでるものではありません。しかし、無秩序に使えばただうるさい建築になってしまいます。
ただ「本当に好き」という部分を外さなければ、背骨のようなストーリーが常に貫かれると思っています。
そのストーリーは、この現場日記の第1回目に書きました。
夢を実現すると書きましたが、夢だけは人から貰うことはできません。また、押し付けることもできません。
そういう意味でいえば、私の仕事は夢の水先案内人のようなものです。
あくまで建築においてですが。
「どこにもない箱」という最終目的地は計画のスタート時に示してもらいました。
その港がもうすぐ目の前に迫ってきました。
水先案内人としては、ここは焦らず、慎重に着岸させなければならないのです。
文責:守谷 昌紀
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「住吉区歯科医師会館」‐1‐プロローグ
2018年10月31日
「住吉区歯科医師会館」‐1‐プロローグ
歯科医院を開業すると、地域の歯科医師会に入るのが一般的だ。
住吉区歯科医師会のwebサイトには以下のような説明がある。
歯科医同士で情報を共有し、歯科治療に関する知識を深めるための講習を開催しています。時には、地区の医療・福祉団体や他地区の歯科医師会と合同セミナーを開催するなど、積極的に技術向上に取り組んでいます。
小学校で歯科検診を受けたことがある人も多いと思うが、これらも歯科医師会が窓口となっての社会貢献活動のひとつである。
旧会館は築38年となっており、耐震基準を満たしていないことが建て替えの動機となった。
パブリックな建物ゆえ、コンペで設計者を選ぶことになったそうだ。
新築住宅ガイドというサイトからコンペ開催の連絡があり、当社も参加させて貰うことにした。
まずは書類選考で10社に絞られ、当社が2次選考に提出した案は以下のようなものだ。
歯科医師会館なので黒はない。やはり、白く清潔な建物がよい。
白い箱状の建物中央に、大きな開口を開け、くちばし状の庇を設けた。
「虫歯の鳥などいないのでは」というメッセージだ。
旧会館は暗く、寒いとお聞きしていた。
隣地も迫り窓を開けることもままならない。
光と風に満ち、地域の歯科医師の皆さんが足を運ぶ際に、楽しみにして貰えるような会館を模索した。
プランを決定する上で、最も影響を与えたのは大会議室だ。
多くの方々が訪れることもあり、非常時の避難経路を考えると1階が適切だと考えた。
建築基準法上の「採光」を確保するのが難しいのだが、2階の一部を光庭とし、トップライトを採用する案を提案した。
これらが、1階の北奥の最も暗い部分に、安定した光を与える。
ドラマティックな風景を演出してくれるはずだ。
2階においては、その光庭を囲むように各室を配置。
季節の良い時期には、隣地を気にせず掃き出し窓を全開にできる。また、夏の暑い時期には裏路地の冷たい風が通り抜ける。
歯科医師会館だけに健康な建物を目指したのだ。
白いくちばしをくぐってエントランスホールへ。
オープンな階段からは光が落ちてくる。
再び、住吉区歯科医師会のwebサイトから引いてみる。
「地域の皆さまの歯の健康を守ることができるのは私たちだけ」という誇りをもって、より歯科医療現場の最前線で活躍できるよう努力していきます。
その気概にお応えできるような、建築を目指したい。
また地域の皆さんとの交流の場となればこれほど嬉しいことはない。
住吉区は、これまでに一番多くの仕事をさせて貰った地域でもある。
仕事人としての気概をもって、歯科医師会の皆さん、地域の皆さんの幸せに何とか貢献したいと思うのだ。
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日本最古の「道」‐1530‐
2018年10月31日
日本最古の「道」‐1530‐
日曜日は、気温が20℃前後で快晴。いわゆる絶好の行楽日和でした。
「色んなところに行き過ぎて飽きた」と、娘は近頃あまり外出したがりません。
