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風 に関する建築家ブログ・事例

  • 和と洋の融合

    小さな村の社が倒壊寸前となったため、 村の人々の共有地を売却して、建て直そう、 ということになったのだそうです…。 そして、 出来上がったのが、なぜか…。 木造「和風」の本殿の前に、 柱頭の飾り...

  • 水口の家

    小さな村の社が倒壊寸前となったため、 村の人々の共有地を売却して、建て直そう、 ということになったのだそうです…。 そして、 出来上がったのが、なぜか…。 木造「和風」の本殿の前に、 柱頭の飾り...

  • 進捗状況②2014/05/15

    『薄井沢夏の家』今日までの進捗状況を報告いたします。 外回りは外壁を張り始めたところで、後4~5日掛りそうですね…建物が3棟合体したプランなので普通の家の3倍くらい面積があるようです。 予算の...

  • 後継者であり、理解者

    フランク・ロイド・ライトが、 「MY SON(私の息子)」と呼び、 絶大な信頼を寄せた、建築家、遠藤新…。 元々、ライトの作品を、 海外の出版物で見て、憧れていた彼は、 そのライトが、期せずして、 帝国...

  • 昔のままで

    画家、佐伯祐三のアトリエ…。 北側に大きな窓をとった、 三角屋根の、なかなか可愛らしい建築でした…。 ところで、かつては、 この洋風の小屋のようなアトリエの横には、 佐伯祐三と、その家族...

  • 欄間のある家

    画家、佐伯祐三のアトリエ…。 北側に大きな窓をとった、 三角屋根の、なかなか可愛らしい建築でした…。 ところで、かつては、 この洋風の小屋のようなアトリエの横には、 佐伯祐三と、その家族...

  • シースルー階段のある家

    画家、佐伯祐三のアトリエ…。 北側に大きな窓をとった、 三角屋根の、なかなか可愛らしい建築でした…。 ところで、かつては、 この洋風の小屋のようなアトリエの横には、 佐伯祐三と、その家族...

  • ニュータウンのリノベーション

    泉北ニュータウンからマンションリノベーションのお問い合わせを頂き、現地調査に行ってきました。築年数を経た物件なので内装の痛みはそれなりですが、マンション周辺の緑地も整備されて40年近くという...

  • 中心にあってもいい

    駒澤大学耕雲館です…。 設計した、建築家、菅原栄蔵は、 巨匠、フランク・ロイド・ライトに影響を受けた、 と言われます…。 そのため、その作品は、 二言目には、 「ライト風」…、「ライト風」...

  • 【建築を巡る旅】水前寺公園「古今伝授の間」

    熊本の水前寺公園を見学しました。 江戸初期につくられた桃山式の回遊式庭園とのこと。 オーソドックスな和風庭園と思いきや、芝庭が波打つ不思議な空間が展開します。 柔らかな芝面のカーブの上に、数点...

  • 【コーナーガーデンの家】をUPしました

    【コーナーガーデンの家 】を【家結び】サイトにUPしました 密集市街地に建つ2世帯住宅です。 敷地なりに箱状に立ち上げた 四角のボリュームの一角を穿ち、外部空間を組み込むことで、 内部と外部の...

  • 白いウッドデッキの家

    【コーナーガーデンの家 】を【家結び】サイトにUPしました 密集市街地に建つ2世帯住宅です。 敷地なりに箱状に立ち上げた 四角のボリュームの一角を穿ち、外部空間を組み込むことで、 内部と外部の...

  • 【日本橋-川辺の家】をUPしました 

    【日本橋-川辺の家】を【家結び】サイト にUPしました 都会の川に面する小さな敷地に建つ住宅です。 1階はすべて駐車場。コンクリートの箱が宙に浮いたような外観です。 内部は、川に向けて、吹抜のLD...

  • 小さな隠れ家

    詩人、立原道造は、 建築家でもありました…。 高校(旧制)時代から、 堀辰雄らとの交流を始め、 詩を発表していた彼は、 大学の進学にあたり、 なぜか、 現在の東大建築学科へと、 進学します…。 ...

  • 曲金の家

    詩人、立原道造は、 建築家でもありました…。 高校(旧制)時代から、 堀辰雄らとの交流を始め、 詩を発表していた彼は、 大学の進学にあたり、 なぜか、 現在の東大建築学科へと、 進学します…。 ...

  • 内谷の家

    詩人、立原道造は、 建築家でもありました…。 高校(旧制)時代から、 堀辰雄らとの交流を始め、 詩を発表していた彼は、 大学の進学にあたり、 なぜか、 現在の東大建築学科へと、 進学します…。 ...

  • 和洋折衷

    元々は、 関東大震災の慰霊堂として、 1930年(昭和5年)に建てられたものですが、 後に、 東京大空襲の犠牲者も合わせて祀られ、 現在では、 東京都慰霊堂となった、この建築…。 慰霊堂という恒久的な...

  • 荏田町の家

    元々は、 関東大震災の慰霊堂として、 1930年(昭和5年)に建てられたものですが、 後に、 東京大空襲の犠牲者も合わせて祀られ、 現在では、 東京都慰霊堂となった、この建築…。 慰霊堂という恒久的な...

  • 鮮やかな変身

    横浜風の塔…。 元々、 地下街のための吸気や高架水槽としてあった、 既存の塔の改装…。 高さ21mの塔の表面に、 アクリルミラーを貼り、 さらに、その周囲を、 楕円状のパンチングメタルで覆っています...

  • この人らしい家

    旧山口文象自邸…。 山口文象は、 1930年、激動のヨーロッパに渡り、 バウハウスの創始者、 グロピウスのアトリエで働き、 当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、 その後、 最先端の近代建築で、活...