「遊園地、かつ丼、本を買ってあげる」で誘えば来てくれるのですが、いつもそれでは芸がない。
この日はにゅう麺+参拝で誘ってみたのですが不発でした。
よって、最高の行楽日和にひとりで大神神社(おおみわじんじゃ)へ。
奈良の桜井にある大鳥居は知っていましたが、おそらく初めての参拝です。
「古事記」「日本書紀」にも記され、日本最古の神社とも言われます。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、三輪山に鎮まることを望まれたため、左に見える三輪山自体がご神体となっているのです。
その読み名の通り、三輪素麺で知られる三輪にあります。
素麺発祥の地とも言われるだけあり、二の鳥居のすぐ横に店がありました。
鳥居をくぐり参道を進みます。
神殿はないので、こちらが拝殿。
檜皮葺きの屋根の下に、光る菊の御紋。
陰と陽、自然と建築の見事なコントラストを見せてくれます。
神社も最古なら、最古の道と言われるのが「山の辺の道」。
三輪から奈良へ至るものでしたが、現在は天理あたりまでが遊歩道として整理されているようです。
途中に多くの神社や古墳があり、飽きることがありません。
10年以上前、あるクライアントが「春先にこの道を歩くのが一番好きなんです」と言っていました。
大阪や京都にない、古都・奈良らしい風情を感じます。
古の人々の息遣いが聞こえてくるような気さえしてくるのです。
オレンジのコスモスが道に張り出していました。
花は自らの花粉を運んで貰うため、これほどまでに美しく咲き誇るのです。
今度は家族で天理まで走破したいのですが、娘は歩くのを一番嫌がり……
何かプラスアルファの魅力を探さなければなりません。
三輪素麺の老舗、「池利」が直営する千寿亭がすぐそばにあります。
ここのにゅう麺で誘ってみたのです。
社長の息子2人がスキーの古い仲間で、ずっと前に一度内装だったかの相談に乗ったことがあります。
おそらくそれ以来なので、久し振りに食べてみたかったのですが、またの楽しみです。
大阪へ戻るために桜井から169号線を北に走ります。
何とものどかな夕景ですが、この山裾に日本最古の道は生まれました。
20世紀初頭、仙台に留学してきた魯迅は、中国に戻り「阿Q正伝」などを発表します。
短編小説「故郷」にはこのような言葉があります。
もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。
道は先人が作ってくれたものです。
その道を有り難く利用させて貰うのですが、実業の世界では、優秀な人がその道を最も上手く使います。
舗装された道を、高性能の車で走るイメージですが、こういった人達がエリートと呼ばれる人々です。
自分がエリートでないなら、道なき道なのか、獣道なのか、人が通りたがらない道を行くしかありません。
舗装道路を行くのでは、高性能の車には敵わないからです。
格好をつけるつもりはありませんが、自分がエリートであるかないかは、分かっているつもりです。
一休和尚の言葉ではありませんが、踏み出せばその一足が道となります。勇気をもって踏み出すしかないのです。
帰路の際、屋根が印象的な天理市役所を通りすぎました。
この近くに、昔「彩華ラーメン」の屋台があったよなあ、と思いながら走っていると、西名阪の天理IC近くにその屋台が見えました。
懐かしいなあと思いながら、渋滞の車窓から見ていたのです。
出掛けるということは、道を行くことです。そうすれば色んなことが起ることを、何とか娘に伝えたいのですが。
『道』一休和尚
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となる
迷わずゆけよ、ゆけばわかる
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成功を恐れない‐1528‐
2018年10月24日
成功を恐れない‐1528‐
日曜日に中2の長男が居るのは珍しいのですが、聞けば定期考査中とのこと。
どうせ大して勉強しないので、昼食がてら河南町へドライブに出掛けました。
街路樹の中には、色づき始めた樹々もちらほら。
このあたりまで来ると、かなり緑が濃くなってきます。
20年振りに、近つ飛鳥博物館にやってきました。
河南町、太子町にまたがり、古墳時代・飛鳥時代を専門に扱った博物館です。
1994年の完成で、設計は安藤忠雄。
彼が乗りに乗っていた時代の作品と言ってよいでしょう。
何と言っても特徴は、この連続する階段と極めてシンプルな搭状のキューブです。
階段向かって右からアプローチするとエントランスが見えてきます。
コンクリート打ち放しの柱と梁に、大きなガラス開口。
多くの建築をみてきましたが、これほど作風を変えない建築家は稀だと思います。
最も大きな展示空間には、仁徳天皇陵の模型がありました。
その奥にある少し暗い空間は、あのキューブの真下にあたります。
そこには巨大な修羅が展示されているのですが、この部分が「地震により立ち入り禁止」となっていました。
見上げると内部は空洞。巨大な吹抜けなのです。
普段は明るいのか、このままなのか分かりませんが、コンクリートの一部に剥がれでもあったのかもしれません。
博物館、美術館へ行こうというと、子供達は「え~、また~」と嫌がるので、あくまで目的は昼食。
来たら来たで、楽しんで帰るのですが、子供心は難しいものです。
立ち入り禁止となっていたのはこのキューブの下。
これだけ巨大な吹抜け空間が、必要なのかと聞かれれば、おそらく答えは無いと思います。
しかし、ドラマティックなのは確かです。
建築家・安藤忠雄は、70年代から現在に至るまでトップランナーであり続けています。
77歳となった今でも、建築家と言えば安藤を上げる人は多いでしょう。
建築家だけに関わらず、多くの成功者を見て思うのですが、「成功を恐れていない」と感じます。
「失敗を恐れるな」とよく言いますが、本当に難しいのは前者のような気がします。
失敗しないこと=成功、とはなりません。ここには大きな違いがあると思うのです。
もっと言えば、「恐れ」という概念が無いのかもしれません。
コンクリート打ち放しは安藤建築の代名詞です。その手法を学ばせて貰い、表現として使わせて貰いました。
しかし、真似レベルでは終わっていないつもりです。
日本のコンクリート打ち放しの文化は、私が守りますので、安心して最後まで走り切って下さい。
同業なので、「凄い」とばかりは言っていられません。絶対超えて見せると決意するしかないのです。
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いえをつくるのじょうずだね‐1527‐
2018年10月19日
いえをつくるのじょうずだね‐1527‐
先週日曜日は、「中庭のある無垢な珪藻土の家」の取材でした。
ある機関紙の巻頭8ページの予定です。
以前には「池を望む家」や「イタウバハウス」を取材して貰いました。
なかなか葉がつかなかったヤマボウシも、元気を取り戻しています。
木々の変化は、折々の表情を家に与えてくれるのです。
制作会社の担当者2人と伺い、2時間程の取材でした。
「取材時は是非サポート下さい」と言っていたご夫妻でしたが、全くの杞憂でした。
インタビューが始まると、家づくりの物語りが次から次へとでてきます。
おそらくそうなるだろうと私は想像していました。
打合せの際も、疑問、質問などがいつも非常に分かりやすく、明快でした。
ご夫妻と話しをしていて、話が途切れることはまずないし、ご主人と四方山話しをしていたら2時間くらいはあっという間なのです。
写真は以前のものを使うことにしました。
実際の暮らしが始まったあとに撮影するのは、本当に大変です。
この春に撮影したカットですが、お姉ちゃんはお絵かき、弟くんはパワーショベルで遊んでいる間に撮ってもらいました。
こういったカットを写真家は「奇跡の一枚」と言います。
大げさに聞こえるかもしれませんが、全てがかみ合うカットは、なかなか撮れないものなのです。
5歳になったお姉ちゃんは、担当者と私を色々と案内してくれます。
将来の子供部屋にはダンボールの家が。
中には新聞紙で作った箒と塵取りまでありました。
ものづくりがとても好きなのはお母さん譲りでしょう。
インタビューは土地購入の経緯から始まり、おのずとキッチン周りのこだわりの部分へ移っていきます。
ゴミ箱上にある、ゴミ袋のストック置場。
何でもないものに見えるかもしれませんが、通路側を向いているので来訪者からは見えません。
また、ゴミ箱の蓋の軌道をかわした位置にあるのです。
キッチンからつながる、2.5畳の和室は様々な機能を併せ持ちます。
洗濯物を畳む、雨の日の物干し、お子さんの昼寝等など。機能面での見せ場です。
更に、その和室と洗面脱衣が繋がるのがこの収納。
和室で畳んだものが、洗面脱衣室側からとることができるのです。
インタビューの冒頭に、お姉ちゃんがこんな可愛いものを私に手渡してくれました。
シールをはがすと私への手紙がでてきました。
まだ逆さ文字が混じっていますが、本人が読んでくれました。
「もりたにさん いえ つくるの じょうずだね」
前の晩に、自ら書いてくれたとのことです。
建築をつくるのが仕事ですが、「じょうずだね」と言って貰ったのは初めてです。
多くの創り手がいる中で、もし誇れることがあるとしたら「一緒に物語をつくる」ということに尽きる気がします。
取材に行く前に、8年前の「池を望む家」の巻頭特集に少し目を通しました。
こちらの計画も、池の横にある土地と出会うところから、家づくりの物語が動き出します。
その物語の舞台監督を私に任して貰えるなら、ドラマティックにダイナミックに、そして必ず楽しいものにしてみせます。
それが私の生きる道なのです。
この機関紙は無料で貰えるので、発刊の日時が決まればまたお知らせしたいと思います。
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人は違う。でもそんなに変わらない。‐1517‐
2018年9月14日
人は違う。でもそんなに変わらない。‐1517‐
大阪近辺での打合せなら、阪神高速を使う確立が高くなります。
首都高速程ではないにしても、通勤時刻は結構混むもの。
会社近くを通るのが14号松原線ですが、駒川入口あたりも渋滞ポイントです。
それで、早めの出発を心掛けていますが、1号環状線ををぐるっと回るだけでも、名物建築が色々見れます。
松原線に乗るとすぐに見えてくるのが、あべのハルカス。
高さ300mは現在日本一。
そのまま、なにわのエッフェル塔・通天閣のすぐ東を通り抜けます。
高さは103m。
環状線は、時計回りの一方通行。JRの環状線の更に内側にあります。
その1号環状線と14号松原線が合流するあたりにあるのが湊町リバープレイスです。
八角形の建物内には、FM大阪もはいっています。
御堂筋と交差する位置からは、ナンバ・ヒップス。
昨年、食事を2度ご一緒させて頂いた高松伸さんの作品です。
環状線は大川を越えるあたりから、右に大きくカーブ。
北に見えているのが梅田エリアです。
高層ビル群の先駆けとなったのが大阪マルビル。高さは約124mで、1976年の完成です。
東に向きを変えた環状線は、中之島の北を走ります。
民の町・大阪のシンボルは中央公会堂。その存在感は、やはり抜きんでているのです。
この日は12号守口線で、北へ向かいました。
ついでにと言えば怒られますが、分岐点あたりにあるのが、私が設計した「seiundo」の入る、北浜一丁目平和ビルです。
扇町には、キッズプラザ大阪の入るこの建物。
大阪市環境局舞洲工場の設計で知られる、フンデルト・ヴァッサーの設計です。
阪神高速、大阪建築ツアーはいかがだったでしょうか。
12号守口線の城北インターで降り、さらに地道を北上すると、阪急電車が見えてきました。
京都線の上新庄駅と相川駅の間で、神崎川の上を通過しています。
中学・高校の間、この橋の上からずっとこの川を眺めていました。
小学校から上がったばかりの頃、「いつか相川駅で降りて、釣りに行ってみたいなあ」などと思っていたのです。
6年間も時間があったのに、それは一度も叶いませんでしたが。
日々というものは、まさに電車に乗っているようなもの。「降りてみたい」と思ったら、すぐに行動しなければ、実現することはありません。
また、角度、方向が違うと全く違う場所に見えるものです。
私が毎日毎日見ていたあの場所だと、初めは全く気付かなかったのです。
見る人の視点によって、全く違う景色があることを、今ならようやく理解できます。
反対に、自分だけが特別な訳はないので、相手、他者も同じような、期待や不安を持っていることも、何とか想像できます。
この相反する単純な真実が、未来をイメージする上で、とても重要だと考えています。
こんなことを、学生に熱を入れて話していると、多くの学生は目が泳ぎ出します。それで「ああ、言い過ぎたんだな」と分かるのですが。
人は違います。でもそんなに変わらない。
これは私の人生哲学ですが、それぞれをフォーカスすると、それは間違っているという言い方もできるのです。
なので、目的の「ある」「なし」が大切です。
それがあれば、哲学はそこへ向かう道具となります。それが無ければ、間違い探し、出来ない探しを始めるネタでしかなくなると思うのです。
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困難克服ゲーム‐1515‐
2018年9月7日
困難克服ゲーム‐1515‐
台風21号が通り過ぎ、2日が経ちました。
関西では風速50m/sを越えた所もあり、大きな傷跡を残して行きました。移動が速かったのは不幸中の幸いだったと思います。
私が設計した建物でも、室外機が飛んでしまった、剥がれた大きな屋根が飛んできてバルコニーに落ちてきたなどの連絡を貰いました。
こちらは、連絡を貰った訳ではないのですが「Ohana」のシンボルツリー、オリーブが倒れてしまったとfacebookで知りました。
店主で、カメラマンの石井さんの写真を拝借しています。
今から9年前、2009年の9月に「古川庭樹園」へ行きました。
畑と言われる、樹木を育てるエリアを、石井さんと探してまわったのです。
その中から、この一本をみつけました。
私の車で持って帰り、自分達で植えたのです。
竣工時はこの大きさ。1.8mくらいでしょうか。
私が最後に会ったのが今年の6月。BBQの時でした。
軒下までが6.8mなので、およそ7mにまで成長しました。
本当に立派になったなあと、思っていたのです。
形あるものはいつか壊れます。生き物なら、いつか必ず息絶えるのです。
関西は大変だと言っていたら、北海道で震度7の地震が発生しました。
自然の驚異を前にしたとき、ただ頭を低くして、行き過ぎるのを待つだけしかできないのです。
人生は困難克服ゲームです。
RPG(ロール・プレイング・ゲーム)と例えてもよいかもしれません。
敵と出くわさなければ、また戦わなければ経験値が上がることはありません。
ゲームならその戦いを楽しめるが、現実なら逃げたくなるのは何故なのか。
ゲームは気に入らなければやめることが出来ますし、必ず解決できると知っているからだと思います。
ならそう決めるまです。
絶対にやめない、必ず解決すると決める。なかなかできませんが、これが人生を困難克服ゲームにするコツのはずです。
何が起っても、人は死なない限り生きます。
それなら、前向きに生きるだけです。
今日も、明日も困難ばかり。それこそが、成長の源ですから。
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讃岐うどんの名店Ⅶ、そこまでセルフ‐1513‐
2018年8月31日
讃岐うどんの名店Ⅶ、そこまでセルフ‐1513‐
前回、香川での墓参りを終えたところまで書きました。
昼食のため、快晴の讃岐平野を移動します。
地元では「讃岐富士」と呼ばれる飯野山(いいのやま)。
まさにオニギリをポンと置いたようなフォルムです。
その脇を、申し訳程度に流れるのが土器川。
香川で唯一の一級河川ですが、年に200日も水の流れない日があると、ブラタモリでも紹介されていました。
その土手を超えたところに、「釜たま」の名店「なかむら」があります。(「釜たま」は、釜揚げうどん+たまごの意味)
映画等にも登場するこの店を伝説としたのは、味は勿論として、「そこまでセルフ」というストーリーです。
自分でダシを入れる、麺を温めるのは勿論、畑にネギを抜きに行き、自分で切っていたそう。
人手不足でそうせざるを得なかったそうですが、更なる繁盛店になり、そのサービス?は現在なくなってしまったのです。
この日は11時半頃の到着で、15人待ち程度。
思ったほど混んでいませんでした。
私は「釜たま」の特大に、もう1つ卵を追加。
卵は自分で軽く混ぜ、ゆであがりを待ちます。
レジで自己申告するのですが、天ぷら2つを加えて700円くらいだったでしょうか。
店内は清潔で広め。
気候がよければ屋外席も気持ちよさそうです。
この日はとても暑く、子供たちは冷やしうどんやぶっかけうどんを頼んでいました。
麺は細目で、いわゆる讃岐うどんほど腰はありません。
「長田」もそうでしたが、釜あげの名店は、麺がモッチリしている傾向にあります。
熱い麺と卵を混ぜると、半熟のような状態になります。そこにうどん醤油をくるっと掛けて頂きます。
特大は3玉入っていますが、のど越しが良く、いくらでも入って行く感じ。
ねぎ、しょうが、ごまで味を変えながら楽しみました。
子供達もみな大や特大を完食。その事実がこの店の味を雄弁に語っています。
大変美味しゅうございました。
昼頃になると、続々と車も増えてきました。
あっという間に行列が伸びていきます。
この長さなら1時間半くらいは掛かるでしょうか。
帰り際、主人か若主人だろうと思い、少し話を聞いてみました。
最近では良く混んでいるほうだそうです。
「じゃあ今日は、良い日になったね」と言うと笑っていました。
飲食、観光という産業は、難しいものだと思います。
多くの人が常時訪れれば、天狗になるからか疲弊からか、客を雑に扱う店が増えてきます。
しかしそんな応対を受けたことを人は忘れません。いずれその店、観光地は衰退して行きます。
そうなってから、過去の栄光を取り戻すのは難しいでしょう。
美味しいから繁盛する。それは素晴らしいことですが、また違った意味での試練がまっているのです。
経営の神様、松下幸之助はこんなことを言っていたと思います。
「失敗は、成功への過程。成功は、失敗の要因が蓄積している状態にすぎない」
成功もまた試練。仕事とは終わりのない成長ゲームと言えるのです。
しかし、このサービス過多の時代に、「なかむら」が支持されるのは面白いところです。私は、お客さん扱いで遠ざけられるより、もう少し立ち入ってみたいので「なかむら派」なのかもしれません。
最後に、讃岐うどんの名店も整理しておきます。あくまで「私の」なので、雰囲気、混み具合等も合せてⅠの「やまうち」を推しておきます。
讃岐うどんの名店Ⅰ ひやあつの「やまうち」
讃岐うどんの名店Ⅱ 元祖ぶっかけの「山下」
讃岐うどんの名店Ⅲ 釜揚げの「長田」
讃岐うどんの名店Ⅳ 元祖しょうゆうどんの「小懸屋」
讃岐うどんの名店Ⅴ 純手打ちうどん「 よしや」
讃岐うどんの名店Ⅵ かまたまの「山越えうどん」
讃岐うどんの名店Ⅶ そこまでセルフの「なかむら」
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身近にあった真備。「ではない探し」ではない人生を‐1512‐
2018年8月28日
身近にあった真備。「ではない探し」ではない人生を‐1512‐
8月も最終週に入りました。娘は今日から小学校に行っています。
9月1日世代にはピンときませんが、休みが多すぎるよりは良いでしょうか。
夏休み最終日の昨日、岡山、香川へ墓参りに帰っていました。
まずは父方の郷里、倉敷へ。
倉敷市は比較的大きな市で、倉敷川となまこ壁で知られる美観地区から、海沿いまでを網羅しています。
その海を臨む墓地に守谷家の墓はあります。
瀬戸内海式気候の夏は、雨が少なく本当に暑い。
しかし、ここは眺めがよく目には涼やかです。
中学生になった長男2人は、共にクラブで欠席。
曾孫に打ち込みたいことが出来たなら、祖父母も喜んでいるでしょう。
暑い中、一番下の女の子2人が墓掃除まで頑張ってくれました。
次は、瀬戸大橋で香川へ移動します。
母方の墓地は、金比羅山の見える田んぼの真ん中にあります。
小さい頃から何度も目にしてきたこの景色ですが、日が強く、緑が本当に鮮やかです。
稲穂も徐々に頭を下げ出していました。
子供達も、蒸せるような夏草を香りを、いつか思い出す時がくるでしょう。
父方の郷里が倉敷の海沿いと書きましたが、この辺りの住宅では、焼き杉板が結構使われています。
倉敷と書いていますが、昔から我が家でも児島(こじま)と呼んでいます。
昔は学生服の街、また現在では国産ジーンズ発祥の地としても知られる繊維の街なのです。
近くにタコ漁で知られる下津井等もあり、なかなかに活気のある街だったようです。
材木商だった祖父は、商いでは成功していたようで、墓地の裏には結構な規模の山を所有していました。
そういえば、代々の墓も最も見晴らしの良い場所にあります。
その祖父に続いて、数年前に父の兄も他界してしまったのですが、伯母は健在で少し話をしました。
先月の豪雨では、倉敷市の真備地区で高梁川が氾濫し、多くの犠牲者がでてしまいました。
伯母の姉がこの地区に住んでいたことを昨日初めて聞きました。
親族が暮らしており、ぎりぎりのところで非難していたと聞いて、より豪雨の災禍を身近に感じます。
先週、広島、愛媛を回った際も、多くの土砂災害跡が残っていました。
思わずカメラを背けてしまいましたが、山肌にある墓地はかなりの確率で被害を受けていました。
墓石が流されている景色は、何とも表現しがたい景色だったのです。
伯母の姉の家も、2階まで完全に水に浸かってしまったのですが、近所の方が強い調子で連れ出して下さったそうで一命をとりとめました。
しかし、家の中には土砂が流れ込み、乾き、とても住めるような状態ではないと言います。
昨年、こんなたとえ話を話を聞かせてもらいました。
もしあなたが「今、ソマリアの難民キャンプで、毛布が不足している」と聞いたらどう答えるでしょうね。
「それは可哀想だな」で終わるかもしれません。
この話を、安部首相が聞いたらどう答えるでしょう。
「それは、日本として何か支援をしなければなりませんね。すぐにどんな援助ができるか検討して貰えませんか」と、しかるべき担当者に指示を与えるかもしれません。
これが、視野の違いです。
あくまで例えですが、その通りだと思いました。
日本人ではない、知合いではない、親族ではない、家族ではない、自分ではない……
どこまでも、「ではない探し」をしている人と、そうではない人の、どちらが人生において成長するのか。その答えは明らかです。
大阪北部地震、西日本豪雨と、直接何かの援助ができている訳ではありません。
まずは、精一杯自分の仕事に打ち込み、喜んで頂き、感謝の対価を頂き、しっかり税金を納めることが一番です。
しかし、伯母の姉の話しを聞き、ではない探しをしていた自分がいたことを、はっきりと認識します。
何度か書いた、讃岐うどんの名店めぐり。
今回は初めての店を訪れてたのですが、ちょっと内容がそぐわないので次回にします。
「ではない探し」ではない人生を送る。
何度も、何度もそう決意しなければならない程、人はやっぱり弱いのです。
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
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株式会社一級建築士事務所アトリエm
夢は必ず実現する、してみせる。
一級建築士 守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) 1970年 大阪市平野区生れ 1989年 私立高槻高校卒業 1994年 近畿大学理工学部建築学科卒業 1996年 設計事務所勤務後 アトリエmを設立 2015年 株式会